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義臣視点2
私は当社の飲食店にアポ無しで顔を出していた。本当は覆面調査を行いたいのだが、雑誌などで面が割れているので出来ない。結果アポ無し訪問に至った。そして、訪問日の前日に和成からゲイだと聞かされた。今回のアポ無し訪問は、最近オープンした高級和食店に訪れる予定だった……が、とてもじゃないが高級料理を食べる気持ちになれなかった。急遽高級和食店近くにある篝のカレー専門店に訪問することに決めた。カレーが安いからではない。動揺した気持ちを落ち着けようと、カレー専門店を選んだのだ。
混雑する時間を避けて、15時に店に訪れた。お供は執事の藤原だけ。藤原は私の秘書でもありSPでもある。
「いらっしゃいませ」
明るい声で出迎えてくれた。実によく通る気持ちのいい声だ。私は小さく頷きながらカウンター席に座った。そして周りを見渡した。確か、このチェーン店はオープンして5年が経っていたな。店長も若いと聞いていたが、しっかりしている。掃除も行き届いている。厨房もカウンターしかないからオープンキッチンだ。ステンレスの壁も換気扇も綺麗に磨かれている。店長の性格がよく出てるのか、居心地のいい店だ。無作業時間だからか、店長一人みたいだな。
「ご注文が決まりましたらお声がけください」
爽やかな笑顔で水が入ったグラスを私の前に置いた。
「藤原、隣に座れ」
「はい、かしこまりました」
「おまえも何か食べないか?此処のカレーは最高に美味いぞ」
「はい、存じております」
「うん、じゃあ……、レギュラーのカレーでいいな。すみません、ビーフカレーを二つ下さい」
「承知致しました」
元気に声を出して、カレーのソースを大きい鍋から小さい鍋に移して、温め始めた。
店の中にカレーの匂いが更に充満する。
店長も愛想がいいし、店も清潔だし、うん。合格だ。
なにより、私が社長だと分かってるはずなのに全く動じない。大抵の者は私を見た瞬間挙動不審になるか、異様に媚びる者が多い。だが彼は一切媚びない。私を一人の客として扱っている。そういう所も好感が持てる。確か他の店舗では黒のキャップを被ってるはずだがこの店では布を巻いてるのか……三角巾?……ああ、バンダナだ。個性的でいいじゃないか。
「ビーフカレー、お待たせ致しました」
丁寧にビーフカレーを盛った皿を、私の前に置いた。続けて藤原の前にビーフカレーを丁寧に置いた。
ビーフカレーの良い香りが鼻腔をくすぐる。
「いただきます」
ビーフカレーをスプーンで掬い、口に運んで咀嚼した。
「……うん、美味い」
つい、声が漏れる。最近カレーソースを自社の食品製造工場に作らせていた。もっと店舗数を増やすことができるようになれば、カレー専門店のセントラルキッチンを建てるつもりでいる。
「藤原、おまえも食べてみろ」
「はい、いただきます」
藤原もカレーを口に運んだ。
「美味しいです」
「……懐かしいな」
私もカレーを夢中になって口に運んだ。
「美味しいですか。嬉しいです。ありがとうございます」
不意に店長に話しかけられた。まさか話し掛けられるとは。
私は口に運んでいたスプーンを置いて篝に目を向けた。
「ああ、美味い。最高だ」
「実は……ここだけの話なんですが。最近、自社の食品工場でカレーソースを作ることになったんです。それまでは店舗ごとに作っていたんですけど、同じレシピで作っても統一性に欠けるみたいで。……でも今は工場で作ってるので、どの店舗に行っても味は統一してます。揚げ物は店で仕込んだ食材を注文受けてから揚げてます。揚げたては美味いんですよね」
事細かに説明してくれるな。まさか、私が社長だということが分からないのか?
「……なるほど。では、違う店舗でも食べてみよう。次回はトッピングも頼もうかな」
「はい!是非召し上がってください。……あの、先程、懐かしいって仰いましたよね。俺も同意見です」
「……なんと?」
「なんか、此処のカレーって、凄く懐かしい味がするんですよね。素朴な感じがいいっていうか……お袋の味、みたいな」
照れながら語る。お袋の味────?
……此処のカレーは、私の祖母が作っていたレシピを真似たものだった。
元々私の家系は牛鍋の飲食業を行っていた。時代が移り変わり、高度経済成長に伴い、祖父は外食産業事業に目を付けた。急速な経済成長を遂げて、現在は外食産業の最大手企業に至っていた。私の両親は職務に日々忙しく奮闘していた。母親の手作りなど食べたこともなかった。祖母が作ってくれたカレーだけが、手作りの味だった……。
父親が亡くなり遺品整理をしている時に、たまたま祖母のレシピノートを見つけたのだ。事細かにカレーの作り方が記されていた。懐かしさを感じ、幼少期の記憶が頭に廻った。その時、祖母の味を残したいと思った。そして、新たにカレー専門店を開業することを思いついた。だが、世間にカレー専門店の開業経緯を伝えたくなかった。祖母の話は公にしたくなかった。カレー専門店のレシピが祖母のものとは一部の人間と家族にしか伝えていない。
「初めて此処のカレーを食べた時、俺、感動したんです。それから週三で食べに来ていて、でも飽きなくて……。当時食べに行っていた店の店長さんに声を掛けてもらってバイトして、仕事が楽しくて自然に店を構えたいと思ったんです。オープン当初大好きなカレーの店を持てたことがすごく嬉しかったことを、今でも思い出します。味が統一出来てよかったです。毎日仕込んでても微妙に味が変わってたんで……。カレーの味が毎日食べても変わらないって凄くないですか?滅茶苦茶嬉しいです。はは、すみません、お食事の最中に色々喋ってしまって。ごゆっくりどうぞ」
祖母のカレーに感動?大好き?バイトをして自分の店を構えた……だと?
祖母のカレーが人生を決断させる程の素晴らしさがあったというのか?
私は咄嗟に店長の顔を見た。背が高くて三白眼で、少し人相が悪いが美丈夫だ。髪が長いのがいただけないが、最近の若者は普通なのだろう。そんなことより、彼は真面目な青年だろう。話を交わして店内を見れば分かる。
「……失礼な質問をさせてもらうが、君は……」
結婚、もしくは恋人が居るのか?と初対面の人間に質問されたら、怪しいと思われてしまうよな。男に興味があるか?と聞いたら、それこそ変態だと思われてしまうだろう。
「はい?どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
「ごゆっくりどうぞ」
店長は軽く頭を下げてから。仕事に戻った。
私は藤原と目配せをして、互いに残りのカレーを口に運んだ。
「ごちそうさまでした」
会社のことも、私が社長だと告げることもなく、会計を済ませて藤原とカレー専門店から出た。
「私の意図が分かってるな?藤原!」
「御意!」
以心伝心だなぁ、藤原!私は口角を少し上げて藤原に目を向けた。
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