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「久しぶりだな」
社屋の一番隅っこ、最も目立たない場所に、お客様相談室の部署がある。亀田は、あの時から白髪も増え、少し太ったように見えるが、飄々とした態度は変わりなかった。
「それで、僕を引き抜きたいって言うのはどういうこと?」
亀田が淡々と言う。
「時代は変わった。実力がある人間は、もう必要ない。下の人間の気持ちが分かる人間が必要だ。この部署で、嫌というほどお客の気持ちを汲んできた亀田なら、適任だろ。いや、この会社で、さんざんな目にあったからこそ、何を変えれば良いかが分かっているんじゃないか」
亀田はしばらく沈黙を貫くが、「ふふっ」と笑い声を漏らす。
「部長命令なら仕方がないな。でもね……」
亀田はデスクから立ち上がり、ニッと不適な笑みを見せる。
「僕がこの二十年間、ただ時間を浪費したと思っているかい?」
亀田が差し出したノートを見て、俺はぞっとした。そこには、この会社に勤める若手社員のデータが余すことなく書かれていた。
「これは?」
「会社を変えるなら、部下の気持ちを掴まないといけないだろ。着々と、味方を増やしていたんだ」
「そんなことが……」
俺はノートをめくっていく。およそ全ての部署において、若手に関するデータが書かれている。どんな人物で、どんな仕事が好きで、どんな目標があって、どういった仕事を任せたら良いか、事細かに書いている。一人一人について、詳細なデータが書かれているのは、亀田自身が根気強く彼らと話をしたからに違いない。
俺はこの二十年間、ただ自分の保身でいっぱいいっぱいだった。しかし、亀田は違ったのだ。理不尽な異動をさせながらも、淡々と、この組織を変える準備を整えていたのだ。誰も見ていないところで、爪を研ぎ続けていたのだ。
「革命の準備はもう整ってるよ。さあ、会社を変えようか」
亀田の口調は、あまりに力強かった。
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