【第二部】ep.27 姫の事情

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「…私ほら…もう体力が…」  クラクラする、とまた朱鷺が萎んだホウズキのごとく小さくなる。 「やります、やります!」  虚弱体質詐欺に騙されている気がしないでもないが、今はやるしかない。  青は小瓶を受け取ると、後方から迫る大蜥蜴と対峙するトウジュの背へ振り向いた。  トウジュは得意の炎術で大蜥蜴たちを牽制したり怯ませながら一頭ずつ仕留めているが、如何せん数が多い。一瞬でも調子を狂わせれば命を落としかねない。  トウジュの力になりたい。青は深く息を吐き出した。 「水神、玉」  青の唱えに応じて、瓶の液体が宙で美しい球体となる。 「長蛇」  二つ目の術を唱えた。  現れた水流が蛇のごとく青の片腕を纏うようにうねり、膨張。 「混ざれ…」  術と毒薬の融合、それがもたらす成果を、強く思い描く。  青が生み出した水蛇が玉を飲み込む。  無色だった水蛇の色が、徐々に緑へと変色を始めた。  そのさなか、 「いっでぇ…っ!」  トウジュの詰まった呻き。 「!」  青の視界に、紅が散った。  大蜥蜴の剃刀の尾が、トウジュの脚を掠ったのだ。 「くっ!」  転びかけたところで、トウジュが無事な脚で体勢を立て直そうとするが、力が入らず膝が折れ、そのまま倒れ込む。  麻痺毒。  動かなくなった獲物へ、大蜥蜴が一斉に動き出した。 「榊君!」  女子中士たちの悲鳴。 「トウジュ!」  青の叫び。  呼応するように、青の腕を纏う水蛇の色が、突如として漆黒色に変化した。 「何…?!」  面の下で朱鷺が声を漏らす。 「見たこと無い…あんな色…」 「いけ…!」  青が腕を振り下ろす。  大蛇のごとく口を開けた漆黒の濁流が、大蜥蜴の群れを呑み込んだ。  質量のある粘着状の物質に包まれ覆われた大蜥蜴の群れは、動きを止める。 「榊君!」  女子中士の二人が、倒れたトウジュの元へ駆け寄った。左右からトウジュの肩を担ぎ上げ、黒い泥に包まれて凝固する大蜥蜴の群れの前から引き離す。  それを見送り、 「炎神…玉」  青が三つ目の術を発動させた。  玉は子どもが初めて習う基本の術。  それで十分だった。  小さな火球が黒い汚泥の表面に触れた瞬間、辺りが瞬間的に橙色に照らされた。  爆発したように火柱が上がる。黒い汚泥が可燃物となり、中に捕らえた複数頭の大蜥蜴ごと激しく燃え広がった。  数頭の大蜥蜴が、燃え盛る炎を前に引き返す様子が揺らめく熱風の向こうに見え隠れする。 「やった…か?」  青は炎の熱が起こす火の粉混じりの風を浴びながら、脱力したように呆然と炎を眺めた。 「っ!トウジュ…」  我に返り、トウジュが運ばれた後衛へ踵を返す。  栗毛色の馬の足元で、すでに朱鷺がトウジュの手当に当たっていた。  脚の怪我の治療と痺れ毒の解毒は速やかに完了し、妖瘴の影響も無かったのは幸いだった。 「っくしょー、峡谷上士みたいに…カッコよくいかねーなー…」  手当を受けながら、少し痺れの残るぎこちない口調で、トウジュはいつもの軽口を飛ばしながら笑う。 「百年早いっつーの」  憎まれ口を叩きながらも女子中士の二人の面持ちは、泣き出しそうにも見えた。 「ご無事で…良かったです」  駆けつけた青も、心底から安堵の息を吐いた。 「……」  生々しい手当の様子に、さすがに大人しくなった陽乃姫は青白んだ面持ちだ。  侍女の檀弓は始終俯いて陽乃の隣に座り込んでいる。 「上士のお二人は」  まだ大蜥蜴の群れが残っていたはずだと、顔を上げた青へ、 「心配いらねーよ。もう終わるっしょ」  上半身を起こしたトウジュが笑う。  その言葉通り、北西側から凄まじい轟音と共に、竜巻が発生した。  風術だ。  離れていても皮膚や衣服が切り裂かれそうな、鋭い風圧。砂埃と砂利が巻きあがり、目を開けていられない。  中士二人と青で怪我人たちを庇いながら、風が収まるのを待つ。 「なんとか、片付いたな」  風が鎮まり、術の名残風がそよぐ中、アザミの声が近づいた。 「先輩、すぐ手当を」  キョウの声が続く。  二人の背後、渓谷の狭間には、大蜥蜴の死骸が散乱している。  後方に引き揚げてきたアザミの腕まくりした左腕に、裂傷が走っていた。飛散したであろう血液が、腕ばかりか衣服の胸元や顔にもこびりついている。 「やむを得ず血触媒を使用した。手当を頼んでも良いだろうか」  キョウが代わりに説明し、朱鷺と青へ頭を下げた。 「も、もちろんです」 「大丈夫…」  気を消耗したアザミを日陰に座らせて、ケガの手当を行った。 「これ…良かったら…貧血予防…」  朱鷺が薬瓶をアザミへ差し出す。  瓶の札には獅子の押印と、蓮華の署名。 「私じゃなくて…薬術師の獅子が作った…栄養剤だから…安全…よ」  風体から怪しい薬と勘違いされる事が多いのだろう。朱鷺の少し回りくどい説明。  だがアザミは表情を変えず「ありがたい」と短く応えて受け取ると、躊躇なく液体をあおった。
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