【第二部】ep.16 若狼

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【第二部】ep.16 若狼

 大月青には、ふたりの師匠がいる。  一人は故人で、元毒術師、龍の称号を持っていた。務め名は「藍鬼(らんき)」。  二人目は、現薬術師、麒麟の称号を持っている。務め名は「ハクロ(白鷺)」。 「そうか、ついにか…」  妖鳥の仮面が、心なしか肩を落とす。  陣守の村から南下した森の中、藍鬼が遺した作業小屋の居間にて、ハクロと青の師弟は向き合って座っていた。 「こちらを、お返しします」  青は改まって、ハクロの前に木札を差し出し、両手を床について深く頭を垂れた。 「これまでの、八年にもおよぶご指導、感謝いたします」 「ぐすっ」  妖鳥の仮面の下から、鼻をすする音が聞こえた気がしたが、青は聞こえないフリをした。  藍鬼いわく「善人」を絵にかいたようなハクロは、情が隠しきれずに漏れだす事が多い。  気にしすぎると話が先に進まないので受け流すに限る、というのはハクロに近しい人間たちの間で暗黙の了解となっていた。  長との師道選択の面談の後、青はハクロを伴い藍鬼の小屋に赴いていた。  藍鬼への報告と、ハクロとの正弟子解消とこれまでの礼を伝えるために。  案の定、師弟関係の証明となる木札を返還されて、ハクロは「早いなぁ、そうかぁ」と涙声で呟いている。 「そのうちまたお会いできます」  まるで今生の別れのようなハクロの様子に小さく苦笑しながら、青は顔を上げた。  だが大月青とハクロとして鑑みれば、青は下士、ハクロは麒麟という立場の違い、大きな上下の差がある。  師弟関係が解消されれば、青がハクロへ今のように気安く近づく事は叶わない。 「今のうちに、この場所でこうして、藍鬼師匠と、ハクロ師匠のお二方にご報告と御礼が言えて、良かったです」  改めて青が頭を下げると、 「大人になっだなぁぁぁ…」  ハクロは青に背を向け仮面を持ちあげ、袖で顔を拭うのであった。 「一師にも今のお前をお見せしたかった…」  麒麟となった今でもハクロは藍鬼へ敬意を忘れる事がない。  彼のこういうところが、青をはじめ周囲が彼を好ましく思っているところだ。  仮面を元に戻して再び青に向き直ったハクロは、室内を見渡す。  小屋の様子は藍鬼が使っていた頃と何ら変わっていない。今は青が引き継いで、変わらず勉強や作業小屋として使っている。 「青」  一巡り見渡して、ハクロは背を正して改まる。 「はい」 「どの師道を選んでも、これまでと変わらずに努力し続けなさい。そう遠くないうちにまた逢えるだろう」 「はい」  かつて青が二種で三級を取得した時に、ハクロが言い残した「いつかまた遭えるかもしれん」は現実となった。きっと今回も、実現するだろう。 「それと、同期は大切にな。職種は異なっても、同じ時期に師道に入った者同士の結びつきは、強いぞ」  聞けばハクロ、藍鬼、ホタルの三人は同時期に師道に入った同期であったという。 「ホタル二師は、お元気なのでしょうか」 「あれから間もなくして子ができたと聞いた。あ、いやいや、話し出すとまた長くなる。お前が俺のところまで上がってきたら、ゆっくり話そう」 「はい。その頃にはきっと、お酒が呑めるようになっています」  青の応えに、妖鳥の面が笑ったように見えた。 *  ハクロを見送った後、青は一人、小屋の中にいた。  春を迎え陽が長くなり始めたとはいえ、夕暮れが近づくと気温が下がる。シジュウカラの声も遠ざかり、森は夜を迎えようとしていた。  青は居間の真ん中で仰向けになり、格子窓から差す僅かな外光のもと、掲げた腕に残る痕を見つめる。 「今日は少し赤いかな」  八年が経った今も、藍鬼がつけた鍵の刻印は消えていない。光にかざさなければ目視できないほどではあるが、青の体調や感情に合わせて濃く浮き出たり、紅潮したりと、日々表情を変える。ように見える。 「師匠、僕が毒を選んだことを怒ってる?」  夕焼けの中、橙色に映る模様の痕。 「来年の今頃にはきっと、同じ道を歩き始めてると思うよ」  拳を強く握ると、痕は赤みを増して浮かび上がってくる。 「取り戻す。絶対」  森が夜に覆われ始め、窓から差していた光が闇へと溶けていく。  手をおろして横へ投げ出し、大の字になる。  風が運ぶ梟の声を遠くに聞きながら、青は静かに目を閉じた。
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