第壱夜 奇を見て知らざるは勇なきなり

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 ちょっと待っててと言って部屋を飛び出したクルミを待つこと十五分。私と幽霊少女の間には沈黙が流れる。最初の数分で沈黙に堪えきれなくなり、恐る恐る話しかけてみた。しかし、当然のように幽霊少女からの返事はない。まるで独り言のように感じて恥ずかしくなり、それからは私は一言も発せなくなった。ふたりでいるのにまるでひとり。でも実際はたったひとり。それでも私からしてみればふたり。何だか不思議な気持ち。  ちらりと少女を見る。やはり手を膝の上に乗せてただじっとしている。微かに動いたりもしていない。まるで時間が止まっているのかと錯覚するほど。ずっと同じ姿勢で辛くはないのだろうか。少女を見ているとそんな疑問が浮かんできた。私だったら同じ姿勢でいるのはかなり辛い。幽霊だって疲れてしまいそうな気がするけど、存外、そうでもないのだろうか。 「おっまたせー!」  扉が慌ただしく開かれて、クルミが飛び込んできた。両手に抱えていたビニール袋をテーブルにドンと置くと、中からジュースやお菓子を取り出して並べていく。てっきり利用時間の延長をしに行ったとばかり思っていたのだが、コンビニにでも行っていたのだろうか。 「大丈夫大丈夫! ちゃんと朝まで延長してきたから! それでさ、さっきの店員さんがもう面倒なんで朝まで勝手に使っちゃってくださいって言ってくれた! そいでそいで、飲み物とかいるでしょ? だから買ってきたんだ~」  私が不思議そうな顔をしていたからだろうか、聞かずとも一から十まで説明してくれた。あの店員ならそんなこと言いそうだけど、何だか凄く問題発言な気がする。本当に大丈夫なんだろうか。それに、ドリンクとかならオーダーすればいいんじゃないかと思ったが、自分でも何となく予想がついたので飲み込むことにする。廊下の掃除すら行き届いてない店なのだ。さらに対応してくれるのが不愛想で面倒臭がりな店員。となれば口に入れる備品の清掃をしているかどうか怪しく思うのが普通。だからわざわざ外に行って買ってきたのだろう。さすがクルミだ。抜け目がない。  断りを入れて、早速ミルクティーを手に取る。キャップを開け、ごくりとあおって喉を潤した。クルミはまた少女の隣に腰を下ろし、自分の分としてコーヒーを、そして少女の分としてオレンジジュースを並べる。それを見て、私はクルミの底知れない優しさに改めて驚かされた。幽霊にさえこういう気遣いができるから、クルミは皆から好かれるんだと。 「さあユイぽん! 準備は万端だよ?」 「さっき止めちゃったからクルミ行きなよ」 「バカバカ! こういうときは二人で、に決まってるのだ!」  そう言ってマイクを無理矢理渡された。懐かしい曲ばかりだからちゃんと歌えるか不安だけど、歌ってみなければ何も始まらない。頬を叩いて気合を入れて、スクリーンの前に移動したクルミに急いでついていく。ふたりで並び立ち、流れるメロディに合わせて微かに身体を揺らす。懐かしさが溢れ出し子どもの頃に戻ったような気がして、何だか不思議な気持ちになった。 『セピアいーろのー、おもーいでーさがしぃてー♪』  サビ以外はうろ覚えだったため、スクリーンに映る歌詞を見て思い出しながらクルミとふたりで一生懸命に歌う。間奏になるとちらりと少女を見る。さっきとは打って変わって手拍子をしてくれていた。相変わらず前髪のせいで鼻と口しか見えておらず、表情はよく分からない。  右目が私に見せた景色。内装は少し違ったけど、きっとこの209号室だと思う。そして、流れ込んできた熱い感情。もしかしたら、少女が求めているものかもしれない。私はそう考えた。だからこうして、少女が求めているものを私たちでもう一度見せてあげることができれば、少しは喜んでくれるかもしれないと。 『顔を背けーてぇ、泣いてるーでしょ? ほぉら、抱ーき締めーてあ・げ・るー♪』  間奏中にさっと水分補給するくらいで、ろくな休憩を挟まずに10曲目。私たちの周りに漂う熱気で、額には薄っすらと汗が滲む。クルミは少女に向けたパフォーマンスで動きっ放しのためすでに汗だくだ。それでも笑顔を絶やさないクルミを邪魔しないように、間奏になればお茶を渡してあげたりハンカチで汗を拭ってあげる。しかし、このまま歌いっ放し踊りっ放しでは倒れてしまうかもしれない。どこかで少し休んだ方が――。 『ふぅりかえーれば、そこーにはぁ、綺麗なー笑顔がーさいーてぇるぅ♪』  スクリーンの歌詞を目で追いながらそんなことを考えていると、つんつんとクルミに肩をつつかれた。どうしたのかと振り向くと、クルミは人差し指で少女を指し示す。何事かと思って少女の方を見る。すると、すぐにクルミが言いたいことが理解できた。手拍子だけだった少女は、いつの間にか微かに身体を左右に揺らして微笑んでいる。そんな変化に気を良くしたクルミは、とびきりの笑顔で大きく手を振って少女の応援に応えていた。
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