第参夜 溺れる者は闇にも縋る

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「もしもし、ユイ? どうしたのですか?」 「お忙しいところすみません。母様に聞きたいことがありまして」 「ええ、いいですよ。何でも聞いてください」  相変わらず母の声は優しく、聞いているだけで安心できる。いきなり変なことを聞くわけではないのだが、なんとなくどう聞けばいいか迷ってしまう。しかし、いつまでもうだうだしているのは母に申し訳ないと思い、単刀直入に聞いてみることにした。 「えっと……私の姉さんについてなのですが」 「ああ、千里(せんり)のことですね」  即答だった。母は嘘を吐かないため知っていれば隠すことはしないだろうとは思っていたが、予想以上に早かった。よかったという安堵と共に、姉の存在について知れると思うとドキドキと胸が高鳴っていくのを感じる。 「この前、子蛇の眼が目覚めたことを千里にも教えたので、近いうちに会いに行くだろうとは思っていましたが。うふふ、あの子ったらもう会いに行ったんですね」  母は楽しそうに笑いながら、姉についてを教えてくれた。彼女の名は千里(せんり)といい、土地を守る存在である土血神(とちがみ)という神様なのだそうだ。産まれたのは数百年以上前だが、その殆どを眠っていたことで成長が止まっており、実質の年齢としては三十年程度の幼神。  もちろん私とは血の繋がりなどは全くなく、私の父のことを千里も父と慕っていたため、私のことを妹だと思っているという。私には闇と無縁な人生を送って欲しいという母の願いを受け入れ、特異な存在である千里は私との接触を絶っていた。しかし、子蛇の眼が目覚めたことでもう接触を絶つ必要がなくなったため、早速会いにきてくれたのだそうだ。 「ユイが産まれたばかりの頃、土血神として日々多忙な中でも時間を見つけては毎日のように貴女の顔を見にきてくれたんですよ」 「そうだったのですね。実は姉さんに改めてお礼を言いたいのですが、母様は姉さんがどこに住んでいるか知っていますか?」 「ええ、もちろん知っていますよ。ですが、ユイがいる場所からは県外で遠いですし、深い森の中ですからね。千里に会いたいのであれば、私から話は通しておくので立花園(たちばなえん)という児童養護施設に行ってみるといいですよ」 「立花園ですね。分かりました。行ってみます」  立花園。どこかで聞いたことがあるような、ないような。児童養護施設ということだし、ボランティアスタッフの募集で見た記憶があるような。私はなるべく近辺のボランティアスタッフ募集を探していたため、もしそうなのだとしたら立花園もそう遠くない距離にあるはず。善は急げというし、明日の講義は午前だけ受けて午後にでも向かってみようか。 「それで? お礼を言いたいというのは?」 「あ、えと……」  母の鋭い突っ込みに思わず言葉が詰まった。作戦とも呼べない無謀な行動を取ったことが母に知られれば、大目玉を食らってしまうかもしれない。しかし、私にとっては母に嘘を吐くことの方が躊躇われるため、包み隠さず正直に話すことにした。クルミにした説明と同じ内容を母にもして、最後に謝罪の言葉で締めくくる。母は私の説明に一切の口を挟まず、ただただ黙って聞いていた。 「ふふ」  怒られることを覚悟していたのだが、母が零したのは意外にも笑いだった。呆気に取られていると、母はごめんなさいと呟いたあと、ゆっくりとした口調で語りだす。 「確かにユイの行動は褒められたものではありません。闇が跋扈する世界では、たった一度の過ちで命を落とすことはよくあることです。傲りと捨て身の行動からは何も生まれないし、何も守れません。だからこそ、私たちは手を取り合い、助け合わねばなりません。ユイには私たち、そして頼りになる友人もいるのですから。『ひとりで』ではなく『みんなで』……でしょう?」  母の言葉が胸に刺さった。もし、クルミが私みたいに無謀な行動を取って何かあったとき、きっと私は深く嘆き悲しむだろう。どうしてひとりで突っ走ったのか、どうして私に言ってくれなかったのかと。  ただ誰かを助けたくて。大事な人を危険に晒したくなくて。私ならどうにかできるかもってうぬぼれて。結局、私は誰も守れないだけでなく、大切な人たちを悲しませてしまう可能性が一番高い選択肢を取り、正義の味方を気取って自己満足していただけなのだ。本当にバカみたいだ。 「母様、ありがとうございます……」 「いいのですよ。……ところで、子蛇の調子はどうですか?」 「ハクは元気ですよ。今も母様の声が聞こえて喜んでいるのか、ずっとぐるぐる回っています」 「ハク?」 「ああ、子蛇と呼ぶのも味気なかったので、名前をつけてみたんです。ハクという名前を気に入ってくれたようで」 「なるほど。いいですね」 「そういえば母様、ハクのことなんですが――」  丁度よくハクのことが話題にあがったため、手帳に載っていた阿紫蛇璃についてを聞いてみることにした。ハクのことを知ることができればもっと仲良くなるための手掛かりになるかもしれないし、母から力の使い方についても聞けるかもしれない。 「私に憑いているのは確かに阿紫蛇璃ですが、ユイに憑いているハクに関しては阿紫蛇璃とは異なる存在なのです」  母曰く、家に憑く阿紫蛇璃は常に一体だけなのだそうだ。そしてその阿紫蛇璃は末孫に受け継がれていく。しかし、母の阿紫蛇璃は私には受け継がれず、新たにハクが誕生して私に宿った。さらに、阿紫蛇璃は本来闇であり神格化されるまでには長い時間を要するが、ハクに至っては生まれながらにして神だった。阿紫蛇璃から生まれた以上はその特性を幾らか引き継いでいることは確かだが、まだまだ幼いが故に未知の部分も多いそうだ。 「そして、阿紫蛇璃とハクの最もたる違いは、ハクはということです」  阿紫蛇璃は吸収した力を何かしらに還元することはしても、自身は成長しないのだそうだ。力が強まるのは闇から神格化されたときや、憑いた人間の力が前の宿主より強いなど、ごく一部の場合に限られる。しかし、ハクの特性はそれを根底から覆しているため、阿紫蛇璃とは異なる存在として扱っているのだそうだ。 「そう、だったんですね」 「けれど、ハクの成長は間違いなくユイにとっての助けとなるでしょう。これからも――っと、名残惜しいですが私はそろそろ行かなければなりません。最後に聞いておきたいことはありますか?」 「いえ! 解決した……と言っていいかは分かりませんが、納得はできました」 「ふふ、少しずつでいいんですよ。焦っても近道なんてできませんから。……ではまた」 「はい、ありがとうございました。それではまた」
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