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「隆くん、どうしたの? 朝から首ばっかりひねって。昨日もそうだったじゃない」
晴美が心配そうに言った。
「それが、猫のシロがこの頃、夜寝てると僕の頭に乗っかるんだ。
それでうなされて、三回続けて同じ夢を見た。
見たのは確かなのに、何故か夢の中身を覚えてない。
僕の人生を左右する、ものすごく大事なことだったはずなんだよ。それで気になってさ」
「何それ、若年性健忘症かしら? 病院行くなら付き合うわよ」
晴美がさらりと言う。
「いや……そのうち思い出すよ、すごく大事なことだったはずだから」
晴美は大学に入ってから付き合いだした娘だ。就職も決まったし、大学卒業までにはプロポーズしたいと思ってる。弱みは見せたくなかった。
しかし、消えた記憶は戻って来ない。
急がないと、大変なことになりそうな気がするのだが、どうしても思い出せないのだ。
「参ったなあ。シロ、お前知らないか?」シロは、知らんぷりで顔を洗っている。
「猫に聞くほうが馬鹿だよな」僕はため息をついた。
◇
卒業式まで一週間を切った。
今日こそプロポーズをと指輪まで買ったのに、僕は言い出せないでいた。
だけど、シロがレンジを悪戯してホットミルクを爆発させた。
晴美は掃除をしてるうちに終電に乗り遅れてしまい、泊まって行くと言い出したのだ。
プロポーズのチャンス到来! 晴美は今、押し入れから客用の布団を出している。
「ニャーン」
シロが晴美の足にまとわりつく。
「シロだめよ、危ない!」
晴美はバランスを崩して布団にしがみつき、襖が外れて押し入れの中の布団は、全部雪崩を打って落ちてしまった。
「大丈夫か、怪我はない?」
「大丈夫、布団だもの。あら? 襖の裏に何か挟まってる。住宅展示場のパンフレットだわ」
「あ! あの夢の中の大事なパンフレット!」
しまった! まさか晴美に見つかるとは。
「あらそう? 良かったじゃない」
晴美がパンフレットを開く。
そうだった。就職先が決まって、『これで俺も一人前の社会人だ。いつか結婚して家を買って……』と大喜びしてたら、たまたま道の両側に住宅展示場と市役所が立っていたのだ。
思わず、婚姻届をもらって帰り、ニヤつきながら僕と晴美の名前を書いてしまい、建売住宅のパンフレットに挟んで忘れてた。
思い出せなかった夢の中身は、このパンフレットの在処だったんだ!
「なるほど、すごく大事なことね」
晴美は婚姻届をたたむと、パンフレットに戻した。
「これ預かっとく。卒業式の後で二人で出しにいきましょう」
指輪は後出しになってしまった。
シロが何事もなかったように顔を洗っている。
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