第壱夜 奇を見て知らざるは勇なきなり

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「何かお腹空いちゃったね」  クルミが今までに見たことある闇の話を聞いたりしているうちに、いつの間にか時刻は十八時を過ぎていた。オールだったせいで食事の時間が狂ってしまっているが、いい時間になればお腹も空いてくる。奢りの予定だったのにカラオケでの飲食はクルミ持ちだったこともあって、帰る前に晩ご飯を食べていってもらおう。 「ユイぽんがお台所使っていいって言うならウチが作るよ?」 「ああ、ごめん。冷蔵庫の中空っぽなんだ」  料理が苦手なのを知っているためか、クルミは私を気遣ってくれる。しかし、冷蔵庫の中に入っているのはお茶や野菜ジュースなどで、およそ晩ご飯になりそうな物はない。今の時代、男か女かでどうこういうものではないが、私自身のこととなれば話は別だ。いい歳して得意料理がインスタント麺というのも恥ずかしくなって、伏し目がちに答えた。 「近くのファミレスとか? あ、せっかくだから出前頼んじゃう?」 「出前は余計高くついちゃうからね。ファミレスにしよ!」  言うが早いか、クルミは鞄からポーチを取り出してぱたぱたと用意を始める。私は寝室に戻って寝間着を着替え、鏡で髪型を軽く整えた。コンビニと違ってファミレスに行くとなればドスッピンのままはさすがにまずいだろうか。かと言って誰かに会うわけでもないため、とりあえずアイメイクだけで大丈夫だろう。  用意を済ませてクルミとふたりで家を出る。鍵をかけてエレベーターを待つ間、どこのファミレスに向かうかを話し合う。最寄りのファミレスは歩いて五分程度だが、クルミの家とは反対方向になる。それなら少し遠くてもクルミの家に近い場所の方がいい。独自のメニューで食べたい希望が特にないのなら、ファミレスなんてどこも似たようなメニューだし。通り道であればクルミを家へ送り届けるのも楽になる。 「ねえ、ユイぽん」 「どうしたの?」 「あそこの街灯にいるアレ、見える?」  エントランスから出て道路を歩いていると、不意にクルミが立ち止まって声を潜める。視線の先を見ると、五十メートルほど先に黄色い帽子を被り紫のランドセルを背負った、白いシャツにベージュの短パンの小学一年生だろう子どもがいた。その子が街灯の腰辺りの高さに、まるでコアラのように抱きつき空を仰いでいる。秋めいてもう暗くなってきているのに、こんな時間にたったひとりで何をしているのだろうか。 「あの幽霊には近づかない方がいいよ」 「あの子、幽霊なの?」 「うん。危ないタイプの」  クルミには何か感じるものがあるのだろうか。私からしてみれば多少変わってはいるものの、クルミが言うほど危険そうには見えない。むしろ、生きた人間だとさえ思える。クルミはあれが闇だと分かるのに、どうして私にはそれが分からないのか。怖い話ではよく生きている人間と区別がつかないモノもいるとは聞くものの、それならクルミも区別はつかないはずなのに。影がない。なんてのも聞くけど、あの子にはしっかりと影があるし、血塗れというわけでもない。見れば見るほど生きている人間にしか見えないのだ。ベテランならではの見分け方があるのだろうか。 「普通の小学生にしか見えないんだけど、どうやって判断してるの? 今後のためにも教えて欲しいな」 「色々なタイプがいるから一概にこうだとは言えないけど、あれは結構分かりやすいよ。ユイぽんはさ、あの子のランドセルのロゴが何か分かる?」 「ロゴ?」  言われてランドセルを見る。後ろからではなく横寄りの角度のためぎりぎり見えるくらいだが、カブセの右下に飛び跳ねている鹿のマークがある。時期になればコマーシャルでよく見る、軽くて丈夫なランドセルでお馴染みの会社のロゴだ。実在する会社のもので、別におかしなことは何もない。 「鹿のロゴ……だよね? どこかおかしいところある?」 「そうそう、鹿のやつ。ところでユイぽんは視力いくつだっけ?」 「両目とも1.0だけど、それがどう――」  そこでハッと気がついた。あの子どもとは五十メートルは距離があるのに、ランドセルのロゴがはっきりと見えるのはおかしい。 「幽霊の中にはさ、遠くにいるのにはっきり見えるのがいるんだ。人通りが多い交差点でさ、前から歩いてくる通行人の存在なんかぼんやりとしか認識してないのに、やけにはっきりと見えるのも似たようなタイプだよ。そういうのは結構危ないのが多いから、避けるのが無難かな。あの子がどうして危ないかは、カラオケのときにも言ったのと同じで感覚的なものだからあんまり上手くは言えないけど」  あんまりじろじろ見てたらこっちに気がつくかもしれないと、クルミに背中を押されて道を変える。目を逸らす寸前、空を仰いでいたあの子の首が歯磨き粉を絞り出すように伸びて地面に落ちた気がするが、さすがにもう一度確認する気にはなれなかった。気のせいだと自分に言い聞かせ、頭の中からその必死で光景を振り払った。
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