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ケジメ
しっかりと戸締りを完了させてから、龍一も寮の自室へと戻った。ドアを開けると、乱雑に脱ぎ捨てられた靴を発見する。
「笹山?戻ったのか?」
そんな連絡はなかったが…と一瞬思ったが相手が怪我人であることを思い出した。そんな余裕がないのも当然だろう。
龍一は中へ進み、笹山の部屋のドアを叩いて再度声を掛けた。
「いるのか、笹山?怪我の具合はどうだ?」
「……あぁ、大丈夫だ」
すると返事はかえってきたが、その声はやけに弱々しい。これは相当重症だったのだと思った龍一は「入るぞ」と一声かけて扉を開けた。
「大丈夫か笹山───何をしている?」
「悪かった」
そこには、ベッドに横たわる怪我人……ではなく、床に膝をつき美しい土下座をする笹山がいた。意味がわからない。
龍一は困惑の表情を浮かべた。
「本当にすまなかった、この通りだ」
「どの通りだ…? なんの話だ…? とりあえず顔をあげてくれないか。全く状況が読めない」
「あぁ…」
龍一の言う通りに身体を起こした笹山は、正座のままこちらを見た。
額には白い保護パッドが貼られている。
龍一が木刀で叩いたのは首元だったので、これはおそらく倒れた拍子にぶつけてできたものなのだろう。
それでも、龍一のせいで負った傷であるのは変わりないのだが。
「具合はどうだ?いつ目が覚めた?」
「昼前には起きた。それからしばらく安静にしろと言われてさっきやっと帰ってこれた」
「そうか…怪我はその額のところだけか?」
「あぁ。あとは軽く首を捻ったくらいだ」
「なら良かった。 …ところでいつまでそこに座っているつもりだ?まるで罰を受ける子供のようだぞ」
立っている龍一に、それを正座で見上げる笹山。それはさながら悪さをした子供が母親に叱られている場面のようで、この状況にはあまりに不釣り合いに思えた。しかし、
「罰を受けているからな。 いや、こんなのは罰じゃないな、鷹藤からあと3発食らっても甘いくらいだ」
「だからさっきから何を言っているんだ」
まるでその通りだと言わんばかりに頷く笹山に、龍一は今度こそ頭が痛くなった。
笹山は目線を落とし、後悔の滲む声色で話し始める。
「本当にあの時はどうかしてた。今朝は不埒な夢を…鷹藤が俺に組み敷かれて喘ぐ素晴らしい……ンンっ、最低な夢を見てしまって。……その後であんな、エプロンを着た、色気増し増しな後ろ姿を目にして、つい………いや、これは言い訳だな。 とにかく、夢と現実の区別が出来てなかったんだ……あんな不意打ちを狙って俺は……はぁ…許されることじゃないとわかっている」
前半は何を言ってるのか聞き取れなかったが、その後の笹山の話に、やはり悪いのは自分であると龍一は再度認識した。
「夢と現実の区別がつかないとは、つまり寝惚けていたんだろう?確かに驚いたが、仕方のないことだ。むしろ謝るのは俺の方だ。いくら驚いたとはいえ丸腰の相手を木刀でぶつなんてこと…決してしてはならないことだった」
幼い頃から武道を心得ていた龍一は、人助けや万一の危機の時にのみ、己の武術を行使すべしだと教えられてきた。そして今までそれを遵奉してきた。
にも関わらず、今朝はそれが出来なかった。理由はわからない。思い出せるのは、あの瞬間とてつもない悪寒がしたということだ。身の毛のよだつようなあの感覚はなんだったのか、はたまたただの気の所為だったのだろうか。
だが、それを持ってしても怪我をさせていい理由にはならない。結果として龍一がしたことは暴力であった。
「それでなんだが、俺は部屋を移動しようと思っている」
決意を込めた眼差しで龍一がはっきりとそう口にすれば、笹山は「は……?」と呆ける。それから理解が追いついて取り乱した。
「ま、待て!なんで、なんでそうなる!?」
「これが俺なりのケジメだ」
「いやっ、それなら俺がっ!出ていくのは俺の方だろ!?鷹藤はなんも悪くねえじゃねーか!」
この期に及んで龍一を庇うとは、知ってはいたが笹山はとても優しい男である。
しかし、だからこそ甘える訳にはいかないのだ。隼斗には笹山と話し合うと言ったが、龍一の心は今朝から既に決まっていた。
「もう決めたことなんだ。笹山に怪我をおわせてしまった以上、もう共に一緒に生活することは出来ない」
「でも俺はっ」
「笹山がよくても、俺が出来ないんだ。我儘を言ってすまない。承諾してくれないか?」
龍一は眉を下げて頼んだ。
いつも凛として気丈な龍一の珍しく弱ったその態度は、決して龍一が意図してやったことではないのだが、笹山には何らかの効果があったようだった。
笹山はグッと表情を強ばらせてしばらく黙り込む。
そして長らくの沈黙の末。
勝敗は、結局その表情におされて渋々ながらも頷いた笹山の負けであった。
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