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走り出して数十秒後、左目の視界でもついに蜘蛛の姿を捉えた。空き地の真ん中には、糸で作られた大きな半球状の繭がある。これは巣、だろうか。右目の視界では姿は見えても何をしているかまでは分からなかったが、どうやらせっせとこれを作っていたようだ。
まだ完成はしていないのか、お尻から糸を出しながら巣の周囲をぐるぐると周り何重にも補強し、空き地の塀や隣家の壁にも糸を伸ばしている。大きな牙を覗かせて糸を器用にかみ切り入口を作った。その瞬間、巣の中に幾つかの小さな繭があるのが見えた。神様の他にも蜘蛛に捕まってしまった子たちがいるのか。それともまさか、子蜘蛛だったりするのだろうか。その考えが過ると同時に、ぞくりと背筋に冷たいものが走る。
嫌な想像を振り払い、蜘蛛に近づいていく。せっせと動き回っている蜘蛛の背中には、背負っていたはずの繭はない。それなら神様の繭はすでに巣の中に仕舞われている可能性が高いだろう。巣が完成し落ち着いてから食べるつもりなのなら、きっとまだ神様は無事なはず。
「子蛇……神様を助けるために、もっとアナタの力を貸して」
祈るように呟いて、足下に落ちていた拳ほどの石を手に取る。一度目を閉じて大きく深呼吸。目を開いて蜘蛛をしっかりと見据える。覚悟を決めて、大きく振りかぶって石を投げた。石は暗闇の中を静かに、弧を描いて飛んでいく。
しゅるしゅるしゅるしゅる。
巣にぶつかった石は、べちゃりと貼りついた。瞬間、振動を感知した蜘蛛が石が貼りついた場所までもの凄い速さで移動する。それが石だと理解すると前腕二本を高く掲げて、しゅるしゅると警戒音を発し始めた。沢山の目を四方へ動かしながら私を探す。
しゅるしゅるしゅるしゅる!
道路で隠れもしていなかった私をすぐに見つけ、蜘蛛はけたたましい警戒音を発する。巣に石をぶつけられて怒っているのか。紫色の前腕二本にピキピキと赤黒い血管が浮かび上がっていく。
「――!?」
突然、蜘蛛のお尻がサソリのように反った。そして次の瞬間、バシュっとまるで弾丸のように糸が放たれる。咄嗟に横へ転がるようにして避けて、間一髪で事なきを得た。
さっきまで私がいた場所には、べったりと円形に糸が貼りついている。神様を捕まえたときのように蜘蛛へは繋がっておらず、手元に引き寄せるための糸ではないようだ。単純に網を発射して、その場で獲物の動きを止めるためのものだろうか。
「――くっ!」
じっくりと様子を見る暇もなく、次弾が放たれる。ぎりぎりで避けながら電信柱横の看板に隠れた。右目で蜘蛛を見ると、体内で着々と糸を生成しているのが分かる。生成された糸はいつでも放てるように、お尻の先に溜められているようだ。
右目のおかげで蜘蛛の行動が正確ではないものの、事前に何かしようとしているだろうという程度は分かる。そのため、糸を避けることも何とか可能だ。しかし、遠距離から一方的に攻撃されるばかりで、このままでは一向に蜘蛛に近づくことはできない。今の距離からでは子蛇にいくら願っても喰らうことはできなかった。きっと黒い靄のときのように、捕まえなければならないのだろう。そのためにも、まずは蜘蛛に近づかなければならない。
「とはいえ、どうしたものかしら……」
物陰に身を潜めながら接近することができればいいのだが、蜘蛛が陣取っているのは空き地の真ん中。糸を避けるための物陰は沢山あっても、蜘蛛に近づくための物陰は皆無だ。
蜘蛛は巣の上から動かず、私を直接追ってくる気配はない。私を直接追いかけてくるのならかなり危険ではあるものの、接近するための手段はいくらでもある。しかし、相手が動かないのでは危険は少ないものの、接近手段が限られてしまう。神様の無事が確かめられていないため、のんびりと作戦を考えている暇もないと考えた方がいいはずだ。とはいえ、正面突破はあまりにも無謀。勝機もないまま蛮勇を発揮してしまえば、助かる可能性があるものすら助けられなくなってしまう。
「何か盾になるものがあれば……」
持ち運びができる看板などを盾に接近を試みるのはどうか。私と地面や壁などに糸が付着しなければ、動きを止められることはない。たとえば、神様を捕まえたような糸で盾を奪われたりすれば無防備になってしまい危険だが。蜘蛛の知能がどの程度かは分からないが、それに対処してくる知能を持っているかどうか。
いや、やっぱりダメだ。
頭を振る。私が接近できたとしても、蜘蛛に逃げられてしまっては意味がない。今は動いていないだけで、動けないわけではないのだ。近づいてもまた距離を取られてしまえば元の木阿弥である。しかも相手は家々を軽々と乗り越えていけるほどの身体能力を持っているのだ。全力で走っても追いつける保障はない。つまりは、打つ手なしということだ。
だがしかし。そんなことは言っていられない。私にも奥の手はあるのだ。お守りを壊してしまえば、きっとそんな絶望的な状況も打開できるだろう。それでも、神様を連れて逃げられない保証はない。絶対に逃がさないくらい近くに寄っておくに越したことはないはずだ。だからしっかりと蜘蛛に近づいておかなければ。そのための方法――。
「ああ、そっか。簡単なことじゃない」
私と蜘蛛の距離を近づける方法。私が蜘蛛に近づくことが難しいのなら。蜘蛛の方から私に近づいてきてもらえばいい。ただそれだけのことだ。
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