第弐夜 往けば怪路の日和あり

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 いつもより一時間早い開店だというのに、数分もすれば食堂は親子連れで賑わう。ご飯の味も近所で美味しいと評判なせいか、大人だけでやってくることある。そういった人たちは大概が子ども好きだけど子どもがいない人たちで、ひとりで来ている子どもたちとコミュニケーションしながら食事をしてくれる。さらには、無償で提供しているところを食堂への支援目的で、ぽんとお札を置いていってくれたりもするのだ。ご厚意でいただいたお金に関してはありがたく頂戴した上で、子どもたちへ美味しい食事として還元されていく。  ここで働かせてもらい始めた頃は、安価ならまだしも、いくらなんでも無償はやりすぎなのではないかと思っていた。善意は悪意に蝕まれて、すぐに枯渇してしまうのではないかと。実際、口には出さないがそういう目的の人がいるのは紛れもない事実。しかし、訪れる人たちを見て、私は人の温かさというものを改めて知ることができた。奪っていくだけの人よりも、応援し与えてくれる人たちの方が圧倒的に多かったのだ。  特に驚いたのはお年寄りたちからの支援。孤独に震える子どもたちと同様、身寄りのないお年寄りたちも孤独を恐怖している。そのため、食堂に足繁く通うことで適度な運動をしつつ美味しい料理を食べることができ、さらには子どもたちと交流することで元気をもらうことができるという。常連のお年寄りが顔を出さないと誰かが心配して家に寄り、倒れているところを発見して一命を取り留めることができたりと、食堂の存在意義をより強固なものにしてくれる。そして、それに感謝して未来ある子どもたちのために自分たちもと、さらなる積極的な支援を買って出てくれる。  ――隠し味はたっぷりの愛情。  大将とコズエさんが仕込みをするとき、合言葉のようにいつも口を揃えて言う。ありきたりな合言葉であり、溢れんばかりの愛言葉。隠し味という割には全然隠しきれてないし、どころか全面に押し出されてしまっているけど。 「どう? 今日のも美味しい?」 「ユイ姉ちゃん! 今日もご飯すげー美味しいよ!」 「ふふ、ありがと。沢山食べて大きくなりなよ~」  配膳しながらも子どもたちへの交流は忘れない。暗い顔をしていないか、アザなどの怪我はないか。虐待の兆候を見逃さないよう、子どもたちひとりひとりに注意を払う。金銭的な事情などで働き詰めになっている場合と、ネグレクトは見分けがつきにくい。リモートワークも増えてきて、家に親がいるのにご飯がでないということも、忙しいからそうなのか、意図的にそうしているのかは判断ができない。親の事情を子どもたちが熟知しているはずもなく、かと言ってずけずけと深入りするわけにはいかない。だからこそ、表情や分かりやすい怪我などに注意するのだ。 「どうしたの? 今日は元気ないね」  親御さんと一緒に訪れることが多い奈々子(ななこ)ちゃんが、今日はひとりで来て浮かない顔をしている。大好物のオムライスなのに、チキンライスを掬って落としたり卵の端をつついたり。明らかに元気がないため、何かあったのは間違いないだろう。しかし、この子の親御さんはとても良識ある人で、わざわざ差し入れまでしてくれるし虐待の心配なんてまったくないと思うけど。友達と喧嘩したとか、そんなところだろうか。 「あのね、ナナ……昨日とその前に、二回も連続で学校に遅刻しちゃったの」 「寝坊でもしたの?」 「ううん。道に迷っちゃったの」 「迷った? 寄り道しちゃったの?」 「ううん。でも迷子になっちゃって……」  奈々子ちゃんは今年で小学二年生。引っ越ししたという話も聞いてないし、いつもの通学路で寄り道をせずに道に迷うことなんてあるだろうか。寝ぼけていつもとは違う道に入ってしまったのかもしれない。しかし、奈々子ちゃんは一年生のときに皆勤賞だったと自慢していて、二年生でも皆勤賞を目指していた。だからこそ、遅刻して皆勤賞がなくなってしまったことは人一倍ショックなのだろう。 「学校に行く途中、誰かがナナを呼ぶの。誰かなって思って振り返るの。そしたら迷子になるの。ずっとナナを呼んでて、それで怖くなって走るの。少ししたら声が聞こえなくなって、いつの間にか学校に着くの。でも、時間が過ぎてて遅刻しちゃうの」  悲しそうに語る奈々子ちゃんの頭を優しく撫でた。慰めたところで皆勤賞は返ってこないため、その顔に笑顔が戻ることはない。それはいまさら仕方のないことだけど、奈々子ちゃんの言葉は不可解だ。呼ばれて振り返ると迷子になる。奈々子ちゃんを呼んでいるのが友達であれ不審者であれ、名前を呼ばれて振り返るだけで迷子になったりはしない。そんな不可思議なことが実際に起こっているのなら、そこには闇が関わっているのだろうか。 「ねえ、奈々子ちゃん。今日はお姉ちゃんがお家まで送ってあげよっか?」 「ホント? 今日はママが忙しいから寂しかったんだ」  確かめてみる必要がありそうだ。もし、私の気のせいならそれに越したことはない。何もなければそれで安心ができるのだから。
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