第弐夜 往けば怪路の日和あり

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 スマホのトークアプリで、クルミに神様への違和感や不安をメッセージにして送信してみる。少しだけ様子を見て既読がつかないようなら、顔を出してスマホを振りアピールしてみようかと考えていた。しかし、ものの数秒で既読がつき、返信がくる。どうやらクルミは私以上に不安を覚えているようだ。私の背後を通り過ぎたとき、肌がピリピリするような痛みに襲われたという。これは明確な害意を持っている強い闇が近くにいる場合に感じることが多く、今回のは今まで感じた痛みの中でもかなり強い方なのだそうだ。  手がじっとりと汗ばんでくる。もう神様の声はすぐそこまで迫っているため、この空き地へ入ってくるのも時間の問題だ。見つからないことを祈りつつ、隙をみて精霊路から脱出を試みるのが得策だろうか。かくれんぼを始めてしまった以上は簡単に出してくれるとも限らないが、大きな危険が伴うのならばもう少し対策を考えなければ――。  ――ここにいるの?  クルミへの返事を送ろうとしていると、すぐそばで神様の声が聞こえてドキリと心臓が跳ねる。やり取りに夢中になっている間にもう空き地へと入ってきてしまっていたようだ。スマホをぎゅっと握り締めて、神様の声がする方へ耳を傾ける。  とてとて。とてとて。  私たちを探し回っているのだろう。空き地を走り回る軽やかな足音が聞こえた。それは入口の方から少しずつ、私たちの方へと近づいてきている。ここまで危険だとは考えていなかったため、虫が少ないからとクルミを土管に隠れさせたことを後悔してしまう。ただの大きな筒である土管なんて、横から覗き込めば簡単に見つかってしまうのだから。きっとクルミが先に見つかってしまうため、そのときは私もクルミのもとへいかなければ。  ――この中かな?  必死の祈りも虚しく、まだまだ諦めてくれる様子はない。殆ど何もない空き地において、中を確かめる場所など土管しかないだろう。バッと茂みから顔を覗かせてクルミの方を見遣る。そこには今まさにクルミが隠れている土管を覗こうとしている神様らしきモノの姿があった。しかし、その姿は予想していたよりもはるかに清い、赤い質素な浴衣を着た幼い子ども。性別は定かではないが、おかっぱ頭と花飾りから恐らくは女の子だろうと予想できるくらい。まあもっとも、神様に性別というものがあればの話だが。  ――くるみちゃんみ~つ……あ!  土管を覗いた神様がクルミを見つけ、それを宣言しようとした瞬間のことだった。神様の小さな背中にどこかから飛んできた白い糸がぴたりと張りつく。ふわりと浮いた神様の身体は、白い糸に引っ張られて地面を引きずられていった。神様が引きずられていく方向へ目を遣ると、そこにいた不気味なモノに息を呑んだ。  そこにいたのは、なんと異形の蜘蛛だった。  大枠の形は蜘蛛ではあるものの、八本ある足のうち、前の二本だけ人間の腕になっており、頭部には沢山の目が蠢いている。体は全体的に黒色で、背中にうねる波のような茶色の模様。青白いどころか紫色にも見える人間の腕は、人間のそれよりも関節が幾つか多い。ぎょろぎょろと蠢く沢山の目の下部にある口であろう箇所からは、ひゅるひゅるひゅるひゅると擦れた口笛のような音が発せられている。トラックにも匹敵する大きな体躯を持つその蜘蛛は、一目見てこの世に存在していいモノではないことは明らかだった。  後ろ足を塀にかけ斜めになったまま、サソリのように反らせたお尻の先から放った白い糸で神様を捕らえている。神様を手元まで引きずると、前二本の大きな手で器用に転がして全身を糸で包んでいく。暴れる神様の全身を糸でぐるぐるに包み終わると、ひょいと背中に乗せた。  ――たすけて、たすけて。  神様は蜘蛛の背中で繭にされてもごもごと必死で暴れているが、蜘蛛糸は強力なのか全く出てくる気配はない。ただの子どもではなく神様なのであればどうにかできそうな気もするが、だんだんと心配になってくる。あの蜘蛛は闇への知識がない私でも危険だと簡単に察することができるため、もしかしたら神様ですら歯が立たない程なのかもしれない。 「あ……!」  神様を捕まえて満足したのか私たちには目もくれず、蜘蛛は家々を乗り越えてあっという間にどこかへと姿を消してしまった。 「ユイぽん」  クルミに声をかけられたことでハッと我に返った。クルミを見れば、難しそうな顔をしている。きっと、私も同じ顔をしているのだろう。 「ねえクルミ、あれが何か分かる?」 「ううん。あんなの初めて見た。手帳にもあんな蜘蛛のことは書いてなかったし……。でもめっちゃヤバい奴だってことだけは分かる」  クルミの手帳にも載っていないのなら、それだけ珍しい闇ということなのか。あの蜘蛛への対処方法が分からないし、相手の力は神様を簡単に捕まえてしまうくらい強い。さっきは運よく私たちを見逃してくれたが、次もそうであるとは限らないのだ。それならば一刻も早く逃げるのが得策だろう。 「……」 「……」  だがしかし。早くここから逃げよう。私もクルミも神様の助けてという言葉が頭にこびりつき、それを口に出せないでいた。
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