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自分の受けた孤独で辛い日々を思い返すと、少しだけ指先が震えた。大丈夫だと自分を奮い立たせようと思った矢先、ヴィンセント先輩と目があった。
「そうだ。これは昇格祝いに渡そうと思ったのだけれど、先に渡しておく。喜んでくれるとうれしいんだけれど」
「あ……これは、『水銀砂漠の錬金術』じゃないですか! 珍しくて図書館にもなかったはず!」
「故郷の本だからな。蔵にあっても宝の持ち腐れだと思って取り寄せたんだ」
「え、蔵? 宝……」
聞き逃してはいけない単語があったのだが、ずっしりとした本の重さを感じて、ふと指先の震えが止まっていることに気付いた。
「これでちょっとは緊張もほぐれたかい?」
「ヴィンセント先輩……! はい。先輩がいれば百人力だって実感しました!」
本当は先輩に触れたいのを我慢して、本を大事に抱えながら答えると、先輩は「本と代わりたい」と少しだけ羨望の眼差しを本に向けていた。
やっぱり、すごく貴重な本なのかも。……いつのお世話になっているから刺繍入りのハンカチを作ったけど、それとは別に何か用意したほうがいいかな?
そんなことを思いつつ、ヴィンセント先輩の後を追いかけた。
***
カフェの個室は思ったよりも広々としていて、大きめなアーチ窓が可愛らしい。三階にあるカフェからは、幻想的な霧の森が一望できるようになっている。
向かい合う形で席に座るとソファが予想以上にふかふかで、感動すら覚えた。
「この店のソファは幻獣の《夢羊の毛》を使っているそうだよ」
「ふわふわ。人をダメにしそうなソファですね」
「シンシアなら気にいるって思っていた」
二人きりでもカフェの中では女口調はなりを潜めている。それが少しだけ新鮮に映った。
「あ、ヴィンセント先輩」
「ん? なに?」
「(日頃のお礼にハンカチを──)こ、こここ」
「うん」
「このビーフシチューのパイ包みが美味しそうですよね!?」
ヘタレな私は寸前で誤魔化す。意識するとそれだけで胸がざわざわして、上手く言葉が出てこない。
ヴィンセント先輩の笑みに翳りが生じた。それを見た瞬間、自分が誤魔化したことで彼を傷つけてしまったのだと気付く。
「ああ、今月のおすすめだからね。……シンシア。君が緊張しているのは、この後の復讐劇が控えているからって思っていたんだけれど、それ以外にも何かあるのかな?」
「不安とかじゃなくて……、こ、これを……渡すタイミングが……」
勢いに任せてヴィンセント先輩にハンカチを差し出した。どちらかというと押しつけるような形になってしまったが。
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