第壱夜 奇を見て知らざるは勇なきなり

10/16
前へ
/49ページ
次へ
 ファミレスに到着して、禁煙席に案内してもらう。席に深く腰掛けると同時に大きく息を吐きだした。私の気持ちを察したクルミは苦笑いを浮かべている。渡されたおしぼりを受け取り、手を拭きながらここまでの道中をぼんやりと振り返った。  小学生の子どもを避けて通ったあと、何体かの闇に遭遇した。口の中からカラカラと音を出し続ける人形だったり、横断歩道の真ん中に突き出た手だったり、塀に張りついた女性の横顔だったり。特に害はないモノもいれば、近づくだけで危険なモノもいる。遭遇するたびにクルミに教えてもらいながら、何度も何度も回り道をするはめになってしまった。 「なんかさ、多くない?」  メニューに目を落としながら、正直な気持ちを吐露する。暗くなったからということもあるのかもしれないが、闇というのはこんなにもそこかしこにいるものなのかと。もしかしたら気づいてなかっただけで他にもいたのかもしれないし、下手をすれば生きている人間と同じくらいいるのではないかとさえ思う。正直、予想以上の数だった。 「日にもよるし時間帯にもよるし場所にもよるし、かな。やっぱり夜になるとぐっと増えるし、墓地なら朝とかも結構うろうろしてるし、お盆になると行列ができたりするし……」  人類の歴史は長い。気が遠くなるくらい以前から、何度も何度も生と死が繰り返されている。輪廻転生というものが存在しないのなら、表層の薄い生は、その下に広がる夥しい死で支えられているのだろう。もし輪廻転生というものが存在するのなら、繰り返すうちに、生を得られずにこぼれ落ちてしまう死がある。だからこそ。ソレらはそこかしこに在るのかもしれない。  世界の半分は死で出来ている。  もしかしたら、それ以上かもしれない。きっと、私たちにはまだ見えていないモノが沢山あるのだろう。重なっている世界の表と裏。見えるようになって初めて世界の裏が。こぼれ落ちた死というモノが。こんなにも身近に感じる。今もふと後ろを振り返れば何かがいそうな気さえするのだ。怖くないと言えば嘘になる。でも、しっかりと慣れていかないと、誰かを傷つけるなんてことはしたくない。たとえ死んでもだ。 「ウチは鉄火丼で! ユイぽんは?」 「私はエビドリアかな」 「フリードリンクにする? コーヒーにする?」 「んー、アイスコーヒーにする」 「オッケー、じゃあ鉄火丼とエビドリアとアイスコーヒーふたつで!」  テキパキと注文をしてくれる頼りになるクルミ。見た目は私が上に見えるのに、まるでクルミが母親みたいだ。闇と遭ったときも全部クルミが先に気づいてくれたし、率先してどうすればいいか教えてくれた。こんなに小さくて可愛くても、私なんかよりずっと頼りになる。でも、何だか不安になった。クルミを駅まで送ってひとりでの帰り道。きっとまた闇と遭遇することになるだろう。そのとき、私はソレに気がつかないかもしれない。危険なモノに不用意に近づいているかもしれない。もし何かあったら蛇が私を守ってくれる。それでも、やはりあの黒い靄のことを考えれば怖さや不安に苛まれてしまう。 「ユイぽんには神様がついてるんだから大丈夫だよ。あとウチもいるし」  私が変な顔をしていたからだろうか。そう言ってクルミは笑顔になった。気休めなんかではなく、心から安心できるような。蛇とクルミ、そして母様もいてくれる。それはきっと、見える人たちの中でも群を抜いて幸運なことなのだろう。現に、危ないところを助けてもらったり、そもそも触れずにいることができている。何も知らなければどうなってもおかしくはないのに。 「ありがとう」  クルミの手に私の手を重ねて、感謝の言葉を伝える。ひとことでは全く足りないけど、その分精一杯の気持ちを込めて。改めて理解できたこの恵まれた環境で、嘆いてばかりはいられない。誰の助けも借りられない人にも、私を助けてくれる人たちにも失礼になってしまうから。 「きたきた~♪」  注文した品が届くと途端に顔を輝かせるクルミ。お刺身に目がないクルミは、ご飯の上に盛りつけられたマグロを見て、早速口の端にたらりとヨダレを垂らしている。私のエビドリアは時間がかかるのだろうかまだ到着しない。それはいいのだけど、クルミは気を利かせてエビドリアがくるまで待っているつもりのようだ。先に食べていいよと促すとクルミは手を合わせ、いただきますをする。嬉々としてワサビを溶かした醤油を回しかけると、ぱくぱくとご飯を頬張り始める。クルミは職業柄、激しく踊ったり大きな声を出さなければならないため、小柄な体躯の割には食べる方だ。何でも美味しそうに食べるし、クルミの食べているところはずっと見ていても飽きることはない。 「お、私のもきたみたい」  遠くからエビドリアが運ばれてくるのが見えた。テーブルに置かれたまだふつふつと音を立てているエビドリアにクルミの視線が注がれる。鉄火丼と違い、エビドリアは匂いが強い。ふわふわと漂う美味しそうな匂いに釣られてしまうのは仕方ないことだ。  スプーンでドリアの端から大きなエビを含めて掬い、火傷しないくらいに冷めるのを待つ。そして、そのドリアが乗ったスプーンをクルミの口に向かわせた。遠慮がちに口を開けたクルミだったが、いざ口を閉じてエビドリアを味わうと、んー、と大きく目を開いて親指を立てる。美味しいのサインだ。それじゃあ私も。 「いっただっきまーす」
/49ページ

最初のコメントを投稿しよう!

19人が本棚に入れています
本棚に追加