やってしまった

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やってしまった

木刀を右手に持ったまま立ち尽くす。 「やってしまった」 龍一は、目の前に広がる光景に頭を抱えたい気分だった。 𓂃❁⃘𓈒𓏸 チャイムが鳴り、弁当を机に出すと同時に名前を呼ばれ顔を上げた。 「初めてじゃん、遅刻なんて。メールしても返信ないしビビったんだけど? 何かあった?」 昼休みになって登校してきた龍一に、前の席に座る友人の隼斗が問う。 朝食を食べ損ねたことですっかり腹を空かせていた龍一はまずは弁当を摘み、それから答えた。 「笹山を連れて病院に行っていた」 「…笹山ってルームメイトの?なんで?風邪?」 「違う。俺が怪我を負わせた」 「けっ、え!?」 突然の大声に肩が揺れた。心臓に悪い。 「急に大声を出さないでくれ。驚く」 「いや、いやいや、どういうこと?龍ちゃんが怪我させたって、あっ、事故ったってこと?」 「事故…のようだが違うな。しっかり狙ってやった」 「えー!?」 また隼斗が声をあげるので、龍一は再度咎めようと口を開く。が、それよりも先にこちらに身を乗り出した隼斗の声が被さった。 「いやなんで?マジでわからん、どういう経緯?」 さっきから質問攻めだ。おかげで弁当を食べる手が一向に進まない。龍一は内心ため息をついた。 「……起きて、着替えて、弁当と朝食を作ろうと台所に立った。するとその後、起きてきた笹山が背後から襲いかかってきた。だから俺は咄嗟にその場にあった木刀で叩きのめしてしまい、笹山を気絶させてしまった」 早く食べたい一心で今朝起こったことを簡潔に説明すると、聞いていた隼斗の顔が段々と険しくなっていった。そして物騒なことを口にする。 「ちゃんと殺した?」 「殺……?いや、していない」 「なんで?ちゃんとしないと。はぁ、アイツ前から怪しいと思ってたんだよ俺は。龍ちゃんのこといっつも舐め回すように見てたし。 でもそういう一線は守るタイプだと思ってたのに、見誤ったな。…クソっ、こんな事ならとっとと俺が殺ればよかった」 隼斗がブツブツと何か言っているが、独り言だと判断して食事に戻る。出汁のきいた卵焼きが美味い。 事が起こったのが弁当を作り終えた後で良かったとつくづく思った。朝食よりも、昼食がないことの方がよっぽど悲惨なことになっていただろう。不幸中の幸いというやつだ。 粒まで残さず完食して手を合わせてから、今度は龍一が質問をした。 「部屋を移動する手続きはどこですればいいのか知っているか?」 「え、部屋変えんの?」 「ああ、そのつもりだ」 「いいねいいね、今日にでも出ていきなよ。あ、俺のとこ来る?」 「いや、それはできない。まずは笹山と話し合う必要がある」 「ちぇっ、無理か。 手続きとかそーいう系の書類は森センに言えば貰えると思うよ」 森センとは、担任の森岡先生のことだ。そういうことなら都合がいいではないか。 思い立ったら吉日ということで、龍一はHRが終わってすぐに森岡を捕まえた。 「なんだ鷹藤?」 「少し相談したいことが」 「あぁそうか。その前に腕を離せ、そろそろ血が止まりそうだ」 「失礼しました」 号令の後、すぐに帰ってしまいそうだったので咄嗟に腕を掴んでいた。離すと少し赤らんでいたので謝罪する。加減を忘れていた。つい、竹刀や木刀を握る時と同じ要領でやってしまった。 チラチラとこちらを見るクラスメイトの視線を感じながら、ようやく残りの1人まで出ていったところで、龍一は森岡に要件を話した。その内容に、森岡は片眉を吊り上げた。 「部屋を移動したい?なんだ急に。 お前のルームメイトは…D組の笹山だったか。喧嘩でもしたか?」 「そんな感じです」 「へぇー……え、マジか?冗談のつもりだったんだが。鷹藤が喧嘩……珍しいこともあるもんだな」 まじまじと見られて少々居心地が悪かった。それほど森岡にとって、『鷹藤龍一』と『喧嘩』の2つは結びつかない言葉だったのだ。 「それで、申請書類を頂きたいのですが」 「申請……あぁ、あの紙って俺が持ってんのか。 どこにやったんだったか」 「今すぐでなくとも大丈夫です」 「いや、デスクのどっかにあるだろ。そろそろあの山を片そうと思ってたんだ、丁度いい。 良いぜ、明日か明後日かに持ってくるわ」 「……ありがとうございます」 拍子抜けするほどあっさりと了承されて驚く。もっと事の内容について問い詰められると思っていたのだが。 そんな龍一の気持ちが読み取れたのか、森岡は苦笑いした。 「別に一々聞きやしねぇよ。お前が我儘でこんなこと言う奴じゃねえのは知ってるしな。朝の遅刻だって、それなりの事情があるんだろ」 「…はい」 「ああそれで、紙は渡すけどな、記入してからが色々めんどくせぇんだ。申請してからすぐ移動できるわけじゃねえが、それでもいいか?」 「大丈夫です」 「じゃあその辺も含めてまた明日話すわ」 そう言って森岡は出ていった。 今まで彼には特に何の印象も抱いていなかったが、案外良い教師であるのだなと龍一の中の森岡の株が密かに上がった瞬間だった。
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