第壱夜 奇を見て知らざるは勇なきなり

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「ねえユイぽん。カラオケはウチが行きたいところでいい?」 「うん、もちろん大丈夫だよ」 「さんきゅっ! んじゃあ、こっちこっち~」  クルミに手を引かれて歩き出す。駅前ということもありカラオケ店は数多く、競争激しいため大体はどこかでキャンペーンをしているため、その時々で一番お得な店に行くのがいつもの流れだ。そしてその情報を熟知しているのはいつもクルミであるため、クルミに任せるのが一番安心。歩きながら何を歌おうか頭の中でリストを作成していく。といっても、何度も言っているが今日はクルミ優先であるため、いつもの三割くらいに抑えておくつもりではいる。盛り上がっちゃうとどうなってしまうかは分からないけど。  数分ほど歩いて着いたのは、駅の裏手にあるオフィスが立ち並ぶ区画。綺麗なガラス張りの真新しい建物が多い中でも、割と古めな雑居ビル。その二階に居を構えるカラオケ店。昔に何度か来たことがあるくらいで、最近はもっと設備の新しい場所が増えたせいかめっきり来ることはなくなっていた。クルミがこの店を気に入ってたなんて知らなかった。設備で負けてもサービスで勝てばいいといった感じで、他店とは異なるサービスを提供しているのだろうか。  エレベーターで二階へ上がり、受付へ向かうと愛想のない店員が迎えてくれた。笑顔はなく終始面倒臭そうな雰囲気で、マニュアルを読み上げているような最低限のやり取りだけで手続きを進めて行く。 「あの~、209号室って空いてますか?」  突然のクルミの問いに、店員は一瞬不思議そうな顔をしたが、パソコンで空き状況を調べて頷いた。209号室にして欲しいと言うと、店員は小さく溜め息を吐いて無言で変更してくれる。伝票などをこちらに渡すと、そそくさとスタッフルームへ姿を消した。 「何か感じ悪くない?」 「あはは♪ まあまあ。ここね、来月末で潰れちゃうんだって。だからもう殆どお客も来ないし、煙たがられてるんだろうね」  それを聞いて私は首を傾げた。わざわざそんな場所を選ばなくても、他にサービスのいいカラオケ店はいくらでもある。やり取りとか広告を見ても、この店は大仰な割引がされている様子はない。普通料金で選ぶにもコスパが悪いし、割引されていたとしてもあんな対応をされるのなら、せっかくの楽しい気分が台無しになってしまうため願い下げだ。とはいえ、クルミの前でそれを表情に出してしまうのは憚られたため、無理矢理笑顔を貼りつける。  手入れが行き届いておらず、隅に汚れが目立つ廊下を二人で歩く。部屋の場所について案内はされていなかったが、来たことがあるためどこにあるかは把握している。ちなみに、この店は号室でグレードを表わしていて、豪華さという意味も多少はあるが、主に人数による目安になっている。百の位が1ならヒトカラ向け、2なら二人カラオケのようにそれぞれ部屋の広さや設備の数が異なる。まあ、あくまで目安なので1の部屋に八人で押しかけたりしなければあまり問題はないのだけど。 「もうすぐ潰れるなら何でここ選んだの?」 「え? あー……潰れる前に最後のお別れみたいな?」 「ふーん」  知っている店が潰れてしまうのは、確かに悲しくはなる。でもそれは私なら昔か現在進行形かでよくお世話になってる店の場合だけだ。クルミは私と違って存外小さな思い出でも大事にする性格なのだろう。クルミらしいと言えばクルミらしい。  209号室の扉を開けて室内へ足を踏み入れる。扉のすぐそばにあるスイッチを入れて電気を点けた。ちょっとだけ懐かしくなって気分が上がってきたこともあり、自然と笑みがこぼれる。上着をハンガーにかけて、二人並んで長椅子に腰掛けた。袖を少しだけあげてデンモクに手を伸ばす。デンモクをクルミに渡して、肩を寄せ合ってタッチパネルを覗き込んだ。 「あれ……」  ふと、どこかから視線を感じて顔を上げた。きょろきょろと辺りを見回してみるが、私とクルミ以外には誰もいない。扉のガラスから誰かが覗いているわけでもない。それなのに、誰かからずっと見られている。そんな確信があった。気持ち悪さは感じないものの、落ち着かないような、何だか変な感じ。 「どうかした?」 「う、ううん! なんでもないよ! さ、歌おう歌おう!」 「最初は……やっぱりアレでしょ!」  いつものアレを入れると、デンモクを私に渡してマイクを手に取った。立ち上がってスクリーンの横へ移動して、イントロに合わせてノリノリでステップを踏む。デンモクを膝の上に置いて、私もリズムに合わせて手拍子で乗っていく。 「い~つぅも~の帰り道~♪ きぃみの~後ろ姿――」
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