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パン神の怒り
牧畜の神であるパン神は、激怒していた。
先程までの虚無状態からは、思いも寄らない変貌ぶりだ。
あれはただ楽しさから一転して味わった恐怖、不安と焦燥、恥辱と悲しみ、と短時間での感情のふり幅についていけなかっただけの話。
だから、事態が落ち着いた今は――
「我が何をしたというのだ! 所望された楽を提し、宴を楽しんでいただけではないか?!」
こみ上げてくる怒りが抑えられない。
音楽を提供し、神々で宴を楽しんでいたのだ。
音楽と宴を楽しめば楽しむほど、酒も進む。
自明の理だ――とパン神は歯ぎしりする。
突如襲ってきた不幸な出来事、テュポンの来襲からは他の神々だって逃げ出したのだ。
(あの全知全能の神と呼ばれるゼウス神だって、スタコラ逃げ出したのだぞ?!
……まあ、我はあのように華麗には逃げられなかったのだが。
むしろ無様さをもって、テュポンに見逃されたのかもしれないが。
いや、むしろ同類と思われた――?)
パン神はここで検証をスッパリ止めた。
自分、大事。
そして、感情を優先させる。
「だからといって、このようなやり方、我は許容できぬ!」
化け損なった上半身はヤギ、下半身は魚のまま、ゼウス神によって空に縫い留められたパン神は、怒りの声をあげる。
「もぉ~パン神様、どうされましたか?」
「お気を確かになさってヒヒーン」
「どうかお気を鎮めてくだされメェ~」
空に飛ばされたパン神の元に、牧畜たちが集まってくる。
心配そうな配下のものたちを見ても、パン神の気はおさまらない。
むしろ情けない姿を見られたとばかり、一層怒りがこみ上げてきた。
怒りで力の入った身体で身じろぎした時、キシリと空間がイヤな音をたてるが、誰も気がつかない。
パン神の怒りは、募るばかり。
さらに、自由に動けない苛立ちから、ついに、無理やり身じろぎ、足を踏み鳴らそうとしてしまった。
パシーン!!
けれども、パン神の足は今や魚の尾。
それは大きくしなり、空間に叩きつけられる。
しかし、変化した尾にこめられた力は、パン神の予想を遥かに超えていた。
何と最初の一撃で、尾の周辺が砕け散る。
その後もキシキシと音を立てて、亀裂が広がっていく。
そして、今のパン神を象っている山羊座の一部、小さな星の逆三角の連なり――人が天に昇るときの入り口が壊れ、ものすごい衝撃が辺り一帯を襲った。
その時、その衝撃で、パン神が大切に抱えていたシュリンクスの笛がこぼれ落ちる。
パン神が何より大切にしている、シュリンクスの笛。
それが亀裂の向こう側へと、吸いこまれていく。
「ああーーー」
悲しげなパン神の悲鳴が辺りに響き渡った時、小さな綿毛のような塊が弾丸の如く飛び出した。
「パン神さまの、だいじなふえ」
かん高く幼い声で叫びながら、シュリンクスの笛を追いかけていく。
「まもらないと!」
「たいへん! パン神さまに、とどけなくちゃ!」
後に続く、同じような二つの塊と声。
それらは、あっという間に見えなくなった。
一瞬の静寂の後、響き渡る悲鳴。
「メェーーー子ども達がぁ!?」
「メェーーー追いかけろ!!」
亀裂へとなだれ込む、羊たちの群れ。
仔羊達の身を案じ、次々と亀裂へと身を投じていく――
こちらも、あっという間に見えなくなった……。
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