第4話

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第4話

「ごきげんよう。アドリアナさま」  彼女はサイドテーブルにあった飲み物を手に取ると、私の隣に腰をおろした。 飲みかけのそれを、私に向かって差し出す。 「どうぞ、お受け取りください」 「……。ありがとう」  ここで逃げたら、単なる負け犬。 敵前逃亡。 笑いものにされるだけ。 私はフンと鼻息を鳴らし戦意を高めると、彼女からの挑戦状であるグラスを受け取った。 それに満足したらしいモニカは、自分のグラスをあおる。 淡い琥珀色をしたフルーツ系の発泡酒が、彼女の喉をゆっくりと流れた。 彼女は空になったグラスを持ち上げ、珍しいものでも見るようにしげしげと眺める。 「アドリアナさまがラズバンさまとご懇意にされていたとは、知りませんでしたわ」 「ダンスのお誘いを受けたから、お受けしただけです。他に理由などありません」  売られたケンカは買う。 相手が腰を据えてやり合おうっていうのなら、こっちだって負けるつもりはない。 「あの方はだれかれ構わずお声がけなさるような方ではありませんもの。女性に関する悪い噂が絶えないのは、相手にされずフラれた方々が勝手に流しただけのもの。……。もしや、アドリアナさまもそんなお仲間のお一人だったとか?」 「まさか。初めてお話したような方を、良くも悪くも思います? 私にはラズバンさまがどのようなお方なのか、見当もつきませんわ」 「そう」  モニカは着ている白いドレスに合わせた黄色い扇を、閉じたまま口元に押し当てた。 どこを見て話しているのか、視線はここではない遠いどこかを見ている。 「あなたと違って、私はあの方をよく存じ上げておりますの。なにせ伝統と格式あるマリン家のお方ですもの。私のお姉さまと歳も近くて、我がモゴシュ家へ何度もいらしたことがありましてよ」  モニカのお姉さま?  確か昨年の夏、遠方の領主のところへ嫁いだはず。 モゴシュ家には、モニカの他に二人の姉妹と、男兄弟が二人。 彼女のお姉さまはラズバンさまを狙っていたのが、上手くまとまらなかったということか。 「それで私も、幼少のころからラズバンさまのことはよく存じてますの。草で編んだ冠をあの方にプレゼントしたこともあって。楽しい思い出です」 「モニカさまにとって、お兄さまのような存在だったのかしら」  その言葉に、彼女の整ったブロンドの眉が、不愉快だと言わんばかりに大きく動いた。 「確かに? お兄さまと言われればお兄さまですけれども? 血のつながりのない方をいくら親しいとはいえ、そうお呼びするのは失礼なのでは?」  何を怒っているのか分からないが、とにかく彼女の逆鱗に触れたらしい。 このまま相手をしていても構わないが、まもなくそのラズバンさまのダンスも終わる。 モニカの視線も、高齢のベントー夫人を相手に優雅に踊る、黒髪のその人を追いかけている。 出来ればこれ以上長くなる前に、早くここを出て行きたい。 「ラズバンさまがそれをお許しになっているのなら、構わないのでは?」 「そういえばわたくし、ラズバンさまからお聞きしたことがありますの」  モニカは私を無視して、突然話題を変えた。 「ラズバンさまには、ずっと心に思う人がおありになるそうよ。数々の高貴なご令嬢をお相手にしてきた方だもの。さすがのアドリアナさまであっても、お相手とするには重荷なのでは?」 「何がおっしゃりたいの? 王子一筋であるはずのあなたが、マリウス以外の他に興味があったってこと?」  私の挑発に、ついにモニカはお嬢さまの仮面を取り払った。 「ねぇ、王子のお相手から外されてすぐラズバンさまって、節操なさ過ぎ。そんなに王子を取られたのがくやしかった?」 「フン。あんたなんて、どうせ政略結婚じゃない。モゴシュ家と王家の縁談だなんて、誰もが予測した通り。順当すぎて面白みも何もないから。あんたに必要だったのは、家の名前と王子と同年代に生まれたタイミングよ」 「ならどうして、最後まで張り合ったのよ。分かってんならさっさと身を引けばよかったじゃない」 「だって、それじゃ面白くないでしょう? つまらない結婚にこの私がわざわざ話題を添えてやったんだから、そっちこそちょっとは感謝しなさいよね」 「は? なんですって。ちょっとラズバンさまに慰めてもらったからって、いい気になってんじゃないわよ」  なにこの女。 いい気になってんのは、王子の婚約者の座を予定通り手に入れたあんたの方じゃないの?  「あ~ら! 私はあなたの方がうらやましくってよ、モニカさま! 晴れて王子の婚約者となられた方が、これ以上何かをうらやましがることがあって? 座ってるだけ手に入れた肩書きですもの、せいぜい大切になさるといいわ」 「言われなくてもそうするわよ。誰もがうらやむ第一王子のお妃になるのよ。これ以上の幸せがどこにあるっていうの?」  本当にくだらない。 私はこれまでの年月を、なんのために戦ってきたのだろう。 マリウスのことは嫌いじゃない。 だけど彼自身を取り巻く環境と、その荒波の渦中に飛び込んでいくには、私には覚悟が足りなかった。 そして彼自身も、私をそう決意させてくれるほどの熱量を見せてはくれなかった。 私にとっては、それだけが事実だ。 ソファから立ち上がる。
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