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 意識が泥のそこからゆっくりと引き上げられていく。意識が覚醒していくのを感じて、恐る恐る目を開いた。目の前には真っ暗な空間が広がっている。視線を左に動かすと、遮光カーテンの隙間から仄かな月明かりが差し込んでいた。どうやらもう夜になってしまったようだ。  起き抜けのだるさを残す身体を無理矢理起こし窓へ近づく。少しだけ逡巡したのち、意を決してカーテンを勢いよく開いた。祈るように視線を夜空から黒い靄がいた電信柱の影へと移す。すると、そこには黒い靄がいた。街灯は届かず薄暗いにもかかわらず、はっきりとその輪郭を確かめることができる。  ああ、やっぱり。  落胆の息を漏らす。まだ私は悪夢の続きを見ている。現実の世界にいながらも、見えてはいけないモノが見える悪夢。私にしか見えない悪夢。明日、また病院へ行こうかな。治るかどうかは別として、これが病気なのかどうかだけでも知っておきたい。壁に背中を預けて力を抜き、ずるりと摩擦で背中が熱くなるのを感じながら床に座り込んだ。  これから私はどうなるんだろう。もう前のようには生活できないのだろうか。友人にも正気を疑われてしまったし、私も私が信じられない。二十歳になって大人の仲間入りをしたと浮かれていたそばからこれだ。他の誰もこんなことにはなっていないのに、どうして私だけ。私が何をしたというのだろうか。  ピコン。  枕元に置いていたスマホが鳴った。四つん這いになり手を伸ばしてスマホを掴むと、戻ってまた壁に背中を預ける。スマホのロックを解除してトークアプリを開くと、クルミから三十件のメッセージが届いていた。誕生日女子会が終わってから大学を休んでいるし、連絡も取れないしで心配してくれているようだ。  (みなみ) 胡桃(くるみ)は弾けるように明るく、お節介が大好きな子だ。頭がいいのにちょっと天然なところがあり、小さな子どもみたいに放っておけない存在。友人の中では一番付き合いが長く、大の仲良しだ。  大丈夫、心配してくれてありがとう。そうメッセージを返そうとした瞬間、新たなメッセージが届いた。既読がついたことに安心して、電話ができるかを問う内容だった。クルミの声を聞けば安心できるかもしれない。しかし、どう話せばいいのかが分からない。いきなりこんな話をされたら、きっとクルミが困ってしまう。心配してくれているのに断るのも気が引けたけど、これ以上心配はかけまいと、用事があると言って断った。何かを察してくれたのかそれ以上は深追いすることはせず、何かあれば言ってね、と引き下がってくれる。  スマホをポケットに仕舞い、首にかけている母からもらったお守りを握り締める。心なしか、誰かと会話できたことで私はまだ大丈夫という安堵が大きくなった。それと同時に、場違いな勇気とでもいうのだろうか、そんな無謀な気持ちも少しだけ顔を覗かせた。  黒い靄の正体が知りたい。  頭の中をそんな考えが支配する。あれがもし、私の病気とは何の関係もないのだとしたら、それはつまりきっと私は正常なのだ。それを証明する方法なんて何も思い浮かばないけど、幻覚なら触れれば消えてしまうかもしれない。幻覚ならば所詮、私の頭が作り出した幻に過ぎないのだから。そこには本来何もない。何もないはずなのだから。  どうせ夜だから化粧は必要ない。ただ少し外に出るだけだから、いちいち着替えるのも面倒だ。ヘアゴムで雑に後ろ髪をまとめて、ラフなシャツとストレッチパンツのまま外へ出た。
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