第壱夜 奇を見て知らざるは勇なきなり

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「ユイぽんの~ぽんぽんを~ぽんぽんします~。ユイぽんの~ぽんぽんを――」  謎めいたお経のような歌声が聞こえてきて、同時にお腹にごくごく軽く叩かれるような感触もある。薄っすらと目を開けると、先に起きていたクルミが歌いながら私のお腹を叩いていた。クルミのお腹ぽんぽんはまるで幼稚園の頃に先生が背中を叩いてくれたときみたいに落ち着き、何だかまた眠くなってくる。しかし、クルミが起きているのに私が二度寝するわけにもいかず、おはようと言いながら上体を起こした。 「ユイぽんおそようございます。ベッドを貸してくれてありがとうございます。おかげでウチはとってもよく眠れたであります」  ベッドの上で三つ指ついて大袈裟に頭を下げるクルミ。私は大きなあくびをひとつして、クルミの肩をぽんぽんと叩く。立ち上がって伸びをすると、溜まっている疲労を顕著に感じる。でも、私はこのごく弱い筋肉痛のような状態が嫌いではない。清々しい朝に、思い切り身体を伸ばすような気持ち良さがあるから。  時計を見ると、時刻は十六時を過ぎていた。お昼くらいには起きられると思っていたけど、結構しっかりと眠ってしまったようだ。どうしようか。お昼ご飯には遅いし、晩ご飯には早い。外へ行こうにも色々と限られてしまう中途半端な時間帯。とりあえず顔を洗うために洗面所へ。予備の新しい歯ブラシをクルミに渡して、二人で他愛ない会話をしながら歯を磨く。洗顔も済ませると、キッチンへ移動してお湯を沸かす。 「クルミはコーヒーでいい?」 「コーヒーが! いい!」  が、を強調するクルミに笑いつつ、ポットをセットした。悪いと思いつつもした提案を、まるで自分の希望のように伝えられると、提供する側も気持ちがいいものだ。細かいようでいて、大事な気遣い。クルミにソファでゆっくりするように促して、その間に淹れたコーヒーを持っていく。 「でもさ~、ユイぽんがこっちって分かってさ~、ホント嬉しかったんだよ? 初めての見えるフレンドだし、それがまさかのユイぽんなんだぽん! あ、なんだぽんって言っちゃった」 「私もだよ? いきなり変なモノが見えるようになって戸惑っててさ。でもクルミも同じって分かったときはホントに嬉しかった」  同じ趣味を持っている人がいると親近感が湧いて仲良くなれることは多々ある。それと同じで、同じ悩みを持っている人同士も仲良くなれる。特に、闇が見えるなんて特殊なことならばなおのこと。そして、さらにそれが元々大の仲良しであるクルミであったからこそ、その安心感も大きかったのだ。 「そういえばユイぽんはさ、なんで最近になって幽霊が見えるようになったのかな?」 「それがさ、私の右目には蛇の神様が宿ってるんだって」 「蛇? 蛇ってあのにょろにょろの蛇?」 「うん。もともとは母様……お母さんがくれたお守りがそれを抑えてたみたいなんだけど。私が二十歳になって大人になったぞ、って自立を自覚したからお守りの力を遠ざけたんだって。だからその蛇が目覚めて見えるようになったみたい」 「ほへー。なんかカッコイイね!」 「かっこ……いい?」 「うん。めっちゃカッコイイじゃん!」  かっこいい。クルミは両の拳を握り締めて目を輝かせる。これが何なのか。何のためにあるのか。どうしてほしいのか。そればかりを考えていて、そんなこと考えたこともなかった。 「……あの子が笑ったの、初めて見たんだよね。たまに顔を出して歌ってみることはあっても、いつも同じ手拍子ばっかりでさ。どれだけウチが全力出しても同じだった。だけどユイぽんがあの子を笑わせてくれてさ。ウチ、めっちゃ感動した。凄い。カッコイイって思ったんだ」  クルミが私の手を握る。ぎゅっと込められた力が、その言葉が本心だということを教えてくれた。どうして私が。そう心のどこかで思っていたこと。選ばれた、と言えば聞こえはいいかもしれない。でも、私はずっと普通に生きてきた。だからこれからもずっと普通に生きていくのだと信じて疑いもしなかった。それなのに、と。たまたま私だったことにきっと意味なんてない。もし私ではなかったのなら、他の誰かが選ばれていただけかもしれない。だとしても。  嘆くより、胸を張れ。  きっとそれが、クルミが私に伝えたいこと。考え方ひとつで世界が変わる。不運だと悲観して嘆いたところで、現実は何ひとつ変わらない。どころか、ただ心が無為に蝕まれて行くだけ。でも。私だからできることがあるならば。それがきっと私が生まれてきた意味にも、そして前に進むための道しるべにもなる。 「ありがとう、クルミ」 「お礼を言うのはウチの方だよ。ありがとね、ユイぽん」
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