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青い空なんて大嫌いだー!
それからは上を下への大騒ぎ。普通の梯子じゃとても屋根にはとどかない。
できる事といえば911で消防車を呼ぶ事くらいだった。
「ニャアーゴ、ニャアァァーゴォ」
俺の声がむなしく青空に消えていく。
いったいなんでこんな事になったんだ?
下の方でDr.ワ・ルイゾとオハラ大統領とが話している声が聞こえる。
Dr.ワ・ルイゾは、大統領が高校生のとき、アフリカの小国から留学して来て以来のラグビー仲間で、大学は法学部と理工学部にわかれたが、ずーっと連絡はとりあっていた友人だ。
オハラ大統領は、卒業後、弁護士になり、ワ・ルイゾは大学にのこって、超伝導体の臨界温度を高める研究をしていたんだそうだ。
「あ、知ってる。超伝導って、磁石がプカプカ浮くやつでしょ? ピン止め効果ってヤツ」
パットはSFオタクもやってるから、変な事にくわしい。
「お、よく知ってるね。この現象は超伝導体を液体窒素でマイナス196度まで冷却しないと発生しない。
でも金属の種類によって、臨界温度が変る事が判ったので、室温でも可能な金属を作り出す実験を、僕は大学で20年もやっていたんだよ」
でも結果が出せず、大学の予算も削られて、とうとう研究室もDr.ワ・ルイゾ1人になってしまった。そんな時、彼の母国の父親が病気で倒れたと連絡が来て、急に国に帰る事になったんだそうだ。
「実験器具はリース品だったから、せめてキレイにして返そうと思って、濡れタオルで雑巾がけしていたら、金属蒸着の機具の内ブタに、何か黒っぽい煤みたいなものがこびり付いていた。
フタも黒かったので全然気付かなかったんだ。いつ付いたのかもまったく解らない。
指で擦っても落ちないんで、濡れタオルでふいていたら、一瞬赤く光ったような気がして、スルリと取れた。
えらく水に溶けやすい物質で、何となく気になって、洗ったバケツの水とタオルをシンクの横に除けて掃除を続け、メーカーに機械を引き取ってもらったあと、床をモップがけしていたら、何か目のはじっこで赤いものが動いた。ふりむいたら、シンク横においたあの黒くなったタオルが真赤に変って、プカプカ浮いてたんだよ!
あわてて捕まえようとしたんだが、ホコリが立つと思って開けといた、シンクの横の窓からフワフワ出てっちまった。のこったのはバケツの底の黒い水だけ。
ためしにティッシュをひたして、黒くなったのをシンクに置いてみた。しばらくして乾いたら、赤くなって、やっぱりプカプカ浮きだした。あわててバケツにもどすと、黒くなっておとなしくなる。
じゃあ、なぜ機械のフタについてたとき浮かなかったのか――たぶん水が触媒として働いたあと、酸化して赤くなった時、初めて浮力が生じるんだと思う」
「あのさ、それって、ラピュタの飛行石みたいなものなの?」パットが言った。
「ハヤオ・ミヤザキの? うん、あれを粉にして水に溶いたような感じかな?」
あんたもジブリファンかい!
「うあ~リアルラピュタだ。すんげえ」と、パットが感極まっている。
すんげえじゃねえよ! なんちゅう迷惑なもん持って来たんだ。
これはアニメじゃない、現実なんだぞ。ジブリなんて大嫌いだー!
「じゃあ、要は水で洗えば飛ばないのね?」メリーが詰め寄る。
「うん。付いた量が少ないのと、猫は緊張すると肉球に汗をかくから乾燥するのに時間がかかってるようだ、まだまにあうよ。でも屋根の上にスプリンクラーはないし、ホースの水じゃとどかないし……」
「やっぱり、梯子車じゃないと無理なのね。ああ、早く来て!」
メリーは泣きそうになってる。
「そんなとんでもないもの、なんだってタッパになんか入れて来たんだ。
それもソックスのおやつ入れと同じタッパだなんて」
大統領もこまりはてている。
「だって、僕は今日中に国に帰らなくちゃならなくて、研究室はカラだし、手近なものを使うしかなかったんだよ。これ持って国に帰っても研究を続けるのは無理だし、変なやつにわたして悪用されてもこまるし、だから君なら、しかるべき機関にわたして調べてくれると思って――」
Dr.ワ・ルイゾも半泣きだ。
ガシャーン。天窓が割れて、応接室のペルシャ絨毯が飛び出した。
黒かったしみが真赤に変り、秘書と清掃員が必死につかまえて……いや、ぶら下がっている。
またまた新聞記者のフラッシュの嵐。
「あーっ、水で洗ってくれって言ったのに!」Dr.ワ・ルイゾが悲鳴をあげる。
「すいません、あんまり汚れてたので、クリーニングに出そうとしたらこうなったんですー」
秘書も悲鳴で答える。
「もう無理だ、二人とも手を離せー」
大統領の一声で二人はパッと手をはなして、天窓の中に消えた。ドシン、キャー、いてー、と悲鳴があがる。
ペルシャ絨毯がふわりふわりと、昇って昇って――見えなくなった。
「うわあ、空飛ぶ絨毯の本物だあ……」
パットがうめく。
「遊園地にあるやつと同じだ。ケティ乗りたーい」
ケティが無邪気にピョンピョン跳ねる。
「超伝導とちがってピン止め効果が無いから、乗ってたら成層圏こえて低温と酸欠で死んじゃうよ」
Dr.ワ・ルイゾがため息をつく。
「じゃあソックスも?」メリーが叫ぶ。
「えーと…成層圏に達したらマイナス五十度くらいになるから…凍結乾燥で猫の干物ができちゃうんじゃないかと思います」
「ね……猫の干物」メリー失神。Dr.ワ・ルイゾがあわてて抱きかかえた。
「凍結乾燥って何?」と、ケティ。
「ビーフジャーキーみたいになんのよ。たぶん……」と、パット。
ケティはひきつけ寸前でフリーズした。
成層圏を漂う猫の干物……俺の脳もフリーズしそうになった。が、一瞬で解凍した。
なぜならDr.ワ・ルイゾのやつがメリーを抱きかかえて、にやにやしてるのを見たからだ。
このヤロー俺が手を出せないと思って、つけ上りやがって!
メリーはお前のビヤ樽腹にのっけていいような女じゃねえんだ。ゆるさねえ!
俺はおもわず屋根から飛び出そうと身構えた。とたんに後ろ足が二本、ふわりと浮く。
「いかん、完全に乾燥した。もう飛ぶぞ!」Dr.ワ・ルイゾが叫ぶ。
そのとおりだ。もう限界だ。前足の爪を屋根にひっかけてるけどその前足も、もう――
その時サイレンの音が近づいた。メリーが意識を取り戻す。
「ソックス、がんばって。消防車が来たわ」メリーの悲鳴。
でも、もうだめだ! バリッ。ついに爪が屋根からはがれた。
くるりと体が回転し、四本足が吊り下げられたように上を向く。
俺は完全に空に浮いて、九月の風にふかれて、ふわふわと流れ出した。
「キャーッ! ソックス」
メリーとケティとパットの悲鳴。新聞記者のカメラのフラッシュ。みんな、永遠にお別れだ。
ごめんよメリー、君を幸せにしたかった。
ケティ泣くなよ、パットもあんまり妹をいじめんなよ。
大統領、お世話になりました。
みんな俺がお星様になったら、時々思い出してくれよ――
ただしDr.ワ・ルイゾ、あんただけは別だ。地獄に落ちても呪ってやる。
おまえなんかネコエイズで死んでまえ!
ちっくしょー死にたくない。青い空なんて大嫌いだ――
俺は気絶した。
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