第弐夜 往けば怪路の日和あり

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 精霊路の入口前にふたりで立って、少し考える。威勢よく踏み出したはいいものの、どうやって中へ入るのかは不明。当然、クルミも精霊路の存在は知っていても入ったことはない。このシャボン玉の表面のようにぐにゃぐにゃと歪んでいる場所を突っ切ればいいのだろうか。  うだうだ考えてばかりもいられないと、そっと手を伸ばしてみる。何の感触もないまま、するりと腕が通り抜けた。引き抜いて確かめてみるが、腕には何の変化もない。通り抜けようとした瞬間に別世界に飛ばされるみたいなことはなさそうだった。まあ、奈々子ちゃんも見知らぬ場所だったとは言っていなかったし、迷い込んだことにすぐには気がつけないくらいには似ている構造になっている可能性が高い。 「せーのでいこ! せーので」  繋いだままの手をぶんぶんと勢いよく振る。何だか少しだけ楽しそうなクルミに、段々と不思議な気分になってきた。今から向かおうとしているのは得体の知れない空間である。影響がなかったとしても、本来ならば不安や恐怖の方が大きいはずなのに。まるでピクニックにでも行くかのような雰囲気だ。 「じゃあ行くよ? せー……のっ!」  クルミの掛け声に合わせて、ぴょんとふたりで入口に向かってジャンプ。全身で入口を通過して地面に着地する。タン、という音がトンネル内に短く響いた。身体に異変を感じたりすることは全くなく、辺りを見回してみても何の変化もない。拍子抜けすると同時に、本当に精霊路に入ることができたのか疑問が浮かぶ。クルミへ視線を送ると、同じ気持ちなのかぽてっと首を傾げる。 「何か……よく分かんないね」 「ま、まあ……奈々子ちゃんと同じように学校に向かってみよっか」  いつまでもこの場でじっとしていても始まらないため、ひとまずは適当に歩いてみるのがいいだろうか。学校までの道のりはスマホのマップアプリを利用して調べてみれば、五分も歩けば到着するような距離だった。とはいえ学校の場所が分かっても、奈々子ちゃんたちが普段通っている正規の通学路までは分からない。そのため、マップアプリが示す最短ルートを通っていくことになりそうだ。  トンネルの反対側へ出るために一歩を踏み出す。その瞬間、つま先でコツンと小石を蹴飛ばしてしまう。ころころと軽い音を立てながら転がった小石は、最後には柵の隙間を抜けてぽちゃんと川へ落ちた。 「ねえ、ユイぽん?」 「うん。私にも分かる」  前方を見据えたまま動かず、クルミの問いに答えた。さっきまでは何も感じなかったはずなのに、今はひしひしと視線を感じる。小石を蹴飛ばして音を立ててしまったから起こしてしまったのかどうかは分からないものの、突如として訪れた変化に緊張してしまう。どこから見られているのかは定かではなく、様々な方向から沢山の目で見られているような感覚。ただ、それに対しての不快感はどうしてかあまりない。邪気がない、とでも言えばいいだろうか。  ――ゆーいーちゃん。  ――くーるみちゃん。  背後から名前を呼ばれる。幼い声色なのは確かだが、奈々子ちゃんが言っていたように男女の区別はつかない。耳を優しくくすぐるような、鈴の音にも似た透き通る声色。こんな場所や状況でもなければ、綺麗な声だと思うことは簡単だっただろう。しかし、こんな場所に似つかわしくない綺麗な声だからこそ、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。 「なーあーに♪」  どうしようかと考えていた矢先、クルミはにっこり笑顔で振り返った。その様子に驚いていた私の脇を、クルミが急かすようにつんつんと突いてくる。 「ほらほら、ユイぽんも」 「え? わ、私も?」 「当ったり前っしょ! はやくはやくぅ」 「あ、ああ……えと……な、なーあーに?」  ひきつった笑みを貼りつけて、言われるがままに振り返る。しかし、そこには誰の姿もない。それを理解した途端、返事の仕方までクルミの真似をする必要はなかったな、と恥ずかしさが込み上げてきた。顔が熱くなっていくのを感じながらも、頭を振って気を取り直す。  奈々子ちゃんが言っていたのは呼ばれて振り返ったあとも名前を呼ばれ続け、怖くなって逃げたということ。しかし、私たちは逃げるためにここにきたのではないため、この声の主を探さなければならない。とはいえ、声は聞こえても姿が見えない相手をどうすれば見つけられるのか。そもそも、何かしらを模った姿があるとも限らないのだ。もしかしたら空気のように透明で、今も私たちの目の前にいるのかもしれないし。  ――ゆーいーちゃん。  ――くーるみちゃん。  今度は頭上から落ちてくるような呼びかけ。咄嗟に見上げても、やはりそこには何もない。このまま名前を呼ばれ続けるだけでは一向に話が進まないし、どうにかしなければ。ひとまず、当初の予定通りに神様に精霊路の移動をお願いしてみるのがいいだろう。普段皆がやっているような神頼みのノリでいいのか、それとも実家の神社でご神体を扱う際にやっていたような丁重さが必要なのか。実際に神様を相手にするのであれば後者が正解な気もするが、幼い神様だったらどう対応するべきなのだろう。敬意を払うことは当然として、フランクな接し方の方が効果的かもしれない。なんてことを考えていると、クルミがすうっと息を吸い込んだ。 「かーみさま、あーそーぼっ!」
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