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新たな住処と友達
「これくらいか? 意外と量が多いな」
梱包し終わったダンボールの数を見て、これは一度で持っていけそうにないことを悟った。衣服や生活用品は最低限しかないのに。まあ、荷物の中で一番大きくて重い剣道具が一番多いのだから、当然と言えば当然か。
「やっぱり手伝うぞ…?」
「いや、大丈夫だ。笹山まで休ませるわけにはいかない」
ドアの空いた隙間から覗く笹山の、もう何度目かの質問に首を振る。最後の最後まで、律儀な奴だ。
しかし龍一が断りを入れたにも関わらず、笹山はまだ何か言いたげに佇んでいた。完全にドアを開けてやると、とても悲しげな顔と対面する。
「ほんとに今日出ていくのか…?」
この質問も、もう何度目だろうか。昨日の今日で引っ越しを決めた龍一に、笹山は引き止めはしないものの、昨晩からずっとこうして名残惜しそうな態度で龍一の庇護欲のようなものを揺さぶってくるのだ。
「そんな顔をしないでくれ。出ていきたくなくなってしまう」
「実際、そうなって欲しくてやってるんだが……。なあ、ルームメイトじゃなくなっても、また話しかけてもいいか?」
「当然だろう!」
図らずも大きな声が出てしまってすぐに口を噤む。笹山にも目を瞬かせて笑われてしまい、少し居心地が悪くなりながら繰り返した。
「……当然だ。ルームメイトの前に、俺たちは友人だろう」
龍一がそう言うと、笹山は「……友人、か」と小さく呟いた。
なんだと、まさか、
「友人ではないのか……?」
「あ?いや、そうだ。友人だな、今は。 ただ俺としてはだな……もう少し親しい関係になりたいと思っただけだ」
「それは…どういう意味だ?」
「例えば、俺たちお互いに苗字で呼びあってるだろ?これを機に名前で呼び合うとかどうだ?」
なるほど、それはいいな。
龍一は笹山の提案をすぐさま承諾した。
「わかった。ならこれからは航大と…」
「ゴホッ」
「どうした航大!?」
「グフッ…!いや、大丈夫だ!思ったよりも破壊力がやばくて!!クソ、俺は童貞かっ…………ンンッコホン、すまん。 俺も龍一と呼んでもいいか?」
「ああ」
笹山、改め航大は時折こんなふうに突然咳き込むことがあって心配なので、彼の次のルームメイトには知らせておいたほうがいいのかもしれない。
𓂃❁⃘𓈒𓏸
2回に分けて運ばなければならないと思っていたダンボールは、貸出の荷台によって一度に楽々と運ぶことができた。
椿寮は他と離れてるといっても、特段辺鄙なところにあるわけではなく、少し歩くとモダンな雰囲気の建物が見えてくる。
他3つも綺麗だが、やはり椿寮の漂う新築感は否めない。事前に貰っていたカードを翳して建物の中へ足を踏み入れると、エントランスからまるで高級マンションのようであった。
「ここか」
エレベーターを降り、龍一の新たな住処である部屋へ入ったのだが、
「……ほんとに一人部屋か?」
思わず部屋番号を確認してしまう。それもそのはずで、そこは一般的な家族4人住まい+ペット、くらいの広さだったのだ。つまり、広すぎる。
今朝までいた楠寮でも最初入った時に驚いたほどの広さがあったが、これは桁違いだ。にわかに信じられないが、番号はあっていたのでここが龍一の部屋なのだろう。
「あんなに量があったのに……全て収まってしまった」
とりあえずいちばん大きなクローゼットにダンボールの中のものを収納した。のだが、最後の大物である剣道具も易々と入り、それでもまだスペースが余った。広すぎる。
初めに場所確認も込みで、ある程度部屋全体を見回ってきたが、どこへ行っても「広くて綺麗」という印象しかなく、クローゼットもそうだが、龍一には持て余すようなものばかりなのだ。
「なんて……なんて掃除の大変そうな部屋なんだ」
そして龍一は基本的に質素倹約な人間である。なのでこんなに豪勢な部屋を与えられても、まず思うことは全く情緒のない現実的な感想であった。
……他にも色々と考えるところはあるが、とりあえずは帰ってきてからにしよう。
今日は引越しの為に午前の授業を公欠にしてもらった。まだ昼ではないので少し早いが、今から登校しても問題ないだろう。
龍一は部屋を出て、再びエレベーターへ乗り込む。中には人がいたので会釈して前を向いた。
「えっそれだけ!?」
「え?」
その時ちょうどエレベーターが到着し、一緒に降りる。
先程のは独り言じゃなかったらしく、その人は龍一に話しかけてきた。
「ちょっと冷たいじゃん武士くん」
「武士くん…?私ですか」
「キミだよキミ、武士くん! ペコっで終わりって酷くないー?」
「?はぁ、すみません。でも何を言えばいいんですか?」
初対面なのに…
龍一がそう言うと、その人はいかにもショック!というリアクションをとった。
「初対面じゃないじゃん!昨日会ったじゃん生徒会室で!忘れたの?酷いなぁ」
「生徒会の人なんですか?」
「うわマジで覚えてないんじゃんひっど!!」
「すみません」
思い返してもあの時の龍一に怒っていた赤髪の男しか浮かばず、目の前の金髪には全く覚えがなかった。龍一が謝ると、その人は「まあいーけどさ!」と軽く笑った。切り替えが速い。
「それよりこっち来んの早いね?昨日決まったのに、マジ行動力の人じゃん」
「はぁ」
「はは、返しうっす! あ、オレ鶴見時音ねよろしくー」
「鷹藤龍一です、よろしくお願いします」
「つかさっきから思ってたけどさー龍ちゃんなんで敬語なん?おもろいけど、オレらタメじゃん?さすがに壁感じるわー」
会って数秒で渾名呼びとは……すごい。龍一はそのノリの軽さに尊敬の念を抱いた。
「すまない、クセで」
「敬語で喋んのが?それウケんね。 でも俺にはタメ口にしてよ」
「わかった」
「うんいーねー」
「鶴見は」
「時音ー」
「……時音は今から授業に行くのか?」
寮を出て、2人で歩きながら話す。自然と校舎の方へ歩いていたので問うてみると、時音は首を振った。
「俺は今からデート」
「デート…なるほど」
あまり馴染みのない言葉であったので、龍一は特に気の利いた返しができなかった。
すると時音は意外そうな顔で龍一を見る。
「引かないんだ?」
「どういう意味だ?」
「龍ちゃん真面目そーだから、てっきり授業受けろって説教されるかと思った」
「……説教などしない」
教師でもあるまいし、そんなことを出来るような身分ではない。時音の言葉に、龍一は否定を示した。
龍一自身、あくまで自己鍛錬という意味で学業に取り組んでいて、他人がどうしようと気にする余地はなかった。
これは他人に興味がないという意味ではなく、興味を示せるほど己に余裕が無いという話だ。
人に説教を垂れる時間があるのならば、自己鍛錬すべし。龍一は無意識にそう考えていたのだ。
「授業サボってんのに?」
「生徒会は免除される特権があるのだろう」
「んーまああるけど、俺は本来の使い方じゃないっしょ。いわば職権乱用てやつ?それで副会長によく怒られんの」
「……だが別に違反してるわけじゃないだろう。なら、いいんじゃないか。権利をどう使うかは時音の自由だ。それが駄目と言うなら決まりを変えるべきだ」
校舎の入口で立ち止まる。話もその辺に、じゃあと龍一が手をあげると、時音が笑った。
「ははっオレもそー思う! けどそんなん初めて言われたわ! やっぱおもろいなぁ……昨日も思ったけどさーオレけっこー、いやだいぶ、龍ちゃんのこと好きだわー!」
「…俺も時音のことは好きだな」
「やば、両想いじゃん!」
時音はいえーい!とハイタッチした後、手を振って去っていった。
やはり陽気だ。すごい。隼斗と似ているようで、違う。
初めてハイタッチをした右手を見て、龍一はまた尊敬の念を抱いた。
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