第1話 プロローグ リュウサイド

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第1話 プロローグ リュウサイド

 最近僕はおかしいと思う。バスルームのコックをとめて、滴る雫をそのままに、鏡に写った自分の顔にかかる金色の前髪をかきわけた。  そのまま鏡に額をつける。鏡の冷たさに自分の額が冷えていくのを感じる。  少し、冷静になれば、それが間違った感情だとすぐにわかるのに。どうかしている。   自嘲気味の笑みを左端に湛えながら、僕はバスルームをあとにした。    「おーい、リュウ、お前、バスルーム使うの長くない?」    イケメンの顔を歪めながら、イツキくんが聞いてくる。  黙ってさえいれば、映画スターのような華やかな顔立ちなのに、イツキくんはわざとその綺麗な唇を歪める。乱暴にTシャツを脱ぎ、洗濯機に突っ込む。    「あ、ごめん長かった?ちょっと考え事してて、」    僕は薄い笑顔を見せながら、イツキくんを見る。いつものように、下手な冗談も言う気にならなかったので、そのまま洗面所をでていこうとする。   「ん?お前、隈がすごいね?夜、ちゃんと寝てる?睡眠はちゃんととらないと……」    半裸のまま、腕をつかまれた。彫刻で切り取ったような鼻を近づけて、顔を覗き込んでくるイツキくんの視線を避けるように慌てて僕は俯いた。    「き、きのうゲームで夜更かししたから!今日は夕方まで団体練習だけだし、早く寝るよ。」    そういって慌ててイツキくんの横を通りすぎ、リビングへと急ぐ。支度を急ぐふりをして、あーでもない、こーでもないと服を着替え直すふりをする。  バスルームからでたばかりなのに、適当な服を着てもう支度の整ったイツキくんと目が合わないように、なんでもいい帽子をあれこれ被り直しては時間を稼ぐ。  二つ歳上のこのいとこは、実の兄よりも小さい頃から仲が良かった。  実の兄は14も年が離れているので遊び相手にならなかった、というのもあるが、近所に住んでいたこともあり、僕は物心ついた時には前を走るイツキくんの背中を追っていた。  それだけに、僕の事も知り尽くされているし、なにより、この兄は変なところで勘が鋭いから、悟られないように気を付けないと……。  ピンポーンと軽やかな音でインターホンがなり、マネージャーが迎えにきた。 「リュウー、イツキー!!」   「おい!リュウ!マネさんきたぞ!いつまで帽子被りなおしてんの?」 「あ、はーい!今行きます!」 「え?イツキよりリュウの方が支度遅いなんて珍しいね!」   「こいつ、やたらバスルーム長く使うし、なんか、今日ノロノロしてるんですよ、マネさん、」 「どうしたの?体調悪い?練習休む?」  マネさんが玄関の外から身を乗り出して僕の顔色を覗き込む。手を伸ばして額に手を当てて熱を確認した。 「ん、熱はないね、」 「大丈夫ですよ、マネさん、ちょっと、眠たかっただけですから、」  そう言ってスマホに目を落とす。   「そう?ならいいけど、今が、グループにとって、大事な時期なんだから、体調には気を付けてよ、」  僕たちは、韓日オーディションからデビューした、6人グループ『SICS』のメンバーだ。  小さな頃からダンスを習っていたイツキくんの背中を追いかけて、僕も、5才からダンスをはじめた。  二人で同じ音にのって気持ち良く踊れた時はまるで無敵になったみたいに最高の気持ちで、いつのまにか、ダンスのグループでいつか、デビューしたいというイツキくんと同じ夢を、持つようになっていた。  そして、2人で応募した2回目のオーディションで、僕たちはデビューが決まった。    イツキくんは人気投票でダントツ1位だったんだけど、僕はギリギリ6位で、ホントにこのグループにはいれたのは幸運だった。    作曲やプロデュースのできるハルさん、ボーカルもラップもダンスも上手なケイ、ダンスの実力がダントツでたくさんの大会で優勝してるアキ、それに、低音高速ラップが得意なヤマトさん、と僕とイツキくんの6人グループ『SICS』は、初登場でオリコン一位を獲得したものの、セカンド、サードシングルは順位を落としている。  まさに、今が大事な時、なのはわかってる。だから、こんな下らないことでみんなの足を引っ張る訳には行かないのに……。    今日の団体練習は、事務所の6階だった。挨拶しながら集まるメンバーとスタッフにいつものように笑顔を振り撒く。  僕のグループでのポジションはいつも笑顔の太陽みたいなメンバー、と言われるがゆえに、細心の注意を払って、いつも通りに振る舞う。  それなのに、肝心の団体練習がさんざんだった。集中しようと思えば思うほど、あの人の事を気にしてしまう。  通しで覚えていたはずの振り付けを同じところで左右を3回も間違えた上に、フォーメーションを逆方向に動いてしまい、ハルさんとぶつかってしまった。  近くで見る、ハルさんの当惑した瞳に心がぐさりとえぐられる。ケアレスミスを連発するなんて、お前らしくない、どうした?と雄弁な瞳が語りかけている。    「ハルさん、あの、」    いいかけた僕の言葉を遮って、その大きな手をかざし、ハルさんが眉根を寄せる。   「一旦、休憩。みんな水分とって。15分後に再開するから。」    そういって、ため息をつき、ハルさんが僕に視線を合わす。その瞳に射止められて、身体がすくむ。こんな事で、皆に、迷惑かけたくない、のに。今度やったらできます、と言おうか、と迷っていると、   「リュウは別室、」    短くハルさんにそう言われて、何も言えなくなる。僕は静かに奥歯を噛んだ。   「…………はい。」    別室で椅子に座るようにハルさんに促されるが、僕は座ることもできない。握りしめた指先が白く震えてしまう。ハルさんは長い足で背もたれを跨いで、椅子に座る。 「リュウ、何があったかは聞かない。…………ただ、このままだと……、君やチームのみんなが怪我をする可能性がある、………………わかるよね?」    ふわふわと柔らかな茶色の癖毛を困ったようにかき、優しいその瞳を揺らしてハルさんが僕を覗き込む。  僕は情けなくなって頷き、横を向いた。わかっている、わかっているのに、集中できないのだ、どうしても。涙をこらえるのに、ずずっと鼻をすする。    数秒あって、フワッと少しきついムスクの匂いが薫った。ドキッとして見上げると、ハルさんの手が僕の頭を包む。   「誰にでも辛いときはあるよ。」    独り言のようにハルさんが僕の上で呟いた。   「ホントは俺を頼ってほしいけど、」    また僕を覗き込んで瞳を揺らして笑いながら、ハルさんが視線を合わせてくる。   「ね?」    優しく諭すように。    たまらず僕の目からは涙がこぼれ落ちてしまい、もう止められなかった。  そのまま数分、ハルさんの胸を借りて泣いた。  いつも優しく、僕を、僕らを見守ってくれているハルさんの暖かさを感じれば、感じるほど、至らない自分に対する罪悪感が増してしまう。  何、やってんだろ僕。自分の感情ひとつコントロールもできなくて、恥ずかしい。    少し、泣くと、心のつかえがとれたようだった。    「少し、落ち着いた?」    「……うん、」    僕はなんとか、小さく返事をする。   「今日はもう帰ってもいいけど、言っても聞かないよね?」    わざとおどけたようにハルさんが肩をすくめて見せる。  この人はいつもそう、心を見透かして、こうやって、包んでくる。優しすぎるハルさんに答えるように、まっすぐ前を向き、僕もやっと張り付けた笑顔で、それに頷く。   「少しいい顔になったから大丈夫だね。」    どこまでも優しく、ハルさんが笑う。あぁこの人を好きになればよかったのに、と少しだけ恨めしく思う。   「フォーメーション間違えたところ、左に移動ね。それからどうだった?」   「エイトカウントして、左から1番奥に下がる、」    僕が言うと、ハルさんは乱暴に僕の髪をかき混ぜて、   「Okay! Good boy! 」    大輪の花のような笑顔を見せた。  練習室に戻るとなにも気にしてないふりのみんながチラッと僕のことを見る。それがおかしくて、少し笑うと、みんなも安心したみたいにパッと笑って。   「リュウとハルさん、おそーい!1分ちこくー!これは罰ゲームのポッキーゲーム!」   次々に囃し立てる。    僕が苦笑してると、ハルさんが真面目な顔になって大きな手を叩く。   「ハイハイ!時間ないから、さっきのところからラストまで通すよー!ポッキーゲームはあとでゆっくりふたりでしまーす!」    僕にウインクを飛ばしてくるハルさん。 僕は、ゲー、と表情で返す。    「そんな顔する!?」    ハルさんが、本気で傷ついた顔をしながら、練習が再開される。僕はそのあと目立ったミスはしなかった。よかった。ハルさんのお陰だ……。    練習が終わって汗を拭きながら帰り支度をしてると、ケイが肩を組んでほっぺをつねってきた。   「リュウ、今日久しぶりに夜予定ない日だから、ご飯食べ行こー、イツキさんと行きたかった店に予約したから、お前もこいよ。」    ケイはイツキくんの方を見て言う。  ケイとイツキくんは、メンバー間でも特別に仲が良い。休日を2人で過ごすことも多いし、テレパシーがあるのかと思うくらい、おんなじこと考えてたりもして、時々2人ともいないと思ったら、思いついたかのように小旅行とかに行ってたりする。  そんな2人の事、僕は少し、羨ましくおもってる。  イツキくんはなにやらハルさんと次の歌番組の構成について話してるみたい。こちらに気づくと、ケイにパチン、とウインクを送る。それにあわせて、ケイも照れずに投げキッスを送る。ふっと、同じタイミングで2人が笑う。   「なっ、いこっ!」    もう一度肩を引き寄せ、ケイがいたずらっぽく笑った。鼻唄を口ずさみだすケイの、肩にもたれながら、その曲名を思い出していた。   「この曲、なんだっけ?いま韓国ではやってるよね?」   「あーこれは、」    ケイが僕を見て言った時、ヤマトさんが僕らの腕の間を割って入ってきた。筋肉のついたたくましい腕で僕の首をケイから奪い取るように絡めとる。胸がズキン、と強く痛む。   「ダメダメ、リュウは今日、俺とご飯行くんだから!この間話してた新しい焼き肉の店、今日行こ……、」    反射的に、バッと、ヤマトさんの腕を振り払ってしまった。ヤマトさんの三白眼がビックリしたように揺れ、訳がわからない、と言う顔をしている。やってしまってから、しまったと思うが、もう取り返しがつかない。    「リュ、ウ?」    ふたりの顔色に「?」の一文字しか浮かんでいないのを見て、僕は顔をしかめる。  あー、どうしよ、どうしよ、何て、いいわけしよう……。  いつもなら、いくいくー!ケイとイツキくんは勝手にやってよ!とヤマトさんと肩を組んだりしてふざけあう場面なのに……、やっぱり、いつも通りに振る舞えない。  どうして、なんだ。    「お前、やっぱり、」     心配そうにケイが言うのを遮って、    「やっぱり、僕っ、なんか、風邪かな?頭、いたいし、ちょっとなんか気分悪くてごめん。今日はご飯やめとく。先にマネージャ-に送ってもらう。ほんとっ、ごめん。」    慌ててデイバックを抱え、練習室を出ていく僕の背中にきっと「?」の増殖したケイとヤマトさんがなにか言い合ってたけど、僕にはもう聞こえなかった。    心配するマネージャーに宿舎まで送ってもらい、シャワーも浴びずにベットに突っ伏す。  ああ、ホントは、練習終わりのヤマトさんの肩甲骨をほぐしてあげたかったのに。背中と腕の筋膜リリースと足のストレッチも手伝いたかった。  ご飯も一緒に行きたかったし、たくさん話もしたかった。  あの、鋭い三白眼が破顔して、優しく揺れるあの瞬間。そこに写るものが僕だけならいいと毎回願ってしまう。その瞬間を味わいたかったのに。なんなんだ。    ベットの上では、寝付きの悪いぼくのために、ヤマトさんが誕プレにくれた紺の高反発枕が沈黙している。  僕はイラッとして、その枕を放り投げようとして……、やめる。    最近ヤマトさんの前で普通でいられない自分にいつもイライラしている。近くにいると、匂いをかいだり、筋肉もみもみしたくなっちゃうし、顔をちかづけられると、思わず引き込まれそうになって、き、    キス、したくなる。   そこまで考えて、僕はかぁっと赤くなる。はあ!?なに考えてんだ、僕。  ヤマトさんの枕をバシバシと、マットに叩きつける。  冷静に考えたら、おかしなことだらけなのに。ヤマトさんは男だし、大事な仲間だし。頼もしいし、面白いし、優しい、し。僕には特に、優しい、し。  それをなんか勝手に勘違いしちゃってるって、わかってる。  なにもどうすることなんかひとつもない。いま迄もこれからも僕はヤマトさんの弟みたいなもんだし、大切なメンバーの一人だし。そんなこと、わかってる。    ポロと涙がなぜか落ちる。   「え?」    僕は思わず声に出す。なにこの涙。分かってるっていったじゃん、俺!!分かってるのに、なんで涙でる!俺のバカッ!これじゃままるで俺が、   「ヤマトさんを本当に好きみたいじゃん...」    涙声の自分の声に、心臓がきゅうっと答える。    僕はしばらくそのまま泣いた。    こんな日に限って、夜が長い。月はまだビルの真上に輝いていた。
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