第弐夜 往けば怪路の日和あり

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第弐夜 往けば怪路の日和あり

 土曜日。朝の支度を済ませてバイト先へ向かう。私のバイト先は真田(さなだ)ご夫妻が営むこども食堂で、主にウェイトレスをしている。ただ、バイトと言ってもバイト代が出るわけではなく、実際には無給のボランティアスタッフという立ち位置。これは、母に大学費用とひとり暮らしをするための出資、そして生活するための仕送りをしてもらうときに交わした約束があるためだ。  当初、生活費はバイトでどうにかすると話していたのだが、仕送りをする代わりに無給のボランティアをしなさいと言われた。そのため、最初は街頭清掃やリハビリ補助などを見つけて参加していた。しかし、段々と安価でも日給がある募集が増えたり、無給の募集でも都合がつかないことが増えてきた。そんな中、見つけたのがこのこども食堂のボランティア。同じ場所で継続的に参加できて無給という、私にとっては願ってもない条件だった。  すぐに電話して事情を説明すると、何度もお礼を言われるくらい感謝されてしまった。こども食堂は子どもの孤食問題の解決や親同士のコミュニケーション促進を目的として、安価または無償で栄養ある食事を提供している。儲けを得るために経営をしているわけではないため、後ろ盾のない個人経営だと有給のバイトを募集することが難しい。企業や自治体と連携して支援を受けているところもあるが、それでも人員不足を補うほどの支援には至らないことが多いのが現実である。  電車を降りて通りを歩く。十分ほど歩くとオフィスや百貨店などは徐々に姿を消していき、住宅街に出る。さらに歩くこと数分。目的地であるこども食堂へ到着した。二階建ての住宅を改装したそうで、一階部分が広々とした食堂で、二階が真田ご夫妻の居住区となっている。 「おはようございま~す」 「ああ、ユイちゃん。おはよう。今日も可愛いわね」  食堂に入って挨拶をすると、テーブルを拭いていたコズエさんが笑顔で迎えてくれる。長い髪を結ったお団子ヘアと割烹着姿が相変わらず聖母のようで眩しい。コズエさんは四十歳を目前にしているそうだが、いつみても二十代後半に見えるくらい若々しい。以前、若さの秘訣を聞いたことがあるのだが、人生を楽しむことだと言っていた。もともと、夫婦ふたりでこども食堂を立ち上げるのがコズエさんの夢だったらしく、夢が叶って毎日がとても幸せだと笑った。 「大将は裏で仕込みですか?」 「ううん。いつもの場所でお弁当配り」 「ああ。そういえば週末ですもんね」  公園で子どもたちに向けて、お弁当を無料で配布するのがコズエさんの言うお弁当配り。土日も親が仕事に追われて家にひとりでいる子どもたちへ、栄養あるご飯を食べて欲しいと毎週末の朝夕に配布しているのだ。朝の配布ではついでに、もし親御さんが遅くなるなら晩ご飯も食べにおいでと子どもたちへ呼びかけている。  家庭の孤食問題は私が考えるより根深く、子どもも親も様々なタイプがいる。誰かと一緒に食べたがる子もいれば、ひとりで食べたい子もいる。昼夜問わず働き詰めの親もいれば、食費を浮かせるために子どもを使って食堂に甘え続ける親もいる。本当に困っているかどうか、それは実際に介入してみなければ分からないことが多い。それでも。たとえいいように利用されていたとしても、真田ご夫妻は誰に対しても分け隔てなく笑顔で食事を与え続ける。制限をすれば本当に困っている人にも行き届かなくなるからと。お腹が空いているのならこれを食べなさい。相手が誰であれ、そう言って何も聞かずに食事を出す人たちなのだ。  ご夫妻が作る食事はまかないという形で私も食べさせてもらっているのだが、どれもこれも本当に唸るほど美味しい。お腹が空いているときに食べる美味しい食事は、栄養を与えてくれるだけでなく心も満たしてくれる。お腹と心が満たされると笑顔になれる。そうすると、人に優しくなれる。だからここは、孤独で寂しい世界を優しさと美味しさで包み込んで変えてくれる魔法の食堂なのだ。 「コズエさん。それ、私がやりますよ」 「本当? ありがとう。それなら少し早いけど開店準備するわね」  パタパタと裏へ走っていき、暖簾を持って表へ出る。通常、食堂の開店時間は十一時から。今の時刻が十時であるため、普段と比べて一時間も早い。普通ならあと一時間しっかり準備などに使おうとか、ちょっとのんびりしようと考えるだろう。しかし、コズエさんはせっせと開店準備を始めている。その姿を見て、本当にこの仕事――と言っていいかは分からないけど――が好きなんだなと改めて思い知らされた。
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