第参夜 溺れる者は闇にも縋る

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 大学を出て最寄りのバス停に向かって歩く。すぐ傍を流れる川を渡り、オフィス街の方へ向かえばすぐだ。この辺りは、川を境に学生街とオフィス街が別れており、橋を渡れば途端に通行人や立ち並ぶ店の毛色が変わる。夜になればさらに変化は顕著で、歓楽街も混じるオフィス街は眠らない街であるため明かりが途絶えることはない。学生街には二十歳未満の学生が多いため、オフィス街には少なからず憧れを持っている者がいる。そのため、お酒が飲めるようになってからは、週末の夜になれば自由を謳歌する者は皆、弾かれたようにオフィス街へ繰り出すのだ。まあ、私もクルミもお酒を飲める年齢ではあるものの、お酒は殆ど飲まないし、スイーツパーティーの方が余程ストレス発散になるのだけど。  クルミと他愛のない話をしながら歩くこと五分。お洒落なカフェ前のバス停に到着した。時刻表を確認すると、立花園方面へのバスは十分後に到着するようだ。さすがにカフェでコーヒーを楽しむ時間はなさそうなため、このままここでぼうっと待つしかない。 「ふわぁ~、興奮してきた~!」  姉と会うのがそんなに楽しみなのか、クルミは拳を握って瞳を輝かせる。まだ会えると決まったわけではないのに気が早い気もするが、私も似たような気持ちなので笑って頷いた。  立ちっぱなしだと疲れるため、バス停横にあるベンチに腰を下ろす。目の前を忙しなく過ぎ去っていく沢山の車を眺めていると、ふと背後に黒い気配を感じた。それはゆっくりゆっくり、右から左へと移動している。ただ徘徊しているだけだろうか、それが私たちに気がついている様子はなさそうだ。誰かが襲われていたりしなければ、無闇に触らない方がいいだろう。 「ねえ、ユイぽんは分かる?」 「うん。私にも分かる。これはよくないね」  クルミも気がついているようで、顔を前に向けたまま聞いてくる。視界に入れたりすれば私たちを認識されてしまうかもしれないため、黙ってそれが通り過ぎるのを待つ。その間、仕方ないことではあるものの、闇に背中を向けているのでやはり落ち着かない。しかし、私にできるのは早く通り過ぎてと祈ることだけだ。  ハクが葛籠蜘蛛を食べてから、昼間にも闇を見ることが増えた気がする。たまたま昼間に遭遇する回数が増えたのか、それともハクが成長したことで見えなかったモノが見えるようになったのか。まだ二日しか経っていないためどちらとも断言できないが、前者であればいいなと思う。 「行った……みたいだね」 「そうみたいね。何もなくてよかった」  何事もなく通り過ぎてくれたことに安堵して、ホッと胸を撫で下ろした。ハクは闇を喰らうことで成長し、それが私の助けになるとはいえ、無闇に対峙する気にはなれない。避けることが正しいかどうかは分からないが、今はやむを得ない場合だけにしておきたいというのが正直なところだ。 「ねえねえユイぽん。さっきのが通り過ぎるまでの間に見てたんだけど、あの人大丈夫かな……?」 「どこ?」 「あれ、あの雑居ビルの入口に座ってる人」  クルミが指を差した方を見た。そこには古い雑居ビルの入口である細い階段に、俯いて座っている人。格好や髪型から女性だと思われるが、頭をふらふらとさせていて危なっかしい雰囲気を醸している。見たところ、闇ではなく生きた人間のようだ。朝方であれば夜通し飲み明かした飲んだくれなのかもと思ったかもしれないが、今はもうとっくに午後になっているのだ。体調不良を心配するのが普通だろう。 「気分でも悪いのかしらね……」 「一本遅らせることになるけど、ウチ、声かけてきてもいい?」 「うん。もちろん」  一本や二本遅らせたところで影響はないと思うし、何よりあんな状態の人を放っておくわけにはいかない。何もなければそれでいいし、危ない人だったとしたらすぐに逃げればいい。ここは真っ昼間の大通りであって夜の路地裏ではないのだから、女性ひとりから逃げるのは容易だろう。  横断歩道を渡って通りの反対へ移動し、女性がいた雑居ビルへ向かう。雑居ビルの前を行き交う通行人の中には、彼女の存在に気がついて目を向ける人もいたが、気にも留めずにそのまま通り過ぎていく。田舎ではとても考えられない光景だが、都会ではよくあること。声をかける人の方が圧倒的に少ない。それでも、そういった都会の無関心さや冷たさが好都合なことがあるのも確かだ。繋がりが強すぎるのも一長一短である。 「あのぉ……大丈夫ですか?」 「……え?」  驚かさないようにクルミが優しく声をかけると、ずっと俯いていた女性がゆっくりと顔を上げる。彼女の顔は青白く、目の下のクマも酷い。素人目にもよくない状況であることは明白だ。 「あ、ありがとう。でも平気、大丈夫ですから……」 「全然大丈夫じゃないですよ! はやくどこかで休まないと! 救急車を呼びましょうか?」 「本当に平気ですから……。でも、もしよければ肩を貸してくれませんか。家がすぐ近くなので」 「任せてください!」  救急車は大袈裟だと思ったのか、女性はふらふらとした足取りで立ち上がる。それをクルミと私で支えながら、彼女の家へと向かう。今にも倒れてしまいそうな彼女を心配し、見かけたコンビニですぐに栄養補給できそうな物を見繕って手渡す。小休憩を挟んで水分補給などをしてもらい、無理をさせないように慎重に歩き出した。
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