第参夜 溺れる者は闇にも縋る

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 最寄りのバス停で降りて歩くこと数分。目的地である立花園に到着した。児童養護施設というだけあって、ポップな子ども向けのデザインが目を引く。コの字型の建物を中心に、手入れの行き届いた綺麗な花壇や遊具、お洒落なテラススペースなど、それなりに大きな敷地を有している。施設と聞くと質素なイメージを持ってしまうこともあるが、ここはそれを払拭するほどに華やかな、かといって嫌味過ぎないバランスのよい見た目をしていた。清潔感があって、子どもが健やかに育ってくれそうな。そんな素敵な場所なのだろうと、遠目からでもそれを感じ取れた。 「あ! もしかして阿志賀さんですか?」  入口に近づくと、園内の掃除をしていた女性が私に気づいて声をかけてきてくれた。歳は私たちと変わらないくらいだろうか。ボブでくるりと内に丸まった髪が特徴的な溌溂とした女性。人懐っこくてクルミと相性がよさそうな気がする。 「はい、阿志賀結と申します」 「話は聞いてますよ! 初めまして、立花所縁(たちばな ゆかり)と言います!」  弾けんばかりの眩しい笑顔を向けられる。立花、ということは彼女が園長なのだろうか。少々若すぎる気もするため、もしかしたら親族なのかもしれない。 「立花、ということは園長さんでしょうか?」 「いえいえ! 私もここで育った孤児のひとりです。この立花園の子どもたちは皆苗字が立花なんです。だから気をつけてくださいね。立花さ~んって叫んじゃうと皆一斉に振り向いちゃいますから」  紹介時の鉄板ネタなのだろうか。あはは、と愉快そうに笑うユカリさん。想像してみると、なかなか異様な光景だ。知っていればなにも思わないが、知らなければ困惑してしまうこと間違いなし。クルミはそれを聞いてちょっと呼んでみたそうな顔をしている。子どもと仲良くなるのはクルミの得意分野だし、園の子どもたちと仲良くなることができればそのあとで試してみるつもりなのかもしれない。  ユカリさんに先導してもらい、クルミと園内へ入る。足元に敷き詰められたレンガの道を進み、建物の入口へ向かう。今の時間、子どもたちは学校へ行っており、未就学児も教室で勉強などしているようで、外はとても静かだ。ちらほらと園内を掃除している人がおり、その人たちも皆、立花さんと同じように立花園で従業員として働いているそうだ。独り立ちと同時にここの従業員として残るのは女性が殆どで、男性は殆ど外へ行ってしまうが、盆暮れ正月には欠かさずに戻ってきてそれはそれはお祭り騒ぎになるらしい。新しく家庭を築いた人たちもここに家族を招き、その親類に噂が広まることで養子縁組に繋がったりと、立花園は人の輪や縁、温かさを学べる素晴らしい場所だとユカリさんは胸を張る。 「園長は多忙なので園にいることは少ないですが、阿志賀さんとお連れの方はいつでも遊びにきて欲しいと言ってました」 「え、ウチもいいんですか!?」 「もちろんです。ふたりのことはウチが保証する! って園長がおふたりの人柄に太鼓判を押していましたから」 「ふたり……?」 「どうかしましたか?」 「あ、いえ。なんでもありません」 「園長はウチ友……? こんなところに仲間がぁ」 「あはは、そうですね。まあ園長は……変な関西弁、みたいな感じですけど」  ふたりのことはウチが保証する。園長の言葉に違和感を覚えた。まるで最初から誰かとくるのが分かっていたような口振り。私はたまたまクルミを誘っただけで、ひとりで訪れた可能性だって十分にある。いや、考え過ぎか。母には精霊路の件でクルミと一緒だったことは話しているし、一緒に行く可能性を踏まえて話を通してくれたのだろう。私が母にクルミを保証して、母が園長に私たちを保証して、園長がユカリさんたちに私たちを保証してくれたと考えるのが自然か。 「どうぞ、こちらです」  ユカリさんから案内されたのは、三階の一番奥にある部屋。奥の台座には赤と黒を基調とした厳かな神棚らしき物が置かれている。その手前の左右には幾つかの簡素な長椅子が設置されているだけの部屋だった。 「この部屋は祈りの間です。園長からは阿志賀さんたちがきたらこちらに通して、これを渡して欲しいと言われています。もし何かあれば私は入口の掃除をしてますので遠慮なく言ってください」  すれ違いざま、渡されたのは一通の手紙。背後で閉まる扉の音を聞きながら、早速手紙を開封する。取り出した手紙をクルミと一緒に見てみると、そこにはたったの一文だけ記されていた。 「祀蔵(くじゃ)の前で千里を呼ぶ……?」  祀蔵が何かは分からなかったが、台座の上にある神棚の絵が描かれていることから、祀蔵とは神棚のことを指しているのが分かる。あの祀蔵の前で姉を呼べば会話ができる、ということなのだろうか。まあ、考えてばかりでは何も進まないため、やってみるだけやってみよう。 「姉さん、聞こえる?」  静かな部屋に私の声が響く。少し待ってみたが、何も返事はない。会話ができるわけではないのだろうか。それとも土血神は忙しいと言っていたし、手が離せないだけなのだろうか。 「返事ないね」 「ん~、今は忙しいのかな。もう少しだけ待ってみてダメなら日を改――」 「もういる」  突然、背後で声がして振り返る。そこには、腰に手を当てて斜めを見上げている姉の姿があった。そして、あの日と同じ優しくも凛とした声で言う。 「お姉ちゃん、参上」
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