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リーシュの見たことがない世界
五人のあとをついて歩く陳麗旭は、教会の裏手通りにある安飯屋のデリバリーカー近くで周東昇と偶然出会った。買い物行くのを断った手前、あまり会いたくなかったのにと気まずい顔をする。できるだけ目を合わせないように避けて通り過ぎようとしたが、案の定周東昇は走って陳麗旭の前にやって来た。
「リーシュ、どこ行くんだ?」
「え、どこってこの奥だけど」
「この奥って……」
周東昇が不安な目で路地の奥を見つめる。教会裏にはボロい民家が多い。人気がない分、決して治安がいいとは言えず、むしろ危険なニオイがするからあまり学生たちは近寄らない。
「それよりコイツら誰だよ」
「日本から来た人たちだけど」
「は?」
「通訳を頼まれて、今アルバイト中なの」
周東昇はあからさまに五人を軽蔑した目で見ていた。昔から日本人を見かけると、こういう嫌な視線を向ける癖が周東昇にはある。
「なんか怪しい集団に見えるけど大丈夫か?」
「全然怪しくないわよ」
執拗に周東昇は陳麗旭を心配する。日本人だと聞いただけで、悪い人たちだと決めつけている。そんな二人の会話を聞いていた山辺はそっと周東昇に近づいた。
「その人、チェンさんの彼氏さん?」
「いいえ、違います」
陳麗旭が慌てて首を強く振り否定する。続けて彼は大学の友達だと言い直してきた。
「はじめまして山辺です」
「ああ」
昨日お店で陳麗旭と握手を交わしたように、山辺は周東昇にも握手を求めた。
「僕たちは訳あってここに来ただけだから、用が済んだらすぐ帰るよ」
「日本人のお前らが何しにここへ?」
「一言で言えば、ボランティアというやつだ」
「ボランティア?」
「そう、詳しい話は説明できんが、それくらいの言葉はわかるだろ?」
「まあな」
山辺の言葉に少し不服そうな顔をする。こんな栄えた街でボランティアと言われても、周東昇にはピンと来ない。支援されるほどの街ではないと、目が訴えている。
「彼女を取って食ったりしないから安心したまえ」
「当たり前だ!」
冗談のつもりで言った山辺の言葉を真に受け止められた。
「お前ら、リーシュに変なことしたら、俺が許さねーからな」
「はいはい」
一人熱くなる周東昇に一同呆れる。五人はこれから体の不自由な子を救うために依頼者の元へ向かっているだけだ。知らない中国人からすれば日本人がここにいるだけで不審者に見えるらしいけど、理不尽にもほどがある。
山辺たちが先を急ごうと歩きだした時、羽鳥が周東昇の元に駆け寄った。
「しっかり守ってやりなよ」
先を歩く山辺には聞こえなかったが、陳麗旭にはそう聞こえた。どういう意味でこの山ガールがそうアドバイスしたのか、その意図がよく汲み取れない。周東昇に守られるほどの仲ではないのにと困った顔を見せた。
路地裏を奥に進めば進むほど、栄えた街はスラム街のようなボロい街並みに変わっていく。日本から来た四人は歩きながら段々不安になる。中国の田舎町に住んでいる山辺からすれば、これでも農村部に比べたら綺麗な方だと崩れていない赤レンガの塀を叩いて歩く。
「マリさん、ここですよ」
住所と地図アプリを照らし合わせて加奈さんが見つける。
「任幸福療養院」
陳麗旭が綺麗な発音で読み上げる。訛りのない聞き取りやすい発語に山辺は聞き入る。誰も気づかなかったかもしれないが、テレビのアナウンサーよりも遥かに美しい中国語を話してる。
「そうそう、ここがレンさんの民間養護施設です」
羽鳥もやっと見つけたという顔をして一呼吸する。全員身なりを整える。そして錆びついた赤い鉄の門をノックした。鈍い金属音が辺りに響く。そしてしばらく待っていると、軋む音を立てながら長い髪を縛った若い女が門を開けてくれた。
「はじめまして、日本から来ましたNGO法人医療専門チームです!」
慣れた口調で羽鳥が言う。何回このセリフを中国語で練習したのだろうと、山辺は一人可笑しくなる。
「お待ちしておりました。どうぞ奥へお入りください」
若い女のあとに続いて歩く。羽鳥が女に話しかけるも、詳しくは奥にいる任さんと話してくれと応えられた。
子供たちが狭い庭を走り回っている。奇声を上げる子に車椅子の子といろいろな障害を持った子がそこで暮らしている。職員も若い女が三人ほどいる。みんなヨレヨレのTシャツに長いスカートを穿いている。日本の養護学校よりも数段環境が悪そうだ。職員さんたちもだいぶお疲れのように見える。
笑顔を絶やさない陳麗旭の顔が曇る。頬が引きつっている。こういう現実を知らない女子学生なら当然のリアクションだ。
「ようこそ、日本の皆さん」
奥から膨よかな小さなおばあさんが現れた。年にして六十歳過ぎだろうか。とても優しそうな笑顔で六人を出迎えてくれる。
「事務員の羽鳥マリです。この度は我々に救援依頼を出してもらいありがとうございます」
「羽鳥マリさん、ありがとう。本当に、もうどこに頼めば助けてくれるのかわからなくて、藁をも掴む思いで連絡させてもらったのよ」
「それだけで充分です。我々の活動に理解を示して頂き本当にありがとうございます」
「お金なんてここにはあまりないけど、大丈夫?」
「大丈夫です。資金は世界中の心優しき人たちがクラウドで支援してくれていますから」
そう羽鳥が応えると、そのまま今回の件についての支援金合計額を伝えた。そのあまりにも大きな金額に、任さんや陳麗旭が目を見開く。
「これでも今回は少額の方ですよ。問題は長期的にどう運用するかですけど」
現地でどれくらい部品が調達でき、どこの病院が手伝ってくれるのか、羽鳥はひとつひとつ尋ねていく。細かい話になると陳麗旭が同時通訳のように任さんと話していく。任さんはゆっくり羽鳥にもわかるように応えてくれた。
元々任さんは台湾から来た人で、敬虔なカトリック教徒だという。困った時には台湾のお兄さんと連絡を取るらしく、今回の件については台湾のお兄さんから日本のNGOを紹介してもらったそうだ。
「それでは義肢が必要な子を診察させてください」
形成外科医の久保先生が準備を始める。加奈さんはエプロンを付けゴム手袋とマスクを用意する。その隣で義肢装具士の宮本くんも支度をする。
「三人いまして……」
奥から三人の子が連れて来られた。二人は車椅子の男の子で、一人は松葉杖をついている女の子だ。背筋や骨盤も曲がっていて、足を引きずるようにして女の子は歩いている。歩くというより、松葉杖の腕で辛うじて支えられているという感じだろうか。
「事故で足を切断した子が二人と小児麻痺の子です」
「了解しました。先に二人の断端部の創傷具合を診せてもらいますね」
久保先生が診察をする。
そういう専門家だから任せておけば安心だと山辺から陳麗旭に伝えるが、陳麗旭はそういう断裂した脚を見たことがなかったので震えていた。
「切断なんて……」
「腐るより切断しちゃった方がよっぽどマシなんだ」
「でも……」
何かを言いかけて涙目になる陳麗旭に山辺はハンカチを渡した。
「我々はすべてを受け入れなきゃならないから泣いている暇がないんだ。将来患者がどう豊かな生活を迎えられるか、それを考えなくちゃね」
「はい……」
「チェンさんは泣いていいんだよ」
辛いものを見せてしまった申し訳なさが山辺の心に募る。部外者を巻き込んでしまったことに、少しばかり後悔する。
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