第参夜 溺れる者は闇にも縋る

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 十五分ほど歩いて、女性の家へと到着した。雑居ビルが立ち並ぶ区画の、狭い路地を通った先にある二階建ての古い木造アパート。その一階の角部屋に案内されて、彼女は申し訳なさそうにどうぞと促してくれる。ひとまず彼女を休ませなければと、寝室へとお邪魔してそっと横にさせた。さきほどコンビニで購入した物を枕元に並べ、しばし彼女の様子を窺う。余程辛かったのか、横になってすぐにすうすうと寝息を立て始めた。  女性の部屋はとても物が少なく、冷蔵庫や化粧台など必要最低限だけ。テレビなどの娯楽設備は何もないようだ。質素というか、無機質というか。その割には綺麗に片付けられているせいか、生活感というものをあまり感じられない。ただひとつ、化粧台の真ん中に置かれた写真立てだけが、人間らしさのようなものをひっそりと醸していた。 「寝ちゃったね」 「うん。よっぽど辛かったんでしょうね。でもひとまずは大丈夫そうで安心かな」 「このまま置いていっちゃうのも気が引けるけど、今はそっとしてあげるのがいいと思うし……」 「置手紙して、帰りにまた寄ってみようか」 「おぉ~、ナイスアイディア」  家主が眠ってしまったのなら、いくら連れてきたとはいえ部外者の私たちがいつまでもここにいるわけにはいかない。しかし、このまま放置して悪化しないとも限らないため、立花園からの帰りに様子を見にくるのが無難だろう。外へ買い物に行けない体調であったとしても、今枕元に置いてある分で私たちが様子を見にくるまでは凌げるはず。  鞄から取り出したノートのページを静かに破り、またあとで様子を見にくる旨と、電話番号を記載して枕元に置く。クルミと顔を見合わせて、音を立てないように部屋をあとにした。  バス停に戻って再びバスを待つ。運悪く目的地方面へ向かうバスが出たばかりのようで、次のバスはまた十分後。クルミとベンチに座り、他愛のない会話で時間を潰すことにした。 「あ、そうだ。ユイぽんはカカシの家の噂って知ってる?」 「何それ?」 「ここから三駅向こうにさ、ウチが通ってた高校があるんだけど。その高校の近辺にカカシの家ってのがあるらしくて――」  クルミ曰く、クルミの母校である高校の近辺にカカシの家という場所があるらしく、最近大学のオカルト研究会――通称オカ研――で噂になっているそうだ。オカ研に所属するクルミの後輩が母校の先生に会いに行った際、ある家の前を通ったときに視線を感じ、何気なく見ると塀の向こうからこちらを覗くカカシと目が合ったのだそうだ。民家の庭にカカシがいることは不自然だし、こちらを見ているのもおかしいということで、オカ研内で専らの噂になっているという。  珍しいとは思うけど、別に家の庭にカカシがいてもいいのではないか。それに、泥棒避けのために通りに面した方へ向けていれば、目が合うというか、こちらを向いているのも当たり前のことだ。オカ研に所属しているせいで、そういった珍しいことは全部オカルトチックに考えてしまうのだろうか。 「カカシの家はボロ屋で、若い女性二人が住んでるんだって」 「若い女性ねぇ」 「でね? その内の一人が白杖を持ってるらしいの」 「目が見えないのね」 「たぶん。で、その白杖を持ってる女性の方が実は百歳を超えた魔女なんじゃないかって」  女性二人で暮らしていて片方が盲目なら、近づきたくないと思わせるような不気味な泥棒避けのひとつやふたつ、身を守るために置きたくもなるだろう。オカ研は毎月結構な誇張ありの新聞を発行しているみたいだし、それに掲載されて興味を持った人たちが押しかけて迷惑をかけないことを祈るばかりだ。好奇心を持つなとは言わないが、他人の生活をかき乱すような真似だけはして欲しくない。一部の人間の素行の悪さのせいで、多くがそれらと同一視されてしまうことも少なくはないのだから。 「まあまあそんな顔しないでよ。私もユイぽんと同じ気持ちだからさ、後輩たちには人様に迷惑かけんなよー! ってしっかりきっちり言っておいたから!」 「さすがクルミね」  見た目はこんなに小さくて愛くるしいのに、気遣いは年齢通りしっかりと大人だ。まあ、クルミの大人ぶりはいつも接してる私にとってはとっくに分かりきっていることだけど。 「お、きたきた!」  遠目に目的地方面へ向かうバスを捉えて、嬉々として立ち上がったクルミ。色々あって少しだけ遅れてしまったが、これでようやく立花園に向かうことができる。 「これでウチも猫耳お姉ちゃんの妹にしてもらえるかも!」 「……妹になりたいの?」 「うん! ウチ、昔からお姉ちゃん欲しかったんだよね~」 「そうだったんだ。じゃあ私からもお願いしてみようかな」 「ユイぽん……べりべりさんきゅっ!」  意外なお願いを持っていたことを知って、とても微笑ましく思った。抱きついてくるクルミとじゃれ合いながらバスに乗り込む。それからまた三十分、目的地に到着するまで他愛のない雑談を楽しんだ。
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