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「終わりました。目を開けてください」
言われて、私は目を開けた。いつものように頬が涙でぐっしょり濡れていた。
「貴女は夢を見ていたんです。どんな夢だか覚えていますか?」
いつものように看護師が聞いてくる。
「いいえ」
私はそう答えた。覚えていたことは一度もない。
後ろに立っていた、PTSD研究所の所長が頷く。
「結構です、これで貴女の辛い記憶は削除されました。
来週、この時間にまたお越しください」
寝椅子から起き上がり、電気コードの繋がったヘルメットを外して看護師に渡し、所長に頭を下げると、実験ルームを出た。
ドアの外に優くんがいつものように待っていた。
差し出されたハンカチを受け取り、涙の張り付いた顔を拭く。
「どうだった?」
心配そうに優くんが聞く。
「分からない。だって何も覚えてないんだもの」
◇
私には十歳からまえの子供の頃の記憶がない。
両親は二人とも死に、ずっと孤児院で育った。
成績が良かったので、奨学金で大学に行き、そこで優くんと出会い、一緒に暮らし始めた。
それと同時に私は悪夢にうなされるようになった。
悲鳴をあげ、泣きながら飛び起きるのだが、なんの夢を見たのかは全く覚えていない。
心配した優くんは、お父さんが所長をしているPTSD(心的外傷後ストレス障害)の専門機関の研究所に私を連れて行った。
そこで私は、消えていた過去を突きつけられたのだ。
DVの父親に十歳でレイプされ、止めようとした母親は、父に首を締められ殺された。
私は包丁で父を背後から刺し、死んだ後も顔が無くなるまで、馬乗りになって包丁で刺し続けているのを発見されたのだという。
私の体に残されたあざと傷、膣から採取された父の精液。私の記憶は全て消えていた。
「貴女は自分を守るために、自分で自分の記憶を消したのでしょう」
と所長――優くんのお父さんは言った。
この研究所はPTSDの患者の脳から、電気刺激により、辛い記憶だけを部分的に消し去る、記憶操作の研究をしていた。
「嘘発見機と、基本原理は同じです。
大脳皮質の血流や、酸素量の変化、ドーパミンの分泌量などで嫌な記憶と判断すれば削除し、嬉しい記憶であれば補強します。
そうやって長期記憶をクリーニングし心の負担を減らし、生活の質を上げていくことを最終目的としています。
ただ欠点としては、嫌・嬉を正しく判断するために、一度だけ正確に記憶を再生します。
ですのでほんの一瞬、脳は昔の辛い経験を再演することになります。
その後で、嫌な記憶は消え、二度と思い出すことはなく、嬉しい記憶はより強く心に刻まれ、これから先の人生の励みとなります。試してみますか?」
優くんが、励ますように私の手を握る。
「お願いします」私はあの日、震えながらそう答えたのだ。
◇
「今日で最後、いよいよあの日の記憶を再現する。これで君も安らかに眠れるよ」
所長が晴れやかにそう言った。
いつものようにヘルメットを被り、私は眠りに落ちた。
実験ルームで、悲鳴が上がる。優は慌てて部屋に飛び込んだ。
ヘルメットを被ったまま、彼女は、口から泡を吹き、笑い続けていた。
寝椅子に馬乗りになり、何度も握りしめた手を叩きつける。
手は裂けて血まみれだ。
「お父さん、彼女はどうしたんです! 何が起きたんですか?」
「被験者が、あの日の記憶を無限にリピートして、目覚めようとしないんだ。
完全にトリップしている。目覚めるのを拒否しているんだ!」
「そんな、嫌な記憶は消えるはずでしょう? 父親を殺した記憶がなぜ消えずにリピートするんです?」
「そ、それが……嫌な記憶じゃなかったんだ。
データはこの記憶を嫌な記憶ではなく、『成功体験』として捉えてる。
いい記憶は補強され、リピートされる。それが止まらないんだ」
「父親を殺したことが成功体験なんですか!」
「そうだ。彼女は、母と自分を殴り、支配する父親を嫌っていた。
レイプされ、母を殺された時、彼女の憎悪は頂点に達し父を殺した。
彼女は今、復讐の快感に酔っているんだ」
「機械を止めて下さい、実験を中止して!」
「だめだ、無理に止めると、精神が崩壊する!」
ザマアミロ、コロシテヤッタ。
オカアサンノ、カタキヲトッタンダ。
コンナヤツ、モットバラバラニシテヤル。
公募ガイド/小説でもどうぞ4回2021年11月投稿(お題・記憶)
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