【第二部】ep.25 蟲之勉強会

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 その過程で青が「シシグニ」について知り得た事もあった。  シシグニは字を「獅子國」と書くが「獣ノ國」との表記もある。その名の通り、獣血人や獣人、半獣人らが人口の過半数を占める。  凪之国ら神通祖国らとは異なる「古國」と称され分類される国々があり、獅子國はその一国にあたった。  古國とは、神通術と異なる古来固有の術法や力を有する国々の総称で、近年において五大国との国交を深めつつある国もあれば、独立独歩を維持する国もある。  キョウいわく「国外任務が増えてきた」が意味するのは、キョウ自身の実績上昇に伴う任務の範囲拡大という側面の他に、五大国が神通祖国以外との一部国交を推進する外交的要因の側面もあった。  諜報部による資料の一片によれば、獅子國は古國に分類される国々の中でも歴史が深い文字通りの旧国であり、国を司る血族達を頂点にした専制政治、完全なる階層社会構造となっているようだ。長い歴史の中でたびたび内紛が発生しては制圧、統一されてきている。  青がこのくだりを目にしたときに、国を抜けて凪へ逃げ延びてきた三人の中士達や賊の頭目の、逼迫した実情の一端をほんの少し、理解できたような気がした。 「何年か前に任務で一緒になった下士が「シシグニ」出身だと言っていたけど、この事だったのか…」  キョウも資料の文字列を天色の瞳で追いながら、思う所あるように何度か深い息を吐いていた。 「この資料によると獣血人は姿を変化させる事ができるみたいだけど、その任務の時は特にそういう事もなかったな。俺が見ていなかっただけかもしれないけど」 「あまり大っぴらにしたくなかったのかもしれませんね」  おそらくは隊長が誰であるかの違いだろうと、青は思った。  賊殲滅任務では元訓練所の教官である楠野がいたからこそ、獣血人の中士たちは、その力を存分に発揮する事ができたのだ。  このようにして、互いに様々な話を交わしながらの「勉強会」は、あっという間に時間が過ぎていった。気づけば窓の外の空の色が変わっている。 「あ、いつの間に」  先に我に返ったのは、キョウだった。 「申し訳ない。俺、明日は早朝から任務が入ってるから、そろそろ」 「本当だ…すみません、遅くまで引き止めちゃって」  青も顔をあげて外を見る。  外界の暗さと、そして机上の散らかり具合に驚いた。 「後片付けは僕がするので、先にお帰り下さい」 「いやいや。片付けるまでがお勉強、でしょ」 「あはは」  昔、小松先生から言われた「帰宅するまでが任務です」を思い出し、青は吹き出した。今日はいつになく笑う回数が多かったように思う。 「今日はありがとう。勉強になったし、楽しかった」  書籍を巻数通りに重ねながら、キョウは満足げに笑った。 「こちらこそ。貴重な任務のお話などしていただいて」  青のこれはお世辞でもご機嫌取りのつもりでもなく、実際に楽しいものだった。法軍人として経験値の低い青にとって、任務経験豊富なキョウの口から語られる体験談はどれも新鮮で興味深かった。  勉強のしかたが分からないとキョウは謙遜したが、頭の良さと回転の早さに遅れを取るまいと始終、青は必死だった。気がつけば、喉が酷く乾いている。 「僕はまだまだ経験不足だなって、感じます」 「…あのさ」  重ねた本を持ち上げたキョウの瞳が、またまっすぐと青を見ていた。 「初めて会った時の事、覚えてる?工房で」 「そう、でしたね」  知らず知らず、青の上半身が後ろへ逃げるように引く。  キョウの眼光には独特の力があると、青は思う。きれいなお姉さんと思い込んでいた幼い頃も、同じ。見惚れるというより、蛇に呑み込まれそうなカエルの気分だった。  もし敵として対峙したならばと、一瞬でも想像しただけで、背筋が凍る。 「友達のために、飲みやすい味の薬を作ってたよね。お菓子みたいな味の」  苦い薬が苦手だと言っていたつゆりのために、甘い飲み薬を作っていた時の話だ。 「よく覚えてますね、きなこ味でした」  痛かったり苦しい時に、もうそれ以上ちょっとでも嫌な思いなんてしたくないでしょ  苦しい時に心がこもってるのが伝わると、それだけで嬉しいよ  あの日、三葉泰医師―タイに反論したキョウの言葉が去来する。  あの頃のキョウはすでに下士として任務をこなしていた年齢だった。任務中の怪我や病気に苦しんだ経験から、素直に口から出た想いなのだろう。 「大月君は、その頃と今も変わってない」 「え?」 「いつも一生懸命でさ。俺はそういう人を尊敬するし、好きだよ」  最後に泰然とした微笑みを見せて、キョウは本の山を抱えて踵を返した。
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