第三話 美代の猫

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 少女の両手が龍郎の頬を包み、唇が呼吸を止める。  龍郎はあわてふためいた。思わず、ぼうぜんとして数瞬、立ちつくしてしまったが、我に返ると、真魚華の肩をつかんで引き離す。 「真魚華さん?」 「お願い! わたしと逃げて!」 「えッ?」 「わたしをここからつれて逃げて」 「えーと……」  龍郎が返事に窮していると、背後から声が。 「……ウソつき」  青蘭だ。よりによって追ってきたらしい。襖から半分、顔をのぞかせて、恨みがましい目つきでにらんでいる。 「ウソじゃないよ? おれが好きなのは青蘭だから」 「……ウソつき」  出た。青蘭の同じセリフ連発攻撃。これは青蘭が自分の主張を通したいときのクセだ。得意技で龍郎の発言をさまたげたあと、バタバタと涙目で走っていく。 「いや、ちょっと待ってよ。青蘭。違うって——」 「わたしといっしょに逃げてください!」  真魚華も、まだしがみついてくる。 「いや、離してください。おれ、あなたとは逃げませんし」 「お願いです。島から出るまででもいいから」 「あなたが悪魔に憑依されてるっていうのが、演技だってことはわかりました。もしかして、その目もカラーコンタクトじゃないですか?」 「それは……」 「さっき、あなたが失神したふりしてるときに、ひたいに手をあてて浄化しました。ほんとの悪魔憑きなら、必ずそれで効果があるんですよ。何も変化がないのは、あなたのなかに悪魔が憑依しているわけではないからだ。それに、おれの右手は浄化の手です。悪魔がふれると火傷を負う。でも、あなたにはそんな傷はつかなかった」 「…………」  真魚華はいったん口ごもった。が、またワアワア泣きながら、龍郎の胸にすがりついてくる。わざとなのか、着物のすそも乱れたままだ。 「だって、あんなおじさんとムリヤリ結婚させられるなんて、わたし、イヤ! だから、うちの呪いのせいにすれば、少しは時間かせぎになるかなって」 「医者の診察も受けたみたいだけど、そう言って協力してもらったんだね?」 「うちでは診れませんって言ってもらえばよかったから……」  こんな美少女が四十も年上の親父に金の力でイヤイヤ嫁にさせられると聞けば、たいていの男は義憤(ぎふん)を燃やす。泣きつかれたら、「原因が特定できないので診察できません」くらいのウソはついてくれるだろう。 「君には同情する。もとはと言えば、君のおじいさんが下井さんのお姉さんにしたことだ。いや、もっとヒドイことをおじいさんはしてる。下井さんに恨まれるのは当然だ。でも、だからって君が悪いわけじゃない」 「そうでしょ? なら、わたしをつれてってよ」  龍郎は首をふる。 「このことは誰にも言わない。だけど、君のまわりから強烈な悪魔の匂いがすることは事実だ。ちゃんと退治しないと、島から逃げだしても、きっと追ってくる」  真魚華は急速に冷めた目になって、龍郎をバカにするようにながめた。 「わたし、そういうの信じてないんだけど」 「別に信じてもらう必要はないよ。この数日のうちになんとか原因を究明して、悪魔を祓えるよう努力する。それまで、おとなしくしていてほしい」  ふん、と真魚華はそっぽをむいた。自分が迫れば誰でもかんたんに落とせると思っていたのだろう。たぶん、言いなりにならない男が腹立たしいのだ。 「今夜から、この屋敷に泊めてもらっていいですか?」  返事はない。 「君の身を守るためだから、かまいませんね?」 「好きにすれば」  龍郎は不機嫌になった真魚華を一人残し、座敷へ走った。ご機嫌とりなら、青蘭のほうを優先しなければならない。ゆるしてくれればいいのだが。  ところがだ。廊下に出て走りだした直後に、背後からものすごい悲鳴が聞こえた。絶叫と言っていい。  龍郎は急いでひきかえす。まだ部屋を出てから、ほんの数十秒しか経過していない。それなのに、そのわずかの時間で、室内は劇的に変化していた。  畳に倒れた真魚華の上に、巨大な白猫がのしかかっている。東屋で見た、あの片目の白猫だ。ただ、その大きさは東屋で見たときより、さらに倍は大きい。土佐犬なみのサイズ。むろん、悪魔だ。 「真魚華さん!」  白猫は真魚華の顔のあたりに爪をかけている。  室内にとびこんだ龍郎は、白猫にタックルし、真魚華の上からどかせる。反撃のすきをあたえず、そのまま左手で白猫の首をつかみ、右のこぶしを顔面にたたきこむ。  無念の叫びをあげながら、白猫はドロドロに溶けた。光の粒となり、龍郎の口中に吸いこまれる。 「真魚華さん。大丈夫か?」  かえりみた龍郎はギョッとした。真魚華の右目から血があふれている。目玉を白猫にえぐりだされたのだ。 「誰か! 誰か来てくれ! 真魚華さんが大変だ!」  電話で救急車を呼ぼうとしたが、ここは孤島だ。島内に病院があるのかどうかもよくわからない。ことに眼球が傷つけられている。失明の可能性が高い。  かけつけてきた奥野と花影に任せることにした。奥野はおびえていたが、花影は冷静に電話をかけ対処している。しばらくして救急車がやってきた。が、島の小さな病院では処置できないというので、ドクターヘリで本州に送られることになった。 「こんなことになるんじゃないかって、思ってたんですよ」と、ヘリを見送ったあと、奥野がふるえながらつぶやいた。 「なぜですか?」 「真魚華さん。ああ見えて、子どものころから残酷なところがあって」 「たとえば、どんな?」 「近所の猫をいじめてらしたんですよ。目をつついてね。かわいそうに。大きな白い猫が片目になって、そのせいで海に落ちて死んでしまったんです」 「そうですか」  どうやら、あの白猫は真魚華がイジメた猫の霊らしい。  美代の猫ではなかったのだ。  白猫は祓った。  だが、ほんとにこれで終わりだろうか?  いささか疑問が残る。  了
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