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第3話
鳥のさえずりで目が覚める。
いつも通り、とても目覚めのいい朝だ。
上体を起こして、毎日必ず私が目覚める前には側に控えている侍女マリーの方を見る。
「おはようマリー」
彼女は洗顔用の水桶を手に持ちながら、愛嬌のある可愛らしい笑顔で軽く会釈をした。
「はい、おはようございます殿下」
マリーがサイドチェストに置いてくれた水桶の水を顔にパシャパシャとかける。
まだぼんやりとしていた意識がはっきりしてくる。
顔についた水をタオルでぬぐってからマリーの顔を見て尋ねる。
「今日はなにか予定はある?」
「先程王妃陛下がお呼びなので、殿下がお目覚めになられたら応接室にいらっしゃるように、陛下のお付きの方が伝えにいらっしゃいました」
私は王妃陛下の名が出たとたん、すぐに立ち上がった。
「急いで準備するわ。マリー、ドレスの用意をお願い」
「かしこまりました」
他の使用人も呼び、急いでドレスを着替える。
早く行かなければ。
ほかでもない、王妃陛下がお呼びなのだから。
着替えをして応接室に向かうと、金糸を編んだような美しい金色の髪を靡かせ、星を散りばめた夜空のようにキラキラと輝く青い瞳と、陶器のように白い肌をもった美しい女性が使用人たちと談笑していた。
「大変お待たせしてしまい申し訳ございません、王妃陛下」
陛下がこちらを見たのを確認して扉の前でカーテシーをすると、彼女は花がほころぶようにふわりと笑った。
「いいのよ、こんな朝早くに呼び出してごめんなさいね。さあ、座って」
陛下が手を指したソファへ腰掛ける。
そばに控えていた使用人が私の前へ陛下の前に置かれているのと同じティーカップを差し出した。
カップを持って一口飲み込む。
口の中にほんのりとした甘さが広がる。
音を立てないように静かにカップを机に戻した。
陛下のほうを見ると、真剣な面持ちでこちらを見ていた。
その表情を見て、呼ばれた理由に少し不安を覚える。
陛下はいつもにこにこと笑っていて、ここまで真剣な表情をしているのを見たことがないからだ。
陛下が口を開いたのを見て、わからないように静かに唾を飲み込む。
「単刀直入に言うと、実はあなたに婚約の話が来てね」
予想外の言葉に驚いて目を見開く。
なぜなら私が下民の妾の子だということはこの国の誰もが知っている話で、そんな私と婚約したがる人などいないと言っていいからだ。
それにも関わらず、そんな物好きがいるとは。
「私はあなたの意志を優先したいから、嫌なら嫌だと言ってほしいの。私から皇帝陛下に伝えておくわ」
「まず、お相手の方のことを教えていただきたいです」
「あら、そうよね!ごめんなさい、私ったら気持ちが先走ってしまって、いちばん大事な事を伝えていなかったわ」
あせあせと口に扇子を当てて赤面する彼女を見て、自然と笑みがこぼれそうになる。
「いえ、お気になさらないでください」
私がそう言うと、陛下はほっとしたように扇子を自身の膝の上に戻した
「とても名の通った方でね、あなたは知っているかしら。お相手はスリアナ皇国の、ステア・アイザイン公爵なの」
私は驚きのあまり言葉が出なかった。
ステア・アイザイン公爵。
彼のことを知らないものはいないだろう。
幼い頃に両親を流行り病で亡くし、頼れる親族もおらず、わずか12歳で公爵位を受爵した神童と評された人物だ。
スリアナ皇国でなければ12歳という若さで爵位を継ぐことなどありえない話だ。
彼の国はとにかく血筋を重んじるので、他人に爵位を継がせるよりも、血族であればどれほど幼くても構わないからその人物に襲爵させるべきという考えなのだ。
それにステア・アイザインは彼の両親がまだ生きている時から天才だと言われていた。
スリアナの皇帝は当時の彼の年齢でも公爵位を任せられると考えたのだろう。
実際に彼は歴代公爵と比べ物にならないほどの業績を残している。
そして彼はなんと言ってもその容姿の美しさから、世界中の令嬢から婚約の申込みが絶えないと聞いている。
その中には他国の皇族、王族もいたそうだ。
そんな引く手あまたの人物がなぜ、私などと婚約するという話になったのだろうか。
それに彼はたしか、今年17歳になるはずだ。
私は今年で20歳で、すでに行き遅れと言われる年齢だ。
こんな年増の女と婚約したがるだろうか。
そしてなによりも1番引っかかるのは、彼が我がクラッサ王国の敵国、スリアナ皇国の人間ということだ。
なにかある、そう考えるのが自然だろう。
だが王妃陛下も、そんなこと百も承知でこの話を私にしているのだ。
間違いなく彼女にも思惑がある。
しかしいずれにしても、これでようやく王妃陛下に恩返しをすることができる。
私をあの貧民街から救ってくれたのは陛下だ。
ずっとその恩を返したいと思っていた。
まっすぐ陛下の目を見て口を開く。
「その婚約、お受けします。国王陛下にもそうお伝え下さい」
陛下は一瞬、瞠若したような顔をした。
「ほんとうにいいの?断っても構わないのよ」
彼女は少し首を傾げて柔らかい笑みのまま尋ねた。
彼女の私を気遣う素振りに心が温かくなるのを感じながら、私はゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、この先私に婚約の申込みが来る可能性は無いに等しいでしょうし、それほど立派な方からの申し出を断るわけには参りません」
陛下は少し眉を下げてにっこりと笑っていたけれど、その瞳の奥にどこか悲しい色が見えたような気がした。
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