第参夜 溺れる者は闇にも縋る

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 いつの間にか背後に立っていた姉の姿は、あの日見たときと同じだが、陽の光もあってその細部から醸される神々しさが顕著だった。白皙というにはまだ白く、それはまるで雪を思わせる。その分、赤く燃える瞳が雪原に咲く一輪の曼珠沙華が如く際立っており、視線に力強さが備わっていた。土血神であることを知らなくても、明るい場所で見れば人間ではなく神々しい何かであることは想像に容易い風貌だ。そして何より、やはり猫耳が可愛い。 「ふわあぁぁ、夢にまで見た……本物の猫耳お姉ちゃんが……!」  両の拳を握って感動に震えるクルミ。どうしても会いたかったのか、ゆっくりと吸い寄せられるように姉に歩み寄る。子ども向けアニメにも猫耳少女はでてくるが、それはやはり飽くまでもアニメの世界でしかない。しかし、目の前にいるのは本物の猫耳少女なのだ。助けてもらったことに対してお礼を言うのが先だけど、無事に妹にしてもらえるように祈る。 「は、初めまして! ウチのな――」 「くるみ。久し振り。大きくなったね」 「ほへ?」  姉の言葉に私とクルミは間の抜けた声を出してしまう。久し振り、ということは姉はクルミに会ったことがあるようだ。しかし、反応からしてクルミは知らないようだし、一体どういうことだろうか。 「姉さん、クルミのこと知ってるの?」 「ん。赤ちゃんのときに抱っこした」 「ええ!? ユイぽんと同じ!? ってことはまさか、実はウチのお姉ちゃん!?」 「違う。くるみのお姉ちゃん違う」 「そ、そんなぁ……がっくり」  姉に否定されて膝から崩れ落ちた。クルミのことを知っている理由が私と同じであれば期待をしてしまう気持ちも分かる。しかし、姉が私を妹と言っている理由は、姉が私の父を慕っているためである。私とクルミの父が同一人物でなければ成立しないのだ。 「どうか、どうか……ウチをお姉ちゃんの妹にしてもらうことはできませんか……」 「いいよ。くるみのお姉ちゃんになったげる」 「いぃぃやっふぅううう! ついに念願のお姉ちゃんゲットぉ!」  私も一緒にお願いする必要もなく、クルミはあっさりとお姉ちゃんをゲットした。受け入れてもらったクルミはその喜びを体現するように、拳を掲げて大きくジャンプする。私も嬉しくなって、つられて笑ってしまう。  しかし、ここでひとつの疑問が。クルミが赤ちゃんの頃に抱っこしたことがあるということは、姉はクルミの母親と知り合いなのか、ということ。私の母と姉は親しい間柄みたいだし、私を抱っこさせるということは頷ける。しかし、知り合いでもなければ大事な子どもを抱っこさせるわけはないだろうし、姉としても余程の理由がなければ知らない人の子どもを勝手に抱っこするとは到底思えない。 「姉さんはクルミのお母さんと知り合いなの?」 「友達。今でもたまに遊びにきてくれる」 「ふぇ!? ママからそんな話聞いたことないよ!? 言ってくれたらよかったのに」  クルミの母親も私の母と同じように、闇には関わらないようにとクルミには逃げることを徹底して教え続けてきたのだ。姉のことについて教えなかったのはある意味仕方のないことかもしれない。姉が悪い存在ではないにしても、特異な存在である以上、近しくなればどこから他の闇に嗅ぎつけられるとも限らないのだから。 「それで。今日はどうしたの?」 「姉さんに改めてお礼を言いにきたの。あのとき、私と神様を助けてくれて本当にありがとうございました」  誠心誠意、心を込めて深々と頭を下げる。命を助けてもらったのに土産のひとつも持ってこないのは失礼だったが、姉がもらって喜ぶ物が分からないためそれは追々ということで。申し訳ないが、それでもまた近いうちに会いにくる口実にもなる。  クルミも慌てて私の横に並び、一緒に頭を下げてくれる。姉はそんな私たちを見て、何を言うでもなく優しく笑っていた。 「あまもがね、ゆいとくるみにお礼を言ってたよ。助けてくれてありがとうって」 「あまも?」 「葛籠蜘蛛に捕まってた子」 「あ、ああ」  あの精霊路に住んでいた神様は天摸(あまも)という名前らしい。今はしっかりと体調は回復し、姉が住む森に居を構えて動物たちと遊んでいるそうだ。無邪気で明るい性格であるため、森の動物たちとすぐに仲良くなれたようで、日々楽しく暮らしているという。無事であり、なおかつ寂しい思いをしていないと聞いて、クルミと顔を見合わせて笑顔になる。 「ん」  突然、姉の耳がぴこぴこと動いた。斜め上を見上げてしばし黙する。 「呼ばれてる。行かなきゃ」  そう言って残念そうに目を伏せる。ゆっくり話したいところだが、土血神は多忙なのだし今回こうして会えただけでも幸いだった。積もる話もあるが、それは今すぐにではなくこれからじっくり時間をかけて、迷惑にならない程度に進めていかなくては。 「姉さん、時間を作ってくれてありがとう。また会いにくるね」 「今度はお姉ちゃんの大好物持ってくるから! あと最後に耳を触らせて――」 「みみはダメ!」  耳を押さえて断固拒否の姿勢を見せる。姉になってもらうことが叶って、クルミには新たな野望が生まれてしまったようだ。叶わなくても何の影響もないため、私にとってはどっちに転んでもどうでもいいけど。喧嘩にならないようにだけしてくれたらそれでいい。 「またね」  そう言い残すと返事をする間もなく、姉はパッと消えてしまった。
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