第三話 美代の猫

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 それはとても小さな墓だ。そのへんのちょっと大きな石をつみかさねたかのような。苔に覆われて、誰にも見守られることなく放置されている。 「美代(みよ)さんですか。浦主家と関係がある人ですか?」 「美代は下井の娘だった」 「下井さん? 今の真魚華さんと婚約している、あの下井さんの家の?」 「美代は義郎の姉だった。年が十離れておってな。義郎は夫婦が年をとってからできた子なので、母親が早くに亡くなってな。美代が母代わりだった」  ここで、まさか、下井家と浦主家の因縁が聞けるとは思わなかった。  住職の話によれば、下井家は庄屋の家系で、その昔はかなり裕福だったという。寺の周囲にある棚田はすべて、下井家の所有だった。  だが、戦後に金に困り、浦主家に借金をした。それが没落の始まりだった。なんやかやと難癖をつけられて、田んぼをとりあげられ、いよいよ家計は火の車だ。  そのころ、美代が生まれた。 「美代はそれはそれはキレイな娘でな。そりゃもう、となりの島から、わざわざ男が見物に来るほどじゃった。だが、それがいかんかったんじゃ」  借金のある家に美女が生まれたのだ。当然のごとく、宗太郎が妾奉公を望んだ。当時、美代はまだ十六。宗太郎はとっくに五十をこえていた。もちろんのこと、美代はイヤがった。当時、美代には恋人がいるというウワサもあった。 「そうは言っても借金はふくらむばかりよ。ムリヤリに妾にされてな。昔はそんなことが、まかり通ったもんだ。美代は浦主の屋敷につれていかれた。が、恋人とひそかに逢引きを続けとった。それが宗太郎に見つかって、恋人は島から追放された。美代の実家も家財道具を奪われる。家も壊される。この下に崩れた家があったじゃろう。あそこが下井の住まいだった」 「あれですか」  たしかに、もとは豪壮な屋敷だったろうに、討ち入りのあとのようなありさまだった。 「美代は宗太郎にいびられて、首をくくって死んだ。下井家は島におられんようになって出ていった。それがもう五十年も前のことか」  今から五十年前だとすれば、義郎は五、六歳だったろう。母代わりの美しい姉を殺されたも同然。あげくに住む家を奪われて、身一つで島から追いだされたわけだ。それは恨みに思ってもしかたない。 「だから、義郎さんは復讐のために真魚華さんを花嫁にして、浦主家を乗っ取ろうとしているんですね」 「そうだろうとも。だがな、わざわざ人がやることはないんじゃよ。あの家はもう呪われとるからな」  そこが一番、聞きたいところだ。 「呪われてるって、なぜですか? 猫が関係してるんですよね?」  住職はうなずいて、 「美代は猫を飼っとったんだ。大きな白い猫でな。なんちゅうんだったか、ほれ、目の色が右と左で違う」 「オッドアイですか」 「さあ、知らんがね。美代が死んだあと、その猫がじっとりにらむのが、どうにも気に食わんかったんじゃろう。宗太郎は猫をつかまえて、火箸(ひばし)で片目をつぶしてな。もう片方の目もつぶそうとしたとき、猫が暴れて、宗太郎の顔をひっかいたんじゃ。宗太郎はカッとなって、火箸で叩いて猫を殺してしもうた」  白い大きな猫。片目がつぶれた……なんだか、胸がざわめく。それはまるで、さっきの……。 「それで、どうなったんですか?」 「うむ。猫を殺したあと、宗太郎はひっかかれた傷が()んでな。顔がただれて、高熱を出し、死んだ。そのあと、宗太郎の息子や娘はみんな、何かしらの原因で失明してな。美代の猫の祟りだという」 「その猫はオッドアイでしたね。何色と何色の目でしたか?」 「さあて。片方は青だったという話だが。残りはふつうだったんじゃろ」  猫の一般的な目の色は黄色だ。真魚華の変質した目の色だ。たしかに、猫がつぶされたほうの目に異常が起きている。だとしたら、現在、真魚華のあの右目は、美代の猫の祟りだ。  とりあえず、美代の墓に手をあわせたのち、浄化の光で周囲を清める。が、寺ぜんたいにまとわりつく瘴気はほとんど減った気がしない。どうも、浄化ポイントがここではないように感じた。 (さっきのあの猫を退治しないとダメかな?)  あの片目の大きな白猫。  ただの猫ではなさそうだった。霊的なものだとしても違和感はない。  まるで龍郎を誘うように見ていた。何かを言いたそうに。  あの猫を探そうと思う。  あてはないが。 「ありがとうございます。また、お話を聞きにきます」 「ああ。いいよ。いつでも来なさい」  龍郎は住職に一礼して、本堂へは入らず、そのまま山門を出た。  長い長い石段。両側にもソメイヨシノが咲き誇っている。  その桜並木が切れた合間から、下の景色が見えた。下井家の屋敷だったという廃墟がよく見える。  くずれた屋敷のまんなかに中庭があった。もちろん雑草で埋めつくされているが、あの丸いのは井戸だろうか?  井戸端に女が立っている。白っぽい着物を着て、見るからに亡霊だ。 (なんだ? あの女)  龍郎が凝視していると、女はそれを感知したようにまっすぐ上を見あげてくる。女と目があった。片目は青い。だが、反対側の目は黒く陥没している。  禍々しい力を感じた。  龍郎は急いで石段をかけおりる。最後の数段はとびおりて、廃墟へと走った。  が、半壊した建物が出入口をふさいで、中庭へ行きつくことができない。暗い家屋の奥から、猫の鳴き声が響きわたった。
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