寮長

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寮長

翌日、本当に森岡はプリントを持ってきた。仕事が速すぎる。 「そこにお前ともう1人のサインを書いて、下の欄に理由を書くんだが……まあ理由は面倒なら書かなくてもいい。どうせ印貰いに直接行かねえといけねえからな、そん時口頭で説明すりゃ大丈夫だ」 貰った申請書には既に森岡の印と、隣に2人分のスペースがあった。寮長と、生徒会長の印だそうだ。 「ありがとうございます」 「おう。 おかげでデスクも片付いたし、鷹藤に恩も売れたし、一石二鳥ってやつだ」 そう言って森岡が笑う。 自分に恩を売ったとて何もないと思うのだが。 と思うものの、森岡のおかげでこんなにも速く行動が出来るのは事実であるので、この先森岡が何か困っていたことがあれば出来るだけ力になろうと龍一は心に決めた。 森岡曰く、申請書が受理されてから実際に移動出来るまでに、長くてひと月がかかるという。 龍一の通うこの学園は全寮制だ。つまり何百人もの生徒をほぼ365日管理しているということ。なのでたった1人の部屋移動であっても、中々一筋にはいかないのだろう。 と同時に、寮の中の部屋の空きにはまだ余裕があると聞いた。 2人部屋の生徒の1人とルームメイトを交換という形で部屋を替わるのか、現在1人で部屋を使用している生徒のもとへ龍一が入るのか、または龍一が空き部屋に1人で住むことになるのか。いくつか可能性があり、どのパターンになるのかは不明だそうだ。 龍一はどれでも構わなかったが、ただ仮に手続きにひと月かかった場合。 その間ずっと龍一と生活を続けるのは、暴行を受けた身の笹山にとっては苦痛そのものではないか?というのが龍一の意見であった。もっとも、移動は速いに越したことはない。 ということで、龍一の今日の予定は決まった。 書類を貰ってすぐの昼休みに笹山にサインを貰いに行き、授業が終わるとその足で寮長に会いに来た。龍一としては、このまま生徒会長にも会い、今日中に書類を提出できるのが理想だ。しかし、何事もそう上手くはいかないらしい。 「不在か?」 早速足止めを食らっていた。先程から寮長室のベルを何度か押しているのだが、全く反応がない。 龍一が寮長と関わったのは入寮した時だけで、ほぼ初対面と言っても過言では無かった。よって龍一には、寮長室にいない寮長の居場所を探すアテはない。 これは困った。仕方ないが、先に生徒会室へ行こうか。 と、龍一が引き返そうとしたところで、 「誰だい、今は取り込み中だ」 中からドアが開いた。 出てきたのは、やけに服装の乱れたくせっ毛の気だるげな男だった。胸元が大きく開いたシャツに、緩んだベルト。まるで敵襲にでもあったかのようだ。 「私です。部屋の変更書類に寮長の印を貰いに来ました」 「…ん? んん? おぉ? 君……」 「2-Bの鷹藤龍一です。この紙にお願いします」 「……」 「?あの、都合が悪いのならば後日出直しますが」 寮長は先程から何故か龍一の顔を見つめていた。何かおかしなところがあっただろうか。寝癖は直したんだが。 妙な空気に龍一が己の身嗜みへの不安を持ち始めたころ、ようやく寮長はニコリと笑って言った。 「書類がなんだって? よく見えないな、もっとこっちに来てくれないか」 その言葉通りに龍一が彼の目の前まで近づく。すると、あろうことか突然腰を引き寄せられた。 「うーん、近くで見るともっといいねぇ…程よく筋肉があって細身すぎない。 うん。好みだよ、君」 「???」 「あれ、よく分かってないって顔だね。それは天然?それとも…わざとかな?」 気づけば寮長の顔が、鼻先がぶつかりそうなほど近くに迫っていた。 龍一は当然、理解が追いつかない。 この距離は適切なのか。いくら近くといっても、これでは書類が見えないとおもうのだが。それとも寮長はとんでもない近視なのだろうか。ならば、 「っうわ!え、えぇ?」 「この書類に判を押して頂きたいのです。手書きのサインでも構いません」 「いや…いやうん、分かった、わかったけどちょっと近すぎやしないかい?」 腕を解いた寮長が一歩下がる。 どうやら近視ではなかったらしい。寮長が極度の近視であることを懸念して、龍一は互いの顔の僅かな隙間に紙を挟んで提示してみたのだが。 「はぁ、驚いた。天然なんだね」 「天然? あぁ、髪のことでしょうか。私の記憶の限りでは生まれてこの方、髪を染めた経験はありません」 「そこは疑ってないよ。君の髪は真っ黒じゃないか。……部屋の変更だったね、見せてごらん」 「どうぞ」 やけに疲れた様子の寮長に紙を渡す。 「鷹藤龍一くんと言うんだね」 「はい」 「それで、龍一くんはどうして部屋を移動したいのかな」 「私が一方的にルームメイトへ暴行を働き、怪我を負わせてしまったので」 「君が? へえ、意外とアグレッシブなんだね」 寮長はふむふむと頷いた後、「ちょっと待っていて」と部屋の奥へ消えた。 消えた先から、何やら話し声が聞こえる。 「先客がいたのか」 そういえば、取り込み中だと言っていた。客人をもてなしている最中だったのか。 今更ながら、龍一は何度もベルを押してしまったことを申し訳なく思った。 「お待たせ、印鑑が見つからなくてね。ちょっと手間取ってしまったよ」 「お忙しいところ申し訳ありませんでした」 「ん?いや大丈夫さ。ちょうど退屈に思っていた頃合だったしね。 ここに押せばいいかな?」 「はい。お願いします」 紙に『三上』の印が押される。ここでようやく寮長の名が判明した。 「ありがとうございます」 返却された書類を受け取り、龍一が礼を言うと寮長はヒラヒラ手を振った。 「今度はちゃんと遊びにおいで、龍一くん」 「……はい。では失礼します」 頭を下げてその場から立ち去る。 ……流れで頷いてしまったが、ちゃんと遊びに行くとはどういう意味なのだろう? ふむ、しかし。寮長は年上で、そもそもフラッと遊びに行けるような間柄でもないので、きっと社交辞令であろう。 何は友あれ、無事に印を押してもらえてよかった。
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