慈善活動「何でも屋」

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「いつもありがとうね。ゆうちゃん。」 「大丈夫ですよ。また困ったら助けますよ。」 老婆の家まで荷物を運びながらそんな事を言われる。 「じゃあ、僕は行きますので。」 「まって、これ、お小遣い。」 そう言って老婆は財布から2000円を渡そうとしてくる。 「そんな。大丈夫ですよ。ほんの少し人助けをしただけですので。」 「でもゆうちゃん、朝から晩まで働いて、まともに休んでないでしょう?だから受け取って。」 たしかに、朝から晩まで働いているが、それはお金に困っているからではなく、自分が働いていたいからなのだ。誰かの役に立ちたい。それだけなのだ。 「それでは、ありがたくいただきます。ありがとうございます。」 誰かがなにかを施してくれる時、何回も遠慮するのはかえって失礼だということを知っている。  今日の収入。4000円。渋すぎる。1日にだいたい5000円前後稼いで、1ヶ月ほぼ毎日働いているから単純計算月収15万。  「どうしたら効率よく善行を積み重ねられるだろうか」とか考えて「なんでも屋」を始めたが、正直収入はめちゃ渋い。元々さっぱりしてる方が好きだったが、1LDKの俺の住処には何もない。本当に何もない。自炊なんてしないから調理道具もほとんどないし、テレビも冷蔵庫もない。ちゃぶ台と布団だけしかない。ぶっちゃけテレビなんて見ないし、ニュースはスマホでみれるから必要ない。エンタメを観てもドラマを観ても全く楽しめない体になってしまった。この土地が過疎地なこともあって「なんでも屋」の仕事の多くはお年寄りの介護になっている。この土地に来た当時は「介護ってなにすんだよ。」みたいに思っていたが、こなしているうちにノウハウは掴めた。  たまにスズメバチの駆除とか草刈りの手伝いとかがあり、最近では子供の世話まで依頼する人もいる。  「自分でやれよ」とか思うが、子供の世話まで頼めるほど信頼されるようになったと思うとそれはそれで嬉しい。  今日の夕食は何にしようかと考えながらスーパーに立ち寄る。いつも自炊せずに、既製品を買って食べているから、たまには料理するのもいいな。そう思って食材コーナーに入る。ほとんど料理したことがないから簡単なものがいいな。そうだ、カレーにしよう。そうすれば作り置きしておけるし、体にもいいだろう。じゃかいも、人参、玉ねぎ、豚肉をカゴに入れる。ああ、あとカレールー。油もあったかわからないので買っておく。レジで店員さんが話かけてきた。 「悠哉さんじゃないっすか。いつもお世話になってます。食材なんて珍しいですね。カレーですか?いつもは惣菜しか買ってかないのに。」 「そうだね。たまには料理を作ってみてもいいかななんて思ってさ。ただ料理するのは久しぶりだから失敗しそうだよ。」  このスーパーでも、商品を入荷する時の荷物運びなどをよく手伝っている。 「カレーにチョコレート入れるとコクがでますよ。」 「そうなんだ。ちょっと待っててもらってもいいかな。チョコレート取ってくるよ。」 「僕が取ってきますよ。悠哉さんはここで待っててください。」  そう言って若い店員さんは小走りでお菓子コーナーへ向かい、すぐに板チョコを持って帰ってきた。 「チョコレートの種類にも良し悪しがあってですね、ミルクチョコよりもビターチョコの方がいいんですよ。」 「ありがとう。僕の買い物なのに申し訳ない。」 「いいんですよ。いつもお世話になってるんで。あと、板チョコは1ブロックか2ブロックぐらいの少量でいいですよ。」 「それじゃあ今日頑張って作ってみるよ。また手が欲しい時は呼んでね。」 1000円を出して家に帰る。  家といっても、安いアパートで、1LDKの空間しかない。部屋に入り、早速料理しようと思った時、料理するにもこの家には料理をする道具など全くないことを今になって思い出した。どうしようか。この一回の為に道具を買うのはなんか勿体ない気がする。だけど、この家には冷蔵庫もないのでせっかく買った食材がダメになってしまう。  結局、大家さんに借りることにした。本当に申し訳なかった。大家さんに事情を話すと、 「いいのよ、ゆうちゃん。よく夫の農作業も手伝ってくれるしねぇ。いつでも頼ってね。」  と快く貸してくれた。俺は依頼がない日は大家さんの旦那さんの農場の手伝いをしていた。とはいえ、月に数えるほどしかやっていない。それなのに家賃も安くしてくれている。前から思っていたが、歳をとるとどんどん気前よくなっていくのだろうか。どのお年寄りもお菓子だったりお小遣いだったりをいつもくれる。  お礼を伝えて部屋に戻る。改めて厨房に立つ。スマホでレシピを見ながら野菜を切っていく。が、手元から目を離してスマホを見た瞬間、手を軽く切ってしまった。元々手先は器用な方だと思っていたがいつのまにか不器用になったらしい。これくらいの傷ならほっとけば治るが、そのまんまにしておくとお年寄り達が騒ぎ出してしまうような気がしたので一応絆創膏を貼る。それからは順調に作ることができた。  言われた通りにチョコを入れたら本当にコクがでて美味しかった。自炊するのも楽しいな。  皿洗いをし、シャワーを浴びて布団を敷く。布団の中で思い出す。今日した善行の数。4だ。登校の見守り、お年寄りの散歩の付き添い、庭の草刈り、老婆の荷物運び。ノルマの10から6も差がついてしまっている。これで残り7万3695回だ。  なあ。こんな事に意味があるのか?あの日君は「1つの罪悪は100の善行によって赦される」という言葉を俺に残した。だけど本当にそうなのだろうか。僕がたとえ10万回善行を行ったとしても、心が変わっていなければ意味がないんじゃないのか?こんな事を君に言ったら、君は僕に何を言ってくれるだろうか。怒るかな。正しい事を教えてくれるのかな。君に会いたいよ。  病室、君、白井結衣が寝ている。そっとベットに手をかけ、撫でようとした。が、触れた場所が赤く染まった。驚いて自分の手を見たら手が赤く染まっていた。びっくりして後ずさると、足元の「何か」に躓いて転んだ。その「何か」は血を流して倒れている男だった。びっくりしてその場から逃げようとする。でも足が前に出ずにバランスを崩して転ぶ。足をさっきの男が掴んでいる。振りほどこうとするがしっかり掴まれていてほどけない。ゆっくりと引っ張られていく。  突如俺と男のいた場所が穴に変わる。落ちないように何かに掴まろうとするが、何もない。体感10秒ほど落ちると、急に地面が目の前に現れた。びっくりして反射的に目を瞑り衝撃に身構える。が、いつまで経っても激突しない。ゆっくり目を開けると、いつも見る家の天井だった。凄く汗をかいている。またこの夢か。  シャワーで汗を流してから家を出る。いつもよりも1時間ほど早く起きてしまったが、もう一度寝る気にもなれなかった。外はもう陽が登っていて、今日の夢の反対のようないい朝だ。もう10月だというのに全然涼しくない。ひょっとすると11月すら暑いんじゃないかと思ってしまうぐらいだ。冗談じゃない。冗談じゃないといえば、俺が人のために日々を潰している間、国の会議で居眠りしている奴がいるらしいじゃないか。挙げ句の果て に「目が疲れていたので少し目を瞑っていただけ。」「手元の資料が見えづらかったので細目で見ていただけ。」とか言いだすんだろう。なんでそこそこいい地位に立つと私利私欲でくだらないことばっかりするんだろう。本当に冗談じゃない。いや、もしや地位が高くなるからそうなるのではなく、人間は根本的にそうなのではないか?性悪説。そんな気がしてきた。というか、なんかもう疲れてきた。  そもそも誰かに言われて善行をするのは違うんじゃないのか。そんなものに意味などあるのか。もういいじゃないか。過去に囚われるのは。  違う。これは俺が望んでやっているんだ。これは俺がしなければいけないんだ。  気分が悪くなったからコンビニに寄って煙草を買った。普段からよく吸う訳ではないが、こういう、「負の気持ち」に襲われた時はどうしても吸ってしまう。本当は酒が飲みたいが、朝から酔って善行が積めない。それでは生きる意味がない。  気持ちを落ち着けて、子供達の登校ルートに向かう。煙草臭くないだろうか。自分達を見守っているおっさんから煙草の臭いがしたら嫌だろう。しかし、家に帰るにも時間がない。できるだけ息をしないようにしよう。ああ、だけど服にも臭いがついているだろうか。服は防ぎようがない。どうしようか。  そんな事を考えているうちに、自分の担当場所に着いてしまった。まあ、子供達からしたらいつものおっさんぐらいにしか思っていないだろうし、大丈夫か。 「おはようございます。悠哉さん。」 背後で声がした。振り向くと、今日旗振り当番の女性が立っていた。名前は何だったかな。えーと、、思い出せない。まあいいか。  「おはようございます。まだ旗振りの時間でないのに、お早いですね。」 「あ、そ、そうですね、、。今日はなんか早く起きてしまって。」 「そうなんですか?実は僕もなんですよ。悪い夢をみてしまって。朝から大変でした。」 笑いながら返す。そうだ、思い出した。須藤さんだ。須藤凛。たしか俺より歳上だった気がする。 「悠哉さんのような優しくていい人でも悪い夢見るんですね。意外です、。」 爆笑したくなる。優しくていい人か。真反対だよ。 「そんな。いい人だなんて、そんなことありませんよ。でもありがとうございます。」 子供達がバラバラと歩いてきた。 「じゃあ、旗振りよろしくお願いします。」 というか須藤さんは何の仕事をしているのだろうか。7時50分近くまで旗振りをするのにまだスポーツジャージということは、ある程度出勤時間に余裕があるはずだろう。まさかニートな訳でもあるまいし。  ふと、子供達が左右の安全確認をせずに横断歩道を走って渡ろうとしてきた。須藤さんが車を通すように旗を振っているので車は止まらずに進んでいる。すかさず子供達の前に入り込んで止める。そして、こんな時のために用意しておいたセリフを吐く。  「君達。安全確認はしないといけないよ。もし車に轢かれてしまったら、君達の大切な未来が台無しになってしまうかもしれないよ。だから、気をつけてね。わかった?」  心を込めて優しく注意する。ふと今、こんなに近づいたら煙草臭くね?なんていうことが頭によぎる。子供達は「はぁい。」とだけ言って行ってしまった。本当にわかっているのだろうか。でも、少なくとも4人の子供を守った。これは善行4回分とカウントしてもいいだろう。 「あの、悠哉さん。悠哉さんは凄いです。私だったらいつも子供相手に怒鳴ってしまうのに。どうやったらそんな風になれるんですか?」 「そんなことないですよ。むしろ、今みたいな命に関わるところだったら怒鳴った方が良かったと思っています。でも、怒鳴ってしまうことは相手に優しさだと気づかれにくいので、どうしても優しい言い方になってしまうんですよ。僕は嫌われるのが嫌な、自己中心的な人間です。」 「自己中心的だなんて。全然そう見えないですよ。いつも人のために何かしているじゃないですか。」 「これは昔、ある人に言われたんですよ。『人のためになる事をしろ』って。だからこれは結局自分の為なんだと思います。でもありがとうございます。そう言われて僕は嬉しいです。」 危うくボロを出すところだった。これじゃあ「自分は偽善者です。」と言っているようなものじゃないか。悪夢がまだ残っているのか。しっかりしないとな。まだこの土地は去りたくない。  旗振りが終わり、家に戻る。今日の仕事の予定は「お墓参りの手伝い」「犬の散歩」「子供のお迎え」だった。普通、子供のお迎えなんてその子の親でなかったら引き渡しできないだろう。しかし、俺は顔が広いし「優しい若者」で通っている。だから何故か引き渡しをしても大丈夫になっている。一応、今回行く保育園は始めましてなので依頼証明するために手紙なりスクショなりを用意する。  少ししたら家を出て、一件目の「墓参りの手伝い」を依頼した家に向かう。インターホンを押すと「どうぞお入りください。」と静かな声で言われた。「失礼します」と言ってドアを開けると、車椅子のお婆さんがこっちを見ていた。「おはよう御座います。『なんでも屋』の上原悠哉です。今日はよろしくお願いします。」 「ええ。車椅子を押してもらいたいの。よろしく頼むわ。」 玄関の鍵を閉めて渡す。どうやら、ふたつ隣の街にお墓があるのだが、車椅子で1人、電車に乗って行くのはとても大変だし、安全的にも良くないということらしい。  車椅子のお婆さん(名前はシズと言っていた)はお墓に着くまでに色々な思い出を語ってくれた。主人は10年前に寿命で亡くなったこと。優しい笑顔か特徴的だったこと。息子は海外に住んでいて、滅多に帰ってこないため一人暮らしをしていること。去年から車椅子生活になったこと。 「ねぇ。あなたはどうして『なんでも屋』なんてやっているの?」 「誰かの役に立ちたいからですよ。」 「でもあなたからは『誰かの為』っていう匂いがしないの。」  内心ヒヤッとした。 「あなた、本当の事を言ってちょうだい。」 「それは、」  言うかどうか迷う。でも、シズさん相手に嘘が通じる気がしなかった。人の心を見透かす目。彼女にはそんなもがあるように感じた。 「それは、託されたからです。」 「託された?」 「昔、死んでしまった親友に。」 「それはお気の毒に。ごめんなさい。」  そこで会話が途切れてしまった。  無言でお墓に向かう。  お墓のある場所は見晴らしがよかった。だが問題もあった。主人のお墓に行くには階段しかなかった。策はないか考えたが、なにもない。シズさんは仕方なく 「私はここで祈るわ。代わりにこれを置いてきてあげて。」  と言って缶ビールと生花を手渡してきた。バケツに水を汲んで階段を登る。青木という名字のお墓らしい。少し探すと見つけられた。枯れた花と生花を取り換え、柄杓で全体的に水をかける。缶ビールの蓋を開けて置く。最後に手を合わせて心の中で話しかける。 「シズさんの代わりに整理させてもらいました。上原悠哉です。シズさんも来ています。ビールを持ってきたのでぜひ飲んでください。」  昔は墓参りなんて意味ないだろうと思っていたが、実際に結衣の墓参りをしてみた。そしたら「実は生きているんじゃないか」みたいな希望的観測がプチンと切れて、本当に死んでしまったのだという実感に変わった。流れるようにそこに自分の「負の感情」を全て吐き出した。「人助け」の約束もした。自分に付き纏っていた「わるいもの」が全て消えていくようだった。まあ、つまり、墓参りは天国に逝ってしまった人達の為だと言うが、結局は自分の為なんじゃないのか。脳にはキャパシティがあって、どんどん知識や記憶が収納されていき、トリガーがないと思い出せなくなってしまう。人は身近な人が死んでしまっても日々の生活に忙殺されて少しずつ忘れてしまう。そんな時、お墓参りがトリガーになって、もう一度その人のことを思い出せる。だから、全く会ったことがない人のお墓参りをしても何も意味がないのだ。「手を合わせて心で話しかけろ」と会ったこともない曽祖母とかの墓で言われても何をすればいいのかわからない。ただ手を合わせて話しかけている素振りをするだけだ。全く意味がない。はじめから言ってくれればいいんだ。お墓の意味を。と、25歳の、まだ人生の4分の1しか生きていないこの身で思った。  一通り作業。終わらせてシズさんの方に行く。シズさんはまだ手を合わせていた。それだけ大切な人だったんだろう。声をかけるのを躊躇ったが、この後も依頼を遂行しないといけないので声をかけた。帰り道、シズさんはとんでもない事を言った。 「あなた、9年前の事件の人よね。」  びっくりした。報道量も少なく、知っている人なんてほとんどいないと思っていたのに。 「よく知っていますね。そんなに大事にならなかったのに。」 「人を殺している時点で十分大事よ。」  確かにそうだ。 「老後なんて暇でしかないから、新聞とかテレビとかをずっと見てるのよ。」 「僕をみてどう思いました?」 「『想像していたよりも面白い人生を送ってるな』って思った。でも、人は簡単には変われないんだなって思ったわ。」 俺が変わってない?そんなわけないだろう。心を入れ替えて善行をしているんだ。 「そんなに変わっていないですか?」 「今も昔も、あなたは『自分の為』になることしかしていない。」 「今だって人の為に働いているじゃないか!」 「それはあなたのご親友さんに託されたからでしょう?自分から進んでやっている事じゃない。そもそも、『善行をする』っていう言い方自体、まんま偽善じゃないかしら?」  いつもよりも心臓がドキドキしている。偽善で何が悪い。人の役に立ってるだろ。そもそも初対面の人に失礼過ぎないか? 「このまま続けても、なにも変われないわよ。」  なんて返せばいいか分からない。ただ無言で車椅子を押す。特になにも話すことなく電車に乗り、家に着いた。 「気分を悪くさせてごめんなさい。でも、変わりたいなら何かを変えなくちゃならないわよ。」  何を変えればいいんだよ。2000円を受け取って家を出る。  シズさんの言った言葉が心に刺さっている。彼女の言っていたことは否定したいが、正しい。だからこそ余計にモヤモヤ、イライラする。昨日に続けて煙草を吸った。  数本吸って落ち着いたら、2件目の「犬の散歩」を依頼した家に向かう。仕事で家にいないから犬を連れ出していいと言っていたので庭に入る。初めは警戒されたが、家の外に出すと走り回っていた。犬の散歩をしたことがなかったから、とりあえず公園に連れていく。公園には小学生にも満たない子供達が遊んでいた。無邪気に笑い合って遊んでいるのをみて、昔に戻れたらなんて思った。何かをやり直したいんじゃなくて、腐ってしまったこの心すら巻き戻したい。公園の周りをぐるぐる回っていると、1人の男の子が近づいてきた。犬に興味があるのかと思ったが、男の子は犬を見ていないことに気がついた。俺を見ている。じっと。 「どうしたんだ?」 「お兄さんって『なんでも屋』さん?」 「そうだよ。」 「依頼したいことがある。」  近くのベンチに腰掛けて話をする。 「依頼ってなんだ?」 「僕を助けて。お金ならある。」  そう言って封筒を取り出した。 「これだけあれば助けてくれる?」 話が飛躍しすぎだ。 「待て。理由から説明してくれないか。」 「お父さんから逃げたい。」  そう言って彼は上着を脱ぎ始めた。 「ちょ、待てよ。何してるんだよ。」 「証拠。いじめられてんの。」 男の子の背中や腕には痣や火傷の痕が沢山あった。見ていて痛々しい。 「これをお父さんにやられたのか?」 黙って頷く。 「先生とか、警察には相談しないのか?」 「大人はみんな適当にいなして終わりに決まってる。」 決めつけが酷いな。というか俺は大人じゃないのかよ。 「少し考えさせてくれ。スズメバチ駆除とは比にならないぐらい重大な依頼だからさ。」 男の子は明らかに失望したような顔をした。 「一応、名前教えてくれるかな。」 「光。」 とだけ言って立ち去ってしまった。  ある程度散歩させたから犬を家に帰した。現在午後4時。3件目の「子供のお迎え」には少し早い。なんでも、共働きでいつもは仕事を調整してどちらかが迎えに行けるようにしていたのだが、たまたま2人とも夜までになってしまったらしい。9時まで預かっててほしいということも書いてあった。迎えに行くのはどうってことない。ただ、9時まで時間を潰す方法がなかなか思いつかない。家にテレビはないしおもちゃもない。晩御飯にカレーを出せば少しは時間を稼げるが、それでも2時間ほど余ってしまう。スマホで「幼児 遊び 室内」と打つといくつかヒットした。その中に、安くて簡単な遊びがあった。しかも俺の労力はほとんどない。これでいいじゃん。  幼稚園に向かう途中でコンビニに寄り折り紙と色鉛筆を買った。そう、折り紙。これなら折って遊べるだろうし、お絵描きもできる。そして俺は危険がないように見張ってるだけでいい。最高じゃないか。  依頼者が通わせている幼稚園はまだ行ったことがない所だった。家の近くの幼稚園なら依頼確認などしなくても引き取ることができるのだが、俺を知らない人のところに「親御さんの代わりに引き取りに来ました。」なんて言ったら誘拐と勘違いされるだろう。その為に依頼書も持ってきた。その幼稚園はそこそこいいランクの施設だった。新しくて、敷地も広い。俺が通っていた保育園とは真反対みたいだ。敷地内に入り、お迎え待ちをしている子供の所へ行くと、まあびっくり。俺の知っている人がいた。須藤さんだ。ここで働いてたのか。今朝「いつも怒鳴ってしまう」と言っていた内容が腑に落ちた。「こんばんは。」  須藤さんに声をかける。 「えっ?上原さん⁉︎なんでここにいるんですか?」 「実は、お迎えを代わりにして欲しいと頼まれてね。お迎えに来たんだ。」  納得したかのような表情を浮かべ、須藤さんは2人の園児を呼んだ。 「この子達の親御さんが『今日お迎えの代理を頼みます』って連絡してきてねそれがまさか上原さんだなんてびっくりですよ。」 呼ばれた園児は男女の2人の子供だった。 「今日はこのお兄さんがお父さんお母さんの代わりに迎えにきてくれたからね。じゃあまた明日ねー。」  と慣れた口調で優しく言った。子供達は不思議そうに俺を見たが、すぐに近寄ってきて、「おんぶして!」やら「手を繋いで!」やら子供らしい事を言ってきた。家までは歩いて30分はかかる。だからできるだけ長くおんぶしたくなかった。だが、おんぶしてすぐに寝てしまった。不用心にも程がある。でも、これくらい人を疑わず、純粋な心も羨ましく思った。  当たり前だが、子供と大人では歩く速さが違う。それに普通に歩くのと重たいものを持って歩くのでも速さも負荷も違う。結果、30分で着くはずが50分ほどかかってしまった。途中でもう1人の方も「疲れた」と言い出したのでおんぶしている方の子を前に持ってきて、片手で1人を持つように2人を抱っこして歩いた。2人とも寝ている。体は疲労したが、心は癒された。父親はこんな気分なのだろうか。子供の寝顔というものはこうも人を元気にさせるのか。ふと一瞬結婚して家庭を持つ自分の姿が浮かび上がった。だが、犯罪者で仕事も安定しない人間と付き合いたい奴なんていないよな。居たとしても付き合わない。付き合う権利もないんだ。  なんとかアパートに着いた。レンタカーでも借りればよかった。昨日のカレーを再び温めて子供達のところに持っていく。俺は甘口なのでカレールーは甘口にしたが、もしかしたらまだ辛いかもしれない。子供達は「辛いけどおいしいね!」と笑いながら食べている。なんていい子供達なんだ。俺だったら我儘言って突っぱねてたと思う。3人で食事を済ませたあとに用意した折り紙を出してやった。予想通り色んなものを折ったり描いたりしていて楽しそうだった。唯一の誤算は、 「お兄ちゃん見てみて!鶴折れたよ!」 「お兄ちゃん!絵描いた!」  そう。ただ見守る予定が、バリバリ一緒に遊ばされたのだ。最近は保育士とかへの執着希望者が減っているというが、その気持ちもわかった。尽きることのないエネルギーを爆発させられてはこっちの身が持たない。とはいえ、可愛い子供たちが俺の為に折り紙や絵を描いてくれたんだ。嬉しいに決まっている。 「これパパの部屋に飾る!」  どうやら俺のためではないらしい。  本当はお風呂にも入れさせた方が良かったのかもしれない。だが、着替えもないし、ロリコンというわけではないが女児を裸にするのは躊躇われる。それに風呂の中にまで連れ込まれてはしゃがれては、いよいよ本当に身が持たない。だから親御さんには申し訳ないが風呂には入れなかった。  わちゃわちゃしながら時間を潰した。折り紙やお絵描きに飽きた子供達は俺に「飛行機」をやってくれだとか、「お馬さん」になってくれだとかを言ってきた。全く世話が焼ける。こんな肉体労働を世の中の父親達は普段からしていると思うと、父親の大変さに同情してしまう。別にこれは断じて「男性の方が苦労している」と言っているわけではなく、あくまで「父親みたいなこと」をした人間からの意見だ。さっきみたいなことをTwitterとかに呟くと過激派が群がってくるんだろう。なんて醜いんだ。そもそもTwitterはやっていないが。  9時になる手前にインターホンが鳴った。出ると若いスーツ姿の男性が立っていた。 「こんばんは。お待ちしておりました。上原です。」 「こんばんは。子供を預けていた吉野です。夜遅くまですみません。」 「いえいえ。僕も久しぶりに子供とふれあえて楽しかったです。」 手短にご飯は食べさせたこと、風呂には入れさせてないこと体調などの異常はないということなどを伝えた。 「色々ありがとうございます。」  そう言って5000円手渡してきた。 「そんな要らないですよ。3000で大丈夫ですよ。」 「それでは流石に安すぎます。どうか受け取ってください。」  やっぱり引かないか。 「では、ありがたく頂きます。ありがとうございます。」  受け取って子供達を見送る。 「お兄ちゃんまた遊ぼうね!」 「そうだね。また今度な。」  行ってしまった。今日はやけに疲れた。ビールでも飲むか。  最近よくコンビニに行っているような気がする。ビールと一緒につまみを買う。1000円出してお釣りを募金箱に入れる。これも立派な善行…。  ふとシズさんに言われた言葉を思い出した。「善行をする」という考えは、そう考えている時点で偽善なのだと。自分でも薄々気づいていた。  だが、とにかく善行を積んでいた。そうでないと落ち着かないのだ。まるで受験前に勉強をせず、ゲームをしているときのような、「やるべきことはあるだろう」ともう1人の自分に言われているような、そんな不安。  いつからかこの不安は俺に付き纏っていた。  アパートに戻ると、玄関の前に誰かが座っていた。フードを被っていて誰かわからないが、大きさからして子供だろう。 「どうしたんだい。こんなとこに1人で。」 「お兄さんを待ってたよ。」  聞き覚えのある声。その子供はフードを外した。 「光だったか?俺を待ってどうするんだ。」 「家出してきた。泊めて。」  おいおい。これじゃあ未成年者略取罪じゃないか。たとえ本人が同意していても保護者が同意しないと罪に問われるとか。めんどくなりそうだ。 「あのな、未成年者略取罪っていうのがあってな、俺がお前を家に泊めたら罪に問われるんだよ。」 「バレなきゃいいじゃん。めっちゃ寒い。凍え死んじゃうよ。」  昼間は暑いとはいえ、もう10月だ。夜は普通に寒い。なのに光はパーカー1枚。 「どうするかは後で考えるから、とりあえず家の中に入れ。」 「お邪魔しまーす。」  中に入れはしたが、この部屋には暖房などない。しょうがないから俺の上着を羽織らせる。 「おじさん、じゃなくてお兄さん!あったかい飲み物飲みたいな。」 「ココアとミルクティーどっちがいい?」 「ココアがいい。」  やかんに水を入れてコンロにかけ、コップにインスタントココアの粉を入れる。 「光、お前何歳?」 「小4だから10歳かな。」  10歳にしては大人慣れしすぎてないか? 「この後どうするんだ?俺はずっと泊めておくことはできないぞ。」  捕まってまた懲役なんて勘弁だ。 「じゃあ、遠くまで連れてってよ。誰も僕のことを知らない世界まで。」  なんだそれ。警察の力舐めすぎだろ。俺レベルが隠して運んだって絶対バレる。 「なあ、児童相談所とかじゃダメなのか?その傷痕があれば100%父親から逃れられるぜ?」  ココアを渡しながら言う。 「施設に入るのも、知らない親戚のとこに行くのも嫌だ。」 「誰も光を知らない世界に行ったとして、どうやって生きるんだよ。保護してくれる人がいるかもわからない。むしろ危害を加えてくる奴の方が多いだろ。だったら施設とか親戚の方が良くないか?」 「じゃあお兄さんも一緒に来てよ。誰も知らない世界に。」 「いや、だから、匿ったりどこか連れてったら俺が捕まるんだって。」  俺にはまだやらなきゃいけないことがある。善行を積まないと。捕まるわけにはいかない。 「とにかく、泊めてやるのは今夜だけだからな。」 「えー。『なんでも屋』でしょ?お金なら渡すよ?」 「『なんでも屋』だが犯罪をする気はないぞ。明日児童相談所行くぞ。」 「ゔぇ。じゃあ今夜だけでいいよ。あとは自分でどうにかする。」  どうにかするって、どうするんだよ。待ってるのは地獄だぞ。  シャワーを浴びて布団を敷く。この部屋に布団は一つしかない。光が床で寝て体調でも崩したらめんどくさい。 「光。その布団で寝ろ。俺は床で寝るから。」  これが最適解。肌寒いが、持っている服やコートをかければ寝れなくもない。 「お兄さんも一緒に布団で寝ればいいじゃん!まさかショタコンなわけでもあるまいしさ。」 「お前はいいのかよ。得体の知れないオッサンと同じ布団で寝て。」 「いいよ別に。父親のヌクモリティを疑似体験できるし。」  なんだそれ。ヌクモリティ……ああ、温もりのことか。子供と同じ布団で寝るのはコンプライアンス的にどうかと思うが、まあ同性だし恋愛対象でもないし大丈夫か。  電気を消して布団に入る。互いに背を向けるように寝る。誰かと寝るのはいつぶりだったか忘れたが、その違和感は俺を眠りにつかせてくれなかった。こういう眠れない時はいつも昔の事を思い出す。  結衣と最初に出会ったのは高校の入学式の時だった。彼女の苗字は白井で俺の苗字は上原だったから、席が隣だった。黒髪で肩にかかるぐらい長い髪をしていた。顔は白肌で整っていて可愛い。可愛いというよりは美人といった方が正しいか。正直一目惚れ、とまではいかないが、見入ったというか、目を惹きつけられたというか、そんな感じだった。そんなクールな見た目とは裏腹に結構社交的なタイプの人間で、 「ねえ、起きなよ。もうすぐ式始まるよ?あ、起きた。私『白井結衣』っていうの。よろしくね。あなたの名前は?」って隣の席で寝ていた俺に躊躇なく話かけてきた。どちらかというと順番が逆か。先に話しかけられて社交的なタイプだなと思った後にクールなイメージを抱いたのか。 「上原悠哉。よろしく。そしておやすみ。」  また目を瞑る。 「ちょっと!もう。怒られても知らないよ?」 「俺は怒られ慣れてるから大丈夫。おやすみ。」  実際、中学生の時は問題児だった。授業中は寝てるかふざけて授業妨害するかのどちらかで、学校もよくサボってたし、喧嘩やいじめ紛いの事もしていた。また、勉強は結構できる方で、寝ていても常に学年上位には割り込んでいた。オマケに高身長イケメンで運動神経もいい。恵まれた人間だった。まあ、全てにおいて凡人を上回っていた。いや、真面目さは凡人以下だった。だから唯我独尊、自由に自分のやりたいことをやっていた。はじめは教師や真面目な生徒が俺を叱っていたが、なにを取っても勝ち目が無いし、俺は反省してないしで誰も注意しなくなった。だから注意されるのは久しぶりだった。  結局始業式で寝て放課後に担任に若干叱られたが、そんなのは屁でもなかった。  結衣はクラスですぐに人気者になった。入学後1週間で告られた回数は10を超えたとか、先輩にも結衣が気になっている人がいるだとかの噂はよく耳にした。まあ俺も同じような感じだったが。俺は彼女はあまり作らない主義だったから全員振った。なんだろう、俺の自由を縛りつける存在が嫌だった。その代わり全員に「セフレとかならいいよ。」って言った。その時の面食らった表情をした奴、なんのことか分かってない奴。はたまた、それでも一緒にいたいと言ってきた奴。なんなら先輩の1人は告られたその日にヤった。まあこの話はいい。とにかく結衣は自分からクラス委員になった。男子の方はというと、誰も立候補しなかった。結果、担任は「白井。お前の相方になる人間だからお前が推薦していいぞ。」と言って結衣に決定権を渡した。そして結衣は俺を推薦した。入学2日目で俺の本性は知られていなかったのもあるが、結衣は俺が始業式で寝ていたのを知っている。先生も知っている。だから先生は「本当に上原でいいのか?」みたいなことを何回か言っていた。というか俺も拒否した。だが結衣は「『立場は人を変える』とも言いますし、きっと大丈夫ですよ!」と言って無理矢理俺をクラス委員にした。
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