【第二部】ep.24 夜戦

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 それからの青は、ただただ必死だった。  蓮華と朱鷺の指示にひたすらに応え、従い、動き続けた。  小毬中士は数か所の打撲と骨折。  同じ様態の負傷者二名。  他、刀傷を負った負傷者数名。  最も重傷であった檜前中士は腹に穴を開けられていたが、致命傷には至らなかった。  羆に変化した事が生死の分かれ目であったというのが、蓮華の見立てだ。 「も…申し訳、ありませんでした。僕が余計なことをした為に…」 「ん?」  疲労と罪悪感とで掠れ、震える声で檜前の容態を報告しに来た新米毒術師へ、一色隊長は柔らかい苦笑を向けた。 「君がああしなかったら、小毬中士は死んでいたと思いますよ。誰も間に合っていなかった」 「でも、檜前中士が」 「檜前中士だから、生き残った。あの時は、あれが最善だったんです」  報告ご苦労、と優しく労われて居た堪れなくなり、青は頭を下げてその場を立ち去った。  治療用の天幕に戻ると、隅で蓮華が膝を抱えて仮眠をとっているところ。代わりに朱鷺が負傷者達の様子を見廻っていた。 「おかえり…楠野隊は…戻ってきた?」  朱鷺の面が、青を振り返る。仮面で顔全体が覆われているために、朱鷺の顔色を読み解く事はできないが、疲労した様子はない。虚弱体質かと思いきや、技能師三人の中で最も平常を保っているように見える。 「いえ、まだのようです」  所在なく、青は朱鷺から一歩離れた、天幕出口側に立つ。横たわる負傷者たちへ視線を一巡させた。誰も呼吸が落ち着いてきている。  蓮華の薬や手当の妙と、薬術や医療の心得のある毒術師二名が居合わせた事が、彼らの幸運であったと言えよう。 「そう」  少しの沈黙を挟み、 「……あの」 「……あのね」  二人が同時に口を開いた。  朱鷺に「お先にどうぞ」と促され、また少し沈黙を挟んでから、青は小さな吐息と共に口を開いた。 「すみません、色々と考えたり思い出してしまって、まとまっていないんですが…」  だけど吐き出さずにはいられない。誰かに聞いて欲しかった。 「思い出す?」 「あの狐の頭は、居場所が欲しかったのかなと、考えていて」  ―九尾に生まれていれば 妖狐のチカラがあれば  ―シシグニにも この国にも  思い出されるのは、大狐の頭が最後に呟いた言葉。  どのような経緯で祖国を出て凪へ流れ着いたかを、青に知る由もない。  だが、一つだけ確かなのは、同じように凪へ流れ着いた青や、小毬、雲類鷲、檜前には良き出会いがあり、居場所があった、という事だ。 「何故あの人は、逃げ出さなければいけなかったんだろうと」  ―アタシを女狐と誹り、蔑んだのはオマエ達  それは、彼女の悲痛な心の叫び。 「僕は本当に、恵まれていたのだなと…あ」  自らの素性に関わる事を口走ってしまった事に気づき、青は覆面の上から口元に手を当てる。 「…そう」  朱鷺にとって、その一言で概ねの事情を察することは容易だった。 「私たちは…五大国以外を、知らなさ過ぎる、の」  天幕内に置かれた行灯の火が揺れて、天幕に映る梟のような影も揺らいだ。  世界には神通術を基礎とした五つの神通祖国と二つの里の他、神通術に依らない独自の力や秩序を持つ国、勢力、人種が数多く存在しているという。 「知らなすぎる…」  青が記憶している限りでは、初等学校や中等過程において、凪の外界について学ぶ機会はほぼ無かった。  そして気が付く。  凪の外から流れ着いた自分の過去について、何の疑問も持たずにここまで来ている事に。  全てを理解するには幼すぎた。  生きる、学ぶ事に精一杯であった。  そうした言い訳もできる。  だが今こうして、同じように外つ国から流れてきた人々の生に触れた事で、青の興味は初めて己の過去に向いた。  母は何故、幼い自分を連れ旅をしていたのか。そして凪へ向かったのか。 「楠野隊が戻ったぞ!」  天幕の外から声がした。 「え」  蓮華が膝に伏せていた顔を上げ、立ち上がる。 「行きましょう…」  青、朱鷺、蓮華の三人が天幕を出ると、野営地の中央の焚き火前には、すでに帰還した楠野隊と、出迎える面々の後ろ姿があった。 「お前、それ…」  楠野を出迎えた一色が最初に発した言葉が、それだった。他の面々も顔を見合わせるなどして、場がにわかにざわめいている。  何事だろうと、青たちも駆けつけた。 「拾った」と答える楠野の腕には、二匹の子狐が抱かれていた。 「あの狐は、こいつらの側で死んでいたよ」 「夜襲を仕掛けてきたのは、この子たちの為か…」 「かもな」  子狐たちは、大人しく楠野の腕の中に収まり、丸い木の実のような瞳で覗き込んでくる凪隊の面々を眺めている。まだ母親の死を理解できないのだろう。  楠野隊の報告によれば。  狐を追跡して賊の根城と思わしき砦にたどり着いてみると、賊の姿は一人も残っておらず、最も奥まった小さな部屋でこの二匹を護るようにして片足の母狐が死んでいたという。 「その子らは、獣血人という事になるのだろうか」 「おそらく」  一色の問いに答えたのは、雲類鷲だった。 「成長してくれば、人の姿になるすべを覚えるはずです」 「そういう、ものなのか」  なるほど、と頷く一色と同調し、見守る凪隊の面々にも合点の空気が流れる。 「その子らは、どうなさるので?」  総員を代弁するように、准士が尋ねた。問われて楠野は腕に抱いた子狐の顔を覗き込む。 「そうだな…凪に連れ帰って、孤児院に入れるか、どこか里子に出すか…」 「あの」  手を挙げたのは、最後尾から様子を見ていた青だった。  その場の視線が一斉に振り返る。  両隣の蓮華と朱鷺からも、何事かという視線を感じた。 「シユウ佳師?」  一色が青に発言を促す。 「す、すみません…霽月院(せいげついん)…をご検討されてはどう、かと」  青が育った、都にある孤児院だ。 「霽月院?長直下の管轄にある孤児院か」  特別な事情を持つ子など、長の許可を得た子が入る事ができる場所。 「出過ぎた事を、すみません…」  場の空気に気圧されて、手を引きかけるが、 「そうですね」  一色の肯定が返った。 「獣血人は凪では希少な存在。私たちで長に掛け合ってみます」 「俺もか」  さり気なく巻き込まれた楠野は肩をすくめるが、訓練所で獣血人三名の担当教官だった経歴は訴求力になる。それを自覚して、潔く頷いた。 「クア……」  大人たちの会話をよそに子狐たちはそろって大あくびをして、楠野の腕の中でウトウトと眠り始める。「可愛い~」と女子隊員らの声。 「提案をありがとう、シユウ佳師」 「あ…ありがとうございます…!」  隊長と副隊長の決断に、青は心底から安堵した。  あの子たちはきっと、居場所を見つけられる、と。
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