【第二部】ep.27 姫の事情

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「まずは…一段落して良かった」  面々を見渡し、妖獣の気配が完全に消え去った事を確認し、キョウは安堵の笑みと共に頷く。  そして、 「陽乃様」  顔色がすぐれない姫の元へ歩み寄り、片膝をついて視線を合わせた。 「お怪我がなくて何よりです」  キョウの端正な微笑と、柔らかい声音。 「峡谷様…」  強張っていた陽乃の面持ちが分かりやすくほぐれた。 「あの毒の大蜥蜴」  微笑を固めたまま、キョウは言葉を続けた。 「炬之国の固有種だそうです」  肩越しに、キョウの視線が毒蜥蜴の死骸を一瞥した。 「後から現れた凪の大蜥蜴の大群は、よそ者である炬の大蜥蜴を排除しようと、臭いと気配に釣られて集まってきたのでしょう。妖獣には排斥本能がありますから。ならば、炬の毒蜥蜴はどこから現れたか」 「…峡谷様…?」  再び陽乃は顔を曇らせた。  キョウの整った微笑が、逆に恐ろしいものに見えてくる。 「おそらくは、賊どもが毒蜥蜴が封じられた呪具でも持っていたものと思われます」  現れた賊のうち五人が突如、懐をまさぐり「熱い」と言い出し、黒煙に巻かれて大蜥蜴へ姿を変貌させたのだ。それが、彼らにとって本意であったとは思えないが。 「不思議ですね…凪のゴロツキごときが何故、炬の毒蜥蜴へ変化する術を得たのか…?」 「わ、わたくしは知りません!」  キョウの塗り固めた微笑の追及に耐えかねて、陽乃が声を上げる。 「あんな蜥蜴のことは、何も!」 「蜥蜴のこと「は」?」 「!」  さーっと陽乃の顔色が青くなる。  根は、嘘をつけない性分なのだろう。 「では賊のこと「は」、何かご存知なのですね?」  キョウが上半身を傾け、陽乃へ顔を近づける。 「わ、わたくしは…」  陽乃は顔を逸らし、俯いた。  薄氷色のキョウの瞳に見据えられると、呑み込まれそうになるのだ。  そこへ、 「私です」  陽乃を庇う声が横入りした。  檀弓だ。 「私の、私一人の独断で…お嬢様は何も…」  戦いの間、始終俯いて震えていた侍女は、今も懸命に弱々しい声を絞り出している。 「私が、噂を、流しました…」  侍女の檀弓曰く。  凪の都の場末の歓楽街でゴロツキを捕まえ、 「金持ちの娘が少数の護衛で国境の渓谷を抜ける」 「荷には売れば大金になるシロモノを積んでいる」  などと、その日時と経路を含めて、毒を吹き込み扇動したのだという。 「賊が持っていた物は仰る通り、炬の呪術師より譲り受けた物で、私が渡しました。あれほど怖ろしい物だとは知らず…酷い事を…」  黒髪の侍女は、地に両手をついた。 「全て私がやった事です。責を負うのは、私のみです…!」 「檀弓…」  隣で地に伏す侍女の肩へ、陽乃はそっと手を添える。  その瞳と唇が安堵に緩んだのを、青は見た。  きっと側にいるキョウも、気付いたであろう。 「何のために侍女の貴女がそんな事を」  キョウの問いに、侍女は顔を伏せたまま、 「お嬢様がご不憫で」  小さく震える声で応えた。 「え?」  キョウはじめ護衛隊の面々にとって、それは意外な答えだった。  女子中士の二人にいたっては、お嬢様のワガママに耐えかねた侍女が暗殺計画でも立てたのか、と推測していたのだから。 「お嬢様には近々、ご結婚される予定の方が…ですがそれは―」 「お父様が勝手にお決めになった事なんですの!」  檀弓の言葉尻を、陽乃の声が撥ね退けた。 「私はずっと峡谷様の事が…どこぞの顔も見たことのない豪商との結婚なんていやです!!」  片膝をつくキョウの腕にすがるように、陽乃は訴える。 「賊から私の命を救って下さったとあれば、お父様はきっと峡谷様をお認め下さるわ」  なるほど。  その場で話を聞いていた全員が同様に、腑に落ちた。  侍女は自分の独断であると懺悔するが、結果はどうあれ発端は陽乃が狂言を企てての指図であり、今は侍女に責任をなすりつけようとする様は明白だ。 「よく、分かりました。陽乃様」  キョウの瞳が、微笑む形に細められた。 「峡谷様…!」  陽乃の表情が、嬉しそうに綻ぶ。  直後、キョウの端正な面持ちから表情が抜け落ちた。 「―え」  キョウの右手が腰の刀を抜く。 「きゃっ!」  左手で陽乃の華やかな装束の襟を掴むと、土に押し倒した。 「峡谷上士!?」 「何を、」  士官たちが驚愕の声を上げる中、キョウは逆手に握った刀を陽乃に向けて突き下ろした。  ザクッ  刀の刃先は、陽乃の頬の真横へ突き立つ。  黄紅葉の髪が切断され、風に舞った。 「峡谷君…!」  止めに入ろうと手を伸ばしかけたアザミが、動きを止める。  陽乃を見下ろすキョウの殺気立った眼光、明らかな「怒り」を宿した気迫に思わず身が引けた。 「貴女のお立場はお察しいたします。ですが」  耳にした事のない、喉の奥から絞り出すようなキョウの低い声。刀を握る手に更に力が込められる。  陽乃の耳元で、刃が土を抉る音がまるで歯ぎしりのようにも聞こえた。 「どんな理由であれ、俺の仲間を危険に晒した事は許さない」 「……ぁ…、たくし…、は…」  炬之国の姫はただ、目の前の捕食者に見据えられて、震えるしかなかった。
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