第弐夜 往けば怪路の日和あり

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「私、助けに行く。クルミは精霊路の外で待ってて」  重苦しい雰囲気を切り裂いて声を上げる。あの蜘蛛が神様を捕らえた理由は分からないけど、食べる以外で思いつくことはないし、そうでなかったとしても無事でいられる確率は低いだろう。そして、時間が経ってしまえば手遅れになってしまう可能性だってあるのだ。うだうだ考えている暇なんてない。 「何言ってるの!? ウチだって行くよ!」  走り出そうとする私の腕をクルミが掴んだ。しかし、私はクルミの腕を解いて静かに首を振る。気持ちはありがたいけど、一緒に行くわけにはいかない。あの蜘蛛がどんなに危険な闇なのか。それが分からない以上、クルミを連れていくのは危険だ。 「ううん。クルミにはお願いがあるの」 「お願い?」 「うん。クルミのお母さんに連絡を取ってほしいの。手帳に載っていなくても知っている可能性はあるし、もしかしたら何か対処方法が分かるかもしれないから」 「それはそうかもだけど……ユイぽんひとりじゃ危ないじゃん!」 「大丈夫。私には、蛇がいるもの。蜘蛛なんてパクっと丸呑みにしちゃうんだから」  そうだ。私には蛇がついている。危険な目に遭ったとしても、きっと蛇が助けてくれると思う。もちろん、神様を簡単に捕まえて連れ去っていくような相手だ。どうにかできるという保証はどこにもない。母が言っていたように、私の目に宿る子蛇も私と同い年であり神様としては幼いのだ。どうにもできない可能性の方が高いだろう。  だがしかし。もし、どうにもならないときはこのお守りを壊してしまえば。そうすれば、どうにかできるかもしれない。代償としてもっと色々な闇が見えてしまうことになるけど、そんなものは助けを求める神様と天秤にかけるまでもないことだ。  後悔はしたくない。目の前に助けを求める者がいるのなら、見殺しにすることなんてできない。死力を尽くさず目を逸らし背中を向けて。仕方なかったなんて自分に言い訳し続けるなんて。そんな惨めな十字架を背負って生きていくくらいなら、いっそ、今ここで死んだ方がマシだとすら思う。 「わかった。何か分かったら電話するね。でも、くれぐれも無理だけはしないで。約束」 「うん。約束」  真剣な眼差しを向けてくるクルミを安心させるように笑顔で、指きりをした。クルミが出口へと向かいながらスマホを取り出す。連絡を始めたことを確認してから、私は入口に向かって走り出した。  蜘蛛が姿を消した方へ走り出して数分。肩で息をしながら立ち止まり、呼吸を整えるために吸っては吐いてを繰り返す。虫の声さえ聞こえない静寂の中で、私の呼吸音だけがいやに響いている。  周囲を見回してみても、蜘蛛が通った形跡は見当たらなかった。足跡や蜘蛛糸を残しながら進んでくれているのなら行先も分かるのだが、そうでもなければどこに行ったのかは皆目見当がつかない。このまま無闇に探し回っても見つけられそうにもないため、どうにかして手掛かりを掴む方法を考えなければ。 「高いところに登れば……いや、さすがに無理かな」  ここは民家の立ち並ぶ住宅街の真ん中であって、近くには簡単に出入りできそうな高い建物はない。少し遠くにマンションがあるが、そこまで行くには時間もかかる。それに、建物への不法侵入はなるべくなら避けたいところ。どこが精霊路の終わりかも分からないし、そもそも登って落ちたりすると危険だ。  涼しい季節になった夜ともなれば寒さすら感じるはずなのに、疲労と焦りでじんわりと汗が滲む。その場で食べることをせずどこかへ消えたのは、すぐに食べる気はない、もしくはどこかに蜘蛛の巣があってそこで食べるつもりなのだとは思うが。今は満腹で保存食として捕えているのなら、すぐにはどうこうされることはないかもしれない。しかし、それは希望的観測に過ぎないためそれに縋るわけにもいかないが、蜘蛛を見つけるための有効な手段がないのも確かだ。 「どうしよう……何か、何か良い方法を考えないと……」  早く助けに行かないと。手遅れになる前に。どこにいるの。お願い、神様。どうか居場所を教えて。 「あ……」  突然、子蛇が激しく動いた。まるで、どうして自分に聞かないのかと怒っているかのように。私の目の中でぐるぐると暴れる子蛇の、その目を通して景色が見えた。私が見ている景色を子蛇が見て、その景色を私が見ているという変な感覚。そのせいか、右目で見ている景色の色に違和感を覚える。全体的に紫色をしており、夜なのに視界が明るい。まるで明瞭なサーモグラフィだ。 「――見つけた!」  少しばかり離れてはいるが、家々を突き抜けて蜘蛛の形を捉えた。熱を持っていないと言わんばかりに深く暗い青色をしている。移動しているわけではなく、幸運なことにその場でがさごそと動き回っているだけのようだ。  不思議な感覚だった。大きな体躯とはいえ、私と蜘蛛の位置はそれなりに離れている。それなのに、動き回る振動がこちらにまで伝わってくる。これがいつも子蛇が見ている世界なのだろうか。――いや、今はそんなことどうだっていい。早く助けに行かないと。 「お願い……無事でいて」
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