小説「夏と罰」

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目が覚めた瞬間から動悸がしていた。  雲一つ無い快晴で、テレビでは今日の夏祭りの話題が取り上げられていた。  窓から深呼吸をして、覚悟を決める。  今日、私は人を殺す。  両親は仲が悪かった。  じゃあなんで結婚したんだよ、って思う。  私は父が好きだった。父親として。  母親は苦手。  両親の喧嘩は私にまで飛び火してきて、コイツが出来損ないなのはアンタのせいだ!みたいに母が言うことが昔からよくあった。  なぜそんなにも仲が悪いのか、私は知らない。  内戦状態の家庭に進展があったのは、つい一昨日のことだった。  私が高校進学と同時に、離婚した。  私は父の方について行った。  父は祖父母を頼って地方に移住する事にした。  これが今までの流れ。  今はバスに揺られている。  外は田んぼか家屋かで、トトロが出てきそうなほど田舎だ。  ここまで電車とバスで4時間半ほど。  流石に腰が痛い。  あとどれくらいで着くのだろうと考えていたら、パスが停まった。 「ここで降りるぞ」  父はそう言ってキャリーケースを持って降りて行った。  田舎の空気は澄んでいた。  肺いっぱいに空気を吸って、吐く。 「少し歩くぞ」  都会とは比べ物にならないほどの静けさ。  道端に生える様々な草花。  アスファルトなんかじゃない、少しでこぼこした土の道。  雲一つない、無限に広がる青い空。  全てが新鮮だった。  祖父母は温厚な人達だった。  農業を営む彼らは私たちを温かく迎えてくれた。  昔一度、私が幼稚園児だった頃に会ったことがあるらしいのだが、当の本人である私は何も覚えていない。  長い間この夫婦を守っていたであろうこの木造建築の家が今後の我が家になると思うと、この病んだ心にも明かりが灯った。  柱は角が取れて滑らかになっていて、床はところどころギシギシとは鳴るものの、それもまた年季を感じさせられて感動した。  私の部屋は広かった。元の部屋が狭かったのもあるが、それでも都会の一室よりは全然広い。  タンスに持ってきた服をしまって、ベットに横になる。  ふかふかで太陽に当てたれたいい匂いがした。  このベットは祖父が私のために新しく買ってきてくれたらしい。  殺伐とした環境から一変、思いやりと愛情に触れて泣きそうになった。  私の通う学校はこの田舎全体に一校だけの高校で、小学、中学、高校でほとんど顔ぶれが変わらないらしい。  だから、私が入学した時は既にコミュニティは形成されていて、私は異質な存在みたいだった。  「なあ、どこから来たん?」  後ろから声がした。  振り返ると、笑みを浮かべて興味津々そうな目で私を見ている男子がいた。  「あ、え、えっと、静岡県からです、」  「静岡ってあれよな、蜜柑が美味しいとこよな?」  蜜柑ってどこのも美味しいんじゃないの。  「うん。多分そう」  「へぇ〜。よう遠いとこから来たな」  私はこのタイプの人間が苦手だった。  私自身、目立たないし目立ちたくない。  それを、彼は私の様な人を無理矢理日向に引き摺り出すような人間だった。  だが、苦手とは言ったが嫌いではなかった。  170センチぐらいで、細マッチョみたいな体格をしている。  髪は短髪で、太陽みたいな目をしていた。  イケメン。その言葉に尽きる。  きっと人気者なんだろう。  私の予想を裏付けるように、彼と私の周りには沢山の人がいた。  「青木さんの名前ってなんて読む?“るい”?」  別の人が聞いてきた。  「るいはないやろ。これは多分、“かさね”や」  光瑠が返した。  「うん。かさねで合ってる」  光瑠がガッツポーズをした。  青木累。それが私の名前。  「累。俺は天瀬光瑠っていうんだ。光瑠って呼んでな」  「・・・・・うん」  私は、私の名前が嫌いだった。  累の意味は、縛られて離れられないもの、足手纏いのわずらい。  母が名前を決めたらしい。  生まれた瞬間から祝福されてなかったと思うと、なかなか悲しかった。  今はもう慣れたけど。    私が家に帰る頃には祖父母達も家にいて、テレビを見たり夕食を作ったりしている。  初めこそ緊張したが、半月近く経った今では割と家族のように過ごせている。  この半月で、家が広いことや内戦状態じゃないことの他に感動したことがもう一つあって、それはご飯が美味しいことだ。  何を言っているんだと思うかもしれない。  ただ、私の母は控えめに言って酷い料理しか作らない。  炊飯器のご飯が不味いから嫌だと言って、ご飯を炊く用の鍋を買っていた。  母は適当な人間で、母の炊くご飯は酷く焦げていたり、ぐちょぐちょだったり芯が残っていたりする。  偶に弁当を作ってくれるが、蓋を開けてみれば鍋の底の酷く焦げた米粒をかき集めたようなものばっかりだった。  さらに、おかずには味がしない。仮に味をいうならば、自然の味。  そんな母と長年暮らしているからか、父はとても料理が上手だった。  中華料理に至っては、外で売りにしているお店の商品と遜色ないレベルだった。  しかし、そんな父の料理を食べられるのも1週間に一食あるかないかぐらいで、ほとんどの日は母の料理を食べていた。  よく、「給食は不味い」という人がいる。  私は彼らと一生分かり合えない気がしていた。  祖父母の家に来てからは、毎日美味しい料理を食べることができた。  料理が美味しいと伝えると、これぐらい普通のことだよ、と言いつつも喜んでいた。  生活には慣れ始めたが、心はまだ休めていなかった。  母の影響は強いらしく、もういないんだとわかっていても心は怯えていた。  掛け布団を頭まで被って、イヤホンを耳に詰めて音楽を流す。  もうあいつはいないんだ。  私は自由になったんだ。  そう言い聞かせる夜が何日も続いていた。    学校生活にも慣れ始めた。  光瑠のお陰で、入学当初のような異質感は結構薄まっている。  光瑠には感謝しかないが、毎日話しかけられるのは少し嫌だ。  なんか、他の女子からの目線が冷たいように感じる。  「なあ、累の好きなタイプはどんなん?」  なんて聞かれたら日には、背中に刃でも刺されてるんじゃないかってぐらい視線を感じた。  多分、光瑠のことが好きな女子は少なくない。  だからこそ、毎日話しかけられるのは少し嫌なんだ。  というか、少しどころかできれば拒否したいぐらい嫌だ。  新しい高校になったのに疎外されたくない。  「なあ累。今度この地域のお祭りあるけど、一緒に回らん?花火もあるで」  またヘイトを買いそうな誘いが来た。  「お祭りなんてあるんだ。いつ?」  「3ヶ月後」  めっちゃ先の事じゃん。  「すごく先じゃん」  「無理か?」  無理かと聞かれて無理と言うことは私にはできない。  「多分、行ける…」  「よっしゃ決まりな!」  3ヶ月後はちょうど夏休みだ。  お祭りなんて、ほとんど行った事ないな。  浴衣とか着てみたいな。  「3ヶ月後ぐらいにお祭りあるって本当?」  ろくに話せる友達がいなかったから、私は祖母に聞いた。  「うん。8月の5日にあるよ」  スマホのカレンダーの8月5日に「お祭り」と書き込んだ。  「友達に一緒に行こうって誘われたんだけど、浴衣とかって持ってないかな」  「えーっと、浴衣ね、あったはずだよ」  祖母は自分の部屋に行き、押し入れの中を探し始めた。  少し待っていると、  「あったよ」  と言って浴衣を見せてくれた。  椿柄の綺麗な浴衣だった。  「昔はよく着たんだけどね、この歳じゃあもう着ることはないから、かさねちゃんにあげるよ」  「ありがとう。大切にする」  「お祭りまでに仕立てておくから、楽しみにしておいてね」  この場所に来てから、私の心は希望に満ちていた。  3ヶ月後のお祭りが待ち遠しくて仕方がなかった。  しかも、男の子と。イケメンの。  他の女子に妬まれるとか、どうでも良くなくなってきた。  けちょんけちょんにされた自己肯定感が少しずつ回復しているのを感じる。  一瞬、そんな自分に嫌気が刺した。  もう1人の自分が言っていた。  「だからお前は虐められるんだ」って  そして、私の記憶が蘇った。  両親が不仲で、家に居場所がなかった私は、必然的に学校が居場所になった。  だけど、幼少期に親と適切な交流ができなかったから、コミュニケーション能力が欠如していた。  だから、私が他の人と話そうとしてもうまく話せなかった。  多くの人ができる、ありふれた日常会話すら、私には難儀だった。  多分、ここでどうするかが、嫌われる人間になるか、目立たない人間になるかの1つの分岐点になっているんだと思う。  他人との交流を諦めて、自分自身で完結できていれば、ただの目立たない人間に成るだけで済んだのだろう。  問題は、私にはないコミュニケーション能力を使ってコミュニケーションを取ろうとしたことだ。  中学生の頃に「友達じゃないのに無理矢理輪の中に入ろうとするやつ」とか「用がないのに自分の周りをうろついたり、自分をチラチラ見てきたりするやつ」とか「価値観がズレてて話にならないやつ」とかを見たことがある。  私自身、そういう人達は嫌いだ。  でも、小学生だった頃の私は、そういう人間だった。  遊びに行く話をしている輪の中に無理矢理入って 「どこに行くの?私も行かせて」 って勇気を出して言ったけれど、勿論そんなの嫌われるに決まっていた。  そんなこととは知らずに小学校生活を送った。  だから、私は彼らの気持ちもよくわかる。  それでも彼らを見るのは嫌だった。  過去の私を見ているみたいで。  そんな私に変化があったのは中学入学の時だった。  小学校高学年の時点で、人間関係に対する違和感はあった。  周りが一線引いているような感じで、本音で喋ってない感じがしていた。  中学入学と同時にスマホを買い与えてくれた。  そこで、私は人と上手く関われないことについて調べた。  そこには、私の人生を否定するような“正論”が書かれていた。  私は泣いた。  自分がやってきたこと全て裏目に出ていたと知って。  そこで、もう一生懸命人と関わろうとするのはやめよう。そう決めた。  初めのうちは寂しくって、人に話しかけようとする衝動が抑えられなかった。  その度に、お前は人と関わるべき人間じゃない。失敗するだけだ。って思い続けた。  自分を守るための言葉が、いつしか自己否定に変わっていった。  お前は出来損ないだ。努力したって無駄だ。死んだ方がいい人間だ。  もう1人の自分が囁き続けた。  私が静かになった頃、私の周りに人が寄るようになった。  皮肉か?  神様は私を玩具だと思っているらしい。  いくら人が寄ってこようが、私は受け答えしかしなかった。  そうすると、何故か更に人が寄ってきた。  とある、最近読んだ本に 「情報社会となって、スマホからでもなんでも情報を手に入れることができるようになった。その結果、人から情報を欲しがることは減り、相対的に人に話す欲の方が増えた。  だから、現代においては物知りよりも聞き上手の方が人間関係においては需要が高まっている」  というような内容のことが書いてあった。  つまり、そういうことなんだろう。  私は受け答えだけしかしない。  人々は話を聞いてくれる人を探している。  私は適任だったのだ。  昔私を避けていた女子達も寄ってくるようになって、そのうちの1人は「凄く丸くなったね」と私に言った。  昔の事を聞いたら、赤面してしまうような事ばかりしていて、でも自分は変われたんだと思って嬉しかった。  あんまり周りに人がいると、喋りたくなる気持ちが抑えられなくなる。  そして、喋ってしまった時のみんなの表情。  今でもよくフラッシュバックする。    ある時、1人の同級生の男子が私の事を好きだという噂が流れた。  その男子は多くの女子から人気があって、人生を謳歌しているような人だった。  私は嬉しさでいっぱいになって、日々の生活が楽しかった。  彼は私に告白してきた。  私はYESと答えて、付き合うことになった。  放課後一緒に帰ったり、週末一緒に出かけたり。  でも、そんな楽しい日々はすぐに終わった。  私を妬んでいた女子達の中に、小学校の頃の「痛い青木累」を知る人が複数人いた。  噂というか、過去の事実を流し始めた。  イタイとはいっても、過去の話だし誰にでも黒歴史はあるだろうと考えてた。  彼も、そんなことで私を嫌いになんてなるわけないと思ってた。  でも違った。  彼は自分自身の株を守る為に私を振った。  「お前といると俺にまで悪い影響がくる」 って吐き捨てて。  その時、人間の恐ろしさを改めて思い知った。  これが私のトラウマだった。  気づいたら朝になっていた。  イヤホンが体に絡まっていて、音楽が再生されっぱなしになっていた。  耳と頭が少し痛い。  こうなるから、寝る時はイヤホンをしないようにしていたのだが、ついうっかりしていた。#1  目が覚めた瞬間から動悸がしていた。  雲一つ無い快晴で、テレビでは今日の夏祭りの話題が取り上げられていた。  窓から深呼吸をして、覚悟を決める。  今日、私は人を殺す。  両親は仲が悪かった。  じゃあなんで結婚したんだよ、って思う。  私は父が好きだった。父親として。  母親は苦手。  両親の喧嘩は私にまで飛び火してきて、コイツが出来損ないなのはアンタのせいだ!みたいに母が言うことが昔からよくあった。  なぜそんなにも仲が悪いのか、私は知らない。  内戦状態の家庭に進展があったのは、つい一昨日のことだった。  私が高校進学と同時に、離婚した。  私は父の方について行った。  父は祖父母を頼って地方に移住する事にした。  これが今までの流れ。  今はバスに揺られている。  外は田んぼか家屋かで、トトロが出てきそうなほど田舎だ。  ここまで電車とバスで4時間半ほど。  流石に腰が痛い。  あとどれくらいで着くのだろうと考えていたら、パスが停まった。 「ここで降りるぞ」  父はそう言ってキャリーケースを持って降りて行った。  田舎の空気は澄んでいた。  肺いっぱいに空気を吸って、吐く。 「少し歩くぞ」  都会とは比べ物にならないほどの静けさ。  道端に生える様々な草花。  アスファルトなんかじゃない、少しでこぼこした土の道。  雲一つない、無限に広がる青い空。  全てが新鮮だった。  祖父母は温厚な人達だった。  農業を営む彼らは私たちを温かく迎えてくれた。  昔一度、私が幼稚園児だった頃に会ったことがあるらしいのだが、当の本人である私は何も覚えていない。  長い間この夫婦を守っていたであろうこの木造建築の家が今後の我が家になると思うと、この病んだ心にも明かりが灯った。  柱は角が取れて滑らかになっていて、床はところどころギシギシとは鳴るものの、それもまた年季を感じさせられて感動した。  私の部屋は広かった。元の部屋が狭かったのもあるが、それでも都会の一室よりは全然広い。  タンスに持ってきた服をしまって、ベットに横になる。  ふかふかで太陽に当てたれたいい匂いがした。  このベットは祖父が私のために新しく買ってきてくれたらしい。  殺伐とした環境から一変、思いやりと愛情に触れて泣きそうになった。  私の通う学校はこの田舎全体に一校だけの高校で、小学、中学、高校でほとんど顔ぶれが変わらないらしい。  だから、私が入学した時は既にコミュニティは形成されていて、私は異質な存在みたいだった。  「なあ、どこから来たん?」  後ろから声がした。  振り返ると、笑みを浮かべて興味津々そうな目で私を見ている男子がいた。  「あ、え、えっと、静岡県からです、」  「静岡ってあれよな、蜜柑が美味しいとこよな?」  蜜柑ってどこのも美味しいんじゃないの。  「うん。多分そう」  「へぇ〜。よう遠いとこから来たな」  私はこのタイプの人間が苦手だった。  私自身、目立たないし目立ちたくない。  それを、彼は私の様な人を無理矢理日向に引き摺り出すような人間だった。  だが、苦手とは言ったが嫌いではなかった。  170センチぐらいで、細マッチョみたいな体格をしている。  髪は短髪で、太陽みたいな目をしていた。  イケメン。その言葉に尽きる。  きっと人気者なんだろう。  私の予想を裏付けるように、彼と私の周りには沢山の人がいた。  「青木さんの名前ってなんて読む?“るい”?」  別の人が聞いてきた。  「るいはないやろ。これは多分、“かさね”や」  光瑠が返した。  「うん。かさねで合ってる」  光瑠がガッツポーズをした。  青木累。それが私の名前。  「累。俺は天瀬光瑠っていうんだ。光瑠って呼んでな」  「・・・・・うん」  私は、私の名前が嫌いだった。  累の意味は、縛られて離れられないもの、足手纏いのわずらい。  母が名前を決めたらしい。  生まれた瞬間から祝福されてなかったと思うと、なかなか悲しかった。  今はもう慣れたけど。    私が家に帰る頃には祖父母達も家にいて、テレビを見たり夕食を作ったりしている。  初めこそ緊張したが、半月近く経った今では割と家族のように過ごせている。  この半月で、家が広いことや内戦状態じゃないことの他に感動したことがもう一つあって、それはご飯が美味しいことだ。  何を言っているんだと思うかもしれない。  ただ、私の母は控えめに言って酷い料理しか作らない。  炊飯器のご飯が不味いから嫌だと言って、ご飯を炊く用の鍋を買っていた。  母は適当な人間で、母の炊くご飯は酷く焦げていたり、ぐちょぐちょだったり芯が残っていたりする。  偶に弁当を作ってくれるが、蓋を開けてみれば鍋の底の酷く焦げた米粒をかき集めたようなものばっかりだった。  さらに、おかずには味がしない。仮に味をいうならば、自然の味。  そんな母と長年暮らしているからか、父はとても料理が上手だった。  中華料理に至っては、外で売りにしているお店の商品と遜色ないレベルだった。  しかし、そんな父の料理を食べられるのも1週間に一食あるかないかぐらいで、ほとんどの日は母の料理を食べていた。  よく、「給食は不味い」という人がいる。  私は彼らと一生分かり合えない気がしていた。  祖父母の家に来てからは、毎日美味しい料理を食べることができた。  料理が美味しいと伝えると、これぐらい普通のことだよ、と言いつつも喜んでいた。  生活には慣れ始めたが、心はまだ休めていなかった。  母の影響は強いらしく、もういないんだとわかっていても心は怯えていた。  掛け布団を頭まで被って、イヤホンを耳に詰めて音楽を流す。  もうあいつはいないんだ。  私は自由になったんだ。  そう言い聞かせる夜が何日も続いていた。    学校生活にも慣れ始めた。  光瑠のお陰で、入学当初のような異質感は結構薄まっている。  光瑠には感謝しかないが、毎日話しかけられるのは少し嫌だ。  なんか、他の女子からの目線が冷たいように感じる。  「なあ、累の好きなタイプはどんなん?」  なんて聞かれたら日には、背中に刃でも刺されてるんじゃないかってぐらい視線を感じた。  多分、光瑠のことが好きな女子は少なくない。  だからこそ、毎日話しかけられるのは少し嫌なんだ。  というか、少しどころかできれば拒否したいぐらい嫌だ。  新しい高校になったのに疎外されたくない。  「なあ累。今度この地域のお祭りあるけど、一緒に回らん?花火もあるで」  またヘイトを買いそうな誘いが来た。  「お祭りなんてあるんだ。いつ?」  「3ヶ月後」  めっちゃ先の事じゃん。  「すごく先じゃん」  「無理か?」  無理かと聞かれて無理と言うことは私にはできない。  「多分、行ける…」  「よっしゃ決まりな!」  3ヶ月後はちょうど夏休みだ。  お祭りなんて、ほとんど行った事ないな。  浴衣とか着てみたいな。  「3ヶ月後ぐらいにお祭りあるって本当?」  ろくに話せる友達がいなかったから、私は祖母に聞いた。  「うん。8月の5日にあるよ」  スマホのカレンダーの8月5日に「お祭り」と書き込んだ。  「友達に一緒に行こうって誘われたんだけど、浴衣とかって持ってないかな」  「えーっと、浴衣ね、あったはずだよ」  祖母は自分の部屋に行き、押し入れの中を探し始めた。  少し待っていると、  「あったよ」  と言って浴衣を見せてくれた。  椿柄の綺麗な浴衣だった。  「昔はよく着たんだけどね、この歳じゃあもう着ることはないから、かさねちゃんにあげるよ」  「ありがとう。大切にする」  「お祭りまでに仕立てておくから、楽しみにしておいてね」  この場所に来てから、私の心は希望に満ちていた。  3ヶ月後のお祭りが待ち遠しくて仕方がなかった。  しかも、男の子と。イケメンの。  他の女子に妬まれるとか、どうでも良くなくなってきた。  けちょんけちょんにされた自己肯定感が少しずつ回復しているのを感じる。  一瞬、そんな自分に嫌気が刺した。  もう1人の自分が言っていた。  「だからお前は虐められるんだ」って  そして、私の記憶が蘇った。  両親が不仲で、家に居場所がなかった私は、必然的に学校が居場所になった。  だけど、幼少期に親と適切な交流ができなかったから、コミュニケーション能力が欠如していた。  だから、私が他の人と話そうとしてもうまく話せなかった。  多くの人ができる、ありふれた日常会話すら、私には難儀だった。  多分、ここでどうするかが、嫌われる人間になるか、目立たない人間になるかの1つの分岐点になっているんだと思う。  他人との交流を諦めて、自分自身で完結できていれば、ただの目立たない人間に成るだけで済んだのだろう。  問題は、私にはないコミュニケーション能力を使ってコミュニケーションを取ろうとしたことだ。  中学生の頃に「友達じゃないのに無理矢理輪の中に入ろうとするやつ」とか「用がないのに自分の周りをうろついたり、自分をチラチラ見てきたりするやつ」とか「価値観がズレてて話にならないやつ」とかを見たことがある。  私自身、そういう人達は嫌いだ。  でも、小学生だった頃の私は、そういう人間だった。  遊びに行く話をしている輪の中に無理矢理入って 「どこに行くの?私も行かせて」 って勇気を出して言ったけれど、勿論そんなの嫌われるに決まっていた。  そんなこととは知らずに小学校生活を送った。  だから、私は彼らの気持ちもよくわかる。  それでも彼らを見るのは嫌だった。  過去の私を見ているみたいで。  そんな私に変化があったのは中学入学の時だった。  小学校高学年の時点で、人間関係に対する違和感はあった。  周りが一線引いているような感じで、本音で喋ってない感じがしていた。  中学入学と同時にスマホを買い与えてくれた。  そこで、私は人と上手く関われないことについて調べた。  そこには、私の人生を否定するような“正論”が書かれていた。  私は泣いた。  自分がやってきたこと全て裏目に出ていたと知って。  そこで、もう一生懸命人と関わろうとするのはやめよう。そう決めた。  初めのうちは寂しくって、人に話しかけようとする衝動が抑えられなかった。  その度に、お前は人と関わるべき人間じゃない。失敗するだけだ。って思い続けた。  自分を守るための言葉が、いつしか自己否定に変わっていった。  お前は出来損ないだ。努力したって無駄だ。死んだ方がいい人間だ。  もう1人の自分が囁き続けた。  私が静かになった頃、私の周りに人が寄るようになった。  皮肉か?  神様は私を玩具だと思っているらしい。  いくら人が寄ってこようが、私は受け答えしかしなかった。  そうすると、何故か更に人が寄ってきた。  とある、最近読んだ本に 「情報社会となって、スマホからでもなんでも情報を手に入れることができるようになった。その結果、人から情報を欲しがることは減り、相対的に人に話す欲の方が増えた。  だから、現代においては物知りよりも聞き上手の方が人間関係においては需要が高まっている」  というような内容のことが書いてあった。  つまり、そういうことなんだろう。  私は受け答えだけしかしない。  人々は話を聞いてくれる人を探している。  私は適任だったのだ。  昔私を避けていた女子達も寄ってくるようになって、そのうちの1人は「凄く丸くなったね」と私に言った。  昔の事を聞いたら、赤面してしまうような事ばかりしていて、でも自分は変われたんだと思って嬉しかった。  あんまり周りに人がいると、喋りたくなる気持ちが抑えられなくなる。  そして、喋ってしまった時のみんなの表情。  今でもよくフラッシュバックする。    ある時、1人の同級生の男子が私の事を好きだという噂が流れた。  その男子は多くの女子から人気があって、人生を謳歌しているような人だった。  私は嬉しさでいっぱいになって、日々の生活が楽しかった。  彼は私に告白してきた。  私はYESと答えて、付き合うことになった。  放課後一緒に帰ったり、週末一緒に出かけたり。  でも、そんな楽しい日々はすぐに終わった。  私を妬んでいた女子達の中に、小学校の頃の「痛い青木累」を知る人が複数人いた。  噂というか、過去の事実を流し始めた。  イタイとはいっても、過去の話だし誰にでも黒歴史はあるだろうと考えてた。  彼も、そんなことで私を嫌いになんてなるわけないと思ってた。  でも違った。  彼は自分自身の株を守る為に私を振った。  「お前といると俺にまで悪い影響がくる」 って吐き捨てて。  その時、人間の恐ろしさを改めて思い知った。  これが私のトラウマだった。  気づいたら朝になっていた。  イヤホンが体に絡まっていて、音楽が再生されっぱなしになっていた。  耳と頭が少し痛い。  こうなるから、寝る時はイヤホンをしないようにしていたのだが、ついうっかりしていた。
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