靴を履く幽霊(怪談・SS)赤い靴④

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 よく幽霊には足が無いって言うが、足だけの幽霊の話をしてやろうか。  駅の踏切をこえた所にあるでかい瓦屋根のお屋敷、戦前はこの辺一帯の大地主のもんでよ。そりゃあ羽振りが良くて、いばってたのさ。  ところがじいちゃんが尋常小学校の頃、日本は戦争に負けて、GHQが来て時代が変わった。  農地改革だの財閥解体だので、今まで威張ってたのが没落してよ。  屋敷も売りに出されて闇市で儲けた奴とか、あやしげな新興宗教とか、持ち主が次々変った。  東京オリンピックの年に――2021年じゃねえよ、1964年のほうだよ!――大っきな土建屋の会社の社長が買い取って、どういうコネ使ったんだか、大手私鉄の路線の駅を、自分の屋敷の真ん前に据えちゃったのよ。  大金持ちってのはスケールが違うよな。  そうして、ただの田んぼだった所が、あっちゅう間に住宅が建って、アーケードつきの駅前商店街ができて、じいちゃんも実家のあったこの場所で靴屋を開いたのさ。  商店街の一番奥の川っぺりのこんな所で、よく商売になったっておまえバカにしてたけどよ。  こうみえてじいちゃん腕の良い靴職人で、銀座の店で奉公してた頃からの、贔屓のお客さんがたくさんいてよ。出張してサイズはかって、特注の靴作る仕事がメインで、場所はあんま関係なかったんだわ。  とくにあのお屋敷の社長さんは、靴にうるさくて、上得意様でな。  家族の靴はすべてじいちゃんが作ってたんだ。  じいちゃん気に入られちまって、土建の現場で使う地下足袋とか、安全靴とかの仕入れも任されてよ、もうかったんだぞ――  あの頃の日本は、気ちがいみたいな高度成長の時代でよ。  今とちがって世の中全体が、元気が良かったよなあ……。  昔話は良いから、幽霊はどうなったって?   今出るよ、若いもんは気が短くていけねえや。  その屋敷にいた女の子がその話の幽霊さんだよ。  社長の娘かって? ちがうのさ、そこの住み込みの女中の娘で小学校四年生。  その子の父親は社長の会社で働いてた時に、現場で事故にあって死んじまって、身寄りも無いし、かわいそうだってんで、お情けで女房と子供を、住み込みで働かせてやってたのよ。  その女房が、片親だからって、世間様にうしろ指さされちゃならないって、そりゃあきびしく躾けててよ。  怒鳴る、殴るなんてあたりまえ。食事抜きで一晩外になんて、しょっちゅうだった。今なら虐待だが、昔はそれが普通の“しつけ”だったのさ。  運の悪い事に、お屋敷の社長のお嬢さんが同い年で同じクラス。  ボロボロのズック靴はいて、ランドセルも無しで、母親の手作りの布の巾着袋しょって、トボトボ歩いてく横を、ピカピカの靴でフリルの服きたお嬢さんが、車で学校へ送り迎えされてんのさ。  学校でも“女中の子”ってバカにされてアゴでこき使われてたそうだ。  友達もいなくていつもひとりぼっちだった。  商店街には母親に言われて、よくお使いに来てたんだが、中央のヤキトリ屋に悪ガキがいて、こいつにまた虐められる。  うちの店の横の川っぺりでよくひとりで泣いてたっけ。  あんまりあわれで、時々店に入れて話聞いてやってな。  俺が靴作ってるの、たのしそうに見てた。  おとなしい、まじめな可愛い子だった。  俺の作ってるお嬢さんの靴と、あの子のボロボロのズック靴とくらべて、世の中不公平なもんだと思ったんだ。  あの日、お嬢さんの誕生日プレゼントの真赤な靴ができたのを、あの子がいつものように受け取りに来た。  かわいそうになって思わず「履いてみるかい?」と言っちまった。 「いいの?」 「ないしょだぞ」  あの子は小ちゃい靴下も履いてない足をそおっと、新品の赤い靴にいれたんだ。  ぴったりだった。まるでこの子のために誂えたみたいだった。  下を向いて、靴だけ見つめて、その子が歩く。汚さぬように、傷をつけぬように。店の中をコツコツと靴の底の音だけがひびく。  あの子の瞳があんなに輝いたのを見たのは初めてだった。あの時だけ貧乏な“女中の子”じゃなく、“お屋敷のお嬢さん”になれたのかもしれない。  こんなに喜んでもらえて靴屋冥利につきると思ったよ。  でも夢の時間はいつかは終る―― 「さ、もう終いにしな。お嬢さんに持ってかないとな」 「うん、おじちゃん靴をはかせてくれてありがとう」  靴をぬいで、なごりおしそうに箱に入れ、風呂敷につつんで出て行った。  良いことしたと、そう思った――でもそれが大まちがいでなあ……。  お屋敷に帰ったら、靴はお嬢さんのもの。二度とはけない。  あの子はどうしてももう一度あの靴がはきたくて、屋敷にかえらず、いつもの川辺におりて靴をはこうと箱をあけた。  そこをあのヤキトリ屋の悪ガキに見つかって取り上げられちゃったのさ。  泣きながらカラの箱を持って帰ったあの子に、母親はものすごい折檻をした。 「靴を盗られただと、履いてみたかっただと? 他人様のあずかりものを、粗末にあつかうから、そんな事になったんだ、この恥知らず!   取り返してこい、もって帰ってこなかったら家にはいれない、死んで詫びろ!」  そう言われて、あの子は家を追い出された。 「お願い、返して」  あの子は紫色に腫れ上がった顔を、地べたに擦りつけて、  ヤキトリ屋の前で土下座を続けた。    でも靴は、悪ガキの飲んだくれの親父が、質屋で金にかえたあとだったのさ。  こまったそいつは、とっさに「あんなもん川に捨てた」と嘘を言った。  あの子は、一晩中川の中を、探して探して見つからず――  とうとう夜明けに、始発電車に飛び込んじまったんだ。手足と胴がバラバラさ。  ところが不思議な事に、どこをさがしても、両方とも足首から先がみつからない。 ぬれたズック靴は、ならべて線路のそばにあったのにな。  それからさ、足だけの幽霊が出るようになったのは。  毎晩丑三つ時になると、線路の方から、商店街のアスファルトの上を、  川に向かってヒタヒタと、裸足の足音が聞こえてくるんだよ。  川の方からは一晩中、水をかきまわして、何かをさがしてる音がする。  そうして始発電車の時間になると、ピチャリ、ピチャリ、と疲れ切って引きずるような水に濡れた足音が、線路の方へ歩いていく。  朝、店を開けると、びしょぬれの小さな裸足の足あとが川から線路へと一直線に続いているんだ。  それを見て、あのヤキトリ屋の悪ガキは、頭が変になって、母親はそいつ連れて、実家に帰っちまった。それで結局ヤキトリ屋は店じまい。  それでも、ヒタヒタヒタ、ピチャピチャピチャ。  足は靴を探し続けて、毎朝アスファルトの上に足あとをのこして、始発電車へと消えていく――。  俺はもう、あの子が哀れで、申し訳なくて。 すべての仕事を放り出して、お嬢さんの赤い靴とそっくりの靴を、もう一足作ったんだ。  そうして夜、シャッターをおろした店の前に靴を置くと、店の中でじっとあの子の来るのを待ってた。  ヒタヒタヒタ……いつもの時刻になると、あの足音が線路の方からやってきた。  そして俺の店の前に止まった。  ゆっくり、そっと、汚さぬように、靴に足を入れる気配がする。  コッコッコッコッコッ、はずんだ靴音が線路の方へ、お屋敷の方へと遠ざかっていくのを、俺はシャッターのこっち側から聞いてたんだ。  手を合わせて、「ごめんよ、ごめんよ」って、あやまり続けたんだ。  その朝、屋敷の玄関にあの靴が、キチンとそろえて置いてあったそうだ。  それきり幽霊は二度と出なかった。  なんだい、話が出来すぎだ、作ってんだろうって?  ホントだって。次の日その子の母親が靴を返しに来て、くわしく聞いたんだから。  幽霊のはいた靴なんて捨ててこい――と屋敷の主人に言われたそうだ。  何べんも俺に頭下げて、「すいません、すいません」ってボロボロ泣いてよ。 「こんな事になったのは俺のせいなんです」  ってじいちゃんもあやまって――  二人で頭の下げあいさ。  まあ……それが縁で、ばあちゃんと所帯を持ったんだからホント、世の中何がおこるかわかんないよなあ。  あれから五十年。バブルがはじけて土建屋の社長もいなくなって、お屋敷も今じゃ郷土博物館に衣替え。  靴をオーダーで作る人も少なくなって、商店街もシャッターのおりた所ばかりだ。  時代ってやつさ。何もかんも変わってく――  長年つれそったばあちゃんも昨年死んじまった。  だから、ばあちゃんの葬式の日に、じいちゃん柩に白い箱入れたろ?  あんなかにあの赤い靴が入ってたんだよ。  なつかしくてよ。  柩に入れるまえに祖父ちゃん、五十年ぶりにあの箱をあけてみたのさ。  そしたら靴の中に何が入ってたと思う?  子供一人分の足の骨が、まんまの形で入ってたんだぜ。              
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