第弐夜 往けば怪路の日和あり

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 少女に頭を撫でてもらいながら心を落ち着けていると、クルミから連絡が入る。クルミの母により蜘蛛の正体を突き止めたとのことで、それについての対策を送ってくれようとしていた。しかし、もう片付いたことを伝えると、変な声をあげて驚いていた。駆けつけるための場所を聞かれたが、走り回ったせいで正確な位置が把握できていないし、戻るにしてももう少しかかる。そのため、クルミには申し訳ないが近くのファミレスで時間を潰してもらうようにお願いした。 「ゆいはどうしてこの子を追ってたの?」 「精霊路のことで困っている子がいて……」  通学路に精霊路の入口があるせいで、小学生の女の子が精霊路に迷い込んでしまうことがあること。そして、精霊路の特性上、日常生活に支障が出る可能性が高いため、神様にお願いして精霊路の場所を変えてもらうためにやってきたこと。お願いをする前に神様と遊んで満足してもらおうとしていたところ、葛籠蜘蛛が現れて神様を連れ去ってしまったこと。神様を助けるために葛籠蜘蛛を追いかけて、そして少女に助けてもらったことまでを話した。 「ゆいはいい子。お姉ちゃん嬉しい」  少女は私に笑顔を向ける。それは太陽や向日葵のような眩しさではなく、月や夜空を思わせる柔らかく優しい笑顔だった。それはどことなく母の笑顔に似ていて、得も言われぬ確かな親近感が湧いてくる。 「この子はお姉ちゃんに任せなさい。森に連れていってあげる」 「森?」 「お姉ちゃんが住んでる森」 「も、森に住んでるの……?」  コクリと頷く少女に驚きを隠せない。猫耳が生えてはいるが少女の見た目をしているため、生活様式は人間のそれを想像していた。いや、自給自足をしながら森に住んでる人もいるため、一概に野生児扱いするのもどうかとは思うけど。着物は汚れひとつなく綺麗なままだし、私が想像しているよりも遥かに文化的な暮らしをしているのかもしれない。  森に精霊路が移動すれば、子どもが迷い込んでしまう危険性は極めて少ないだろう。それに、少女が遊び相手になってくれるかもしれないし、神様にとっても良い環境に思える。もちろん、人間の子どもと遊ぶのが大好きで、森では退屈してしまう可能性もあるが。それでも。精霊路の影響を考えれば私たちにとっても移動してもらうことが最善である。 「よい、しょっと。ゆい、子蛇がお腹空いてるって。あれ食べさせてあげてね。あと、もうすぐここ壊れるから」 「え? あ、ちょ――」  神様を背負った少女はそう言い残し、風のように去っていった。慌てて繭の外に出て少女の姿を追ったが、もうどこにも見当たらなかった。まだまだ聞きたいことは沢山あったのに。聞くことができたのは数多ある疑問のうちのほんの僅かで、頭の中にはまだ整理しきれないほどの疑問符が浮かんでいる。しかも、教えていなかったのに子蛇のことも知っていた。本当に姉であるかどうかなどはさておいて、私のことを知っているのは確かであり、それなりに近しい人物ではあるのだろう。少女のことについては、帰ってから母に聞いてみるのがよさそうだ。 「それにしても。あれって……たぶんあれのことよね」  ちらりと葛籠蜘蛛の死骸を見る。少女が言い残した、子蛇がお腹を空かせているからあれを食べさせろという言葉。この辺にある子蛇が食べそうなモノと言えばあれくらいしかなさそうだけど。確かに黒い靄を丸呑みにしてたけど、本当にあんなモノを食べるのだろうか。  少女が助けてくれた辺りから、もう右目の視界は元に戻っている。そしてそれからというもの、自分に任せろと言わんばかりに活性化していた子蛇がすっかりと大人しくなってしまっていた。少女の言う通りならば、力を使ったことでお腹が空いてへばっているのだろう。子蛇が力を貸してくれなければ、あまり土地勘のないこの場所では葛籠蜘蛛を見つけることさえままならなかったはず。子蛇には感謝してもしきれない。  真っ二つになって屋根から転がり落ちた葛籠蜘蛛の死骸に歩み寄った。断面は真っ黒でその表面からはシュウシュウと黒い蒸気が立ち昇っており、死んでいてもなお身の危険を感じさせる。 「子蛇」  ぴくりとも動かなくなった葛籠蜘蛛の死骸にそっと触れた。すると、大人しくなっていた子蛇が激しく動きだしぐるぐると渦を巻き始める。いつの間にか、葛籠蜘蛛の死骸は子蛇が嬉々として描く渦の中心へと移動しており、現実の目の前からは姿を消していた。  ご馳走を前に我慢することは一切せず、子蛇はすぐに死骸の半分に喰らいついた。黒い靄のときのように凄絶な断末魔をあげることなく、ただ静かに丸呑みにされていく。自分の頭の何倍もある大きな獲物を、顎を開いて呑み込んでしまう様は圧巻だ。しかし、そんな恐ろしい行為とは正反対に純真無垢でつぶらな赤い瞳を見ていると、少しだけ可愛いとさえ思えてしまう。たまに意味もなく右目に意識を集中して子蛇の様子を見ていることもあるが、舌をチロチロとさせているときが一番可愛い。今まで蛇をじっくりと観察することはなかったが、こうして見ると想像よりもずっと可愛い生き物である。 「――って、呑気にしてる場合じゃなかった」  神様は少女が連れ帰ってくれたし、子蛇の食事も終わった。クルミが待っていることだし、私も早く帰らなければならない。スマホでクルミに今から向かうことを伝え、マップアプリを開いてファミレスへと向かった。
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