殿様の盆栽

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殿様の盆栽

ぱちん・・・ぱちん・・・ 枝ぶりのいい松の盆栽に手を入れているときは何も考えずに済む。ひたすら枝ぶりを眺め、邪魔な枝葉を取り除き思ったような形になるように鋏を入れていくことに没頭できる。 ぱちん・・・ぱちん・・・ 鋏を入れては眺め、ぐるっと一回りしてはためつすがめつ松の姿を整えていくのが盆栽というもの。 「ふぅ。しかし、どうも葉の色が悪いのぉ。水はやっておるし。虫がついている様子もない。」 ひとりごちながら、これは植木職人の源三に見てもらうのがいいかと思案していたときだった。 「待ちや、これ、平太郎っっ。」 盆栽に気をとられていて気が付かなかったが、どたどたという大きな足音が聞こえたと思ったときには、もう背中をどんと押されてつんのめっていた。その拍子に台から盆栽が鉢ごと落ちて地面に転がった。 がっしゃーーん。 粉々に飛び散る盆栽の鉢のかけらのなかに松の木が転がる。 「へっへーー、待てと言われて待つやつがどこにいるーー。」 どたどたという足音が遠ざかっていく。そのあとを小さな足音もたたたっと続いていく。 「わらわの小袖に、良くも墨をつけてくれましたなっっ。ゆるしませぬぞぉぉ。」お女中がさけびながら追いかけていた。 地面につんのめってはいつくばった拍子に、頭をどこかにぶつけて気を失ったらしい殿様を見て平太郎を追いかけてきたお女中は助け起こそうとして人を呼ぶ声が聞こえた。 「殿っっ、しっかりなされませっっ。誰かっっ誰かっっ。殿が一大事じゃ。たれぞ居らぬかっっ。」 そのすきに平太郎は逃げて行ってしまったが、とにかく殿が大事。医者を呼ぶやら、布団を敷くやら、大騒ぎ。 「ううーん・・・」 「殿、殿っっ、お気が付かれましたかっっ。」 「うう・・・大事ない。騒ぐな。」 「ともかく、しばらく横におなりになってくださいませ。ご典医も来ますゆえ。」 「それより、盆栽はいかがした。」 「あ・・・その。ああ、ご典医がきましたぞ。殿、横におなりになって。」 「よいというに。」 「なりませぬ、とにかくご典医さま、殿を見て差し上げてたも。」 そこにまたひょっこり現れたのが城の植木の世話をしている源三。 「殿様あ。えらいことになってますな、盆栽。」 源三が松の幹をつかんで根っこの土を払い落としてる。 「そーじゃ、盆栽じゃ。どうじゃ、盆栽は無事か?」 布団から起きて源三の方に行こうとする殿様。それを押しとどめようとするお女中とご典医。 「いや、これはなかなか大変なことになってますぜ。」 慌てて殿は盆栽の方に行こうとするが、お女中が袖を引っ張った拍子に再び仰向けに倒れてしまう。ご典医がそこに来て、殿の足に躓いて薬箱を持った弟子とともにしりもちをついて、腰を痛めたらしい。 あいたたた・・・と腰をさすっている。 源三は地べたに転がってる盆栽の松の植えてあった壊れた鉢を拾って、やれやれというように首を振っているが、のびてる殿さまの方には目もくれない。 「まったく、あれだけ水をやり過ぎないようにっていったのによぉ。せっかくの盆栽が根腐れしかかってるじゃねぇか。これだから、しろーとは。あーあーあー、ナメクジがこんなに湧いてよぉ。」 植木鉢の底の方のかけらにはナメクジがびっしり。 「ほら、これ。ナメクジだらけになってますぜ。ホントにもぉ、こういうのをスギ樽はザルのごとしっていうんじゃないですかねぇ。前は水をやらなくて枯らしちまって。木がかわいそうだから、もぉ辞めちまってくださいよ。殿様は盆栽は向いてねぇんじゃねぇかな。」 「スギ樽ではなく、過ぎたるは猶及ばざるが如し、というのが正しいのじゃが、まあ確かに殿には向かぬかもしれぬのぉ。」 腰をさすりながら、ご典医がうなずく。 「じゃ、これはうちが引き取りますんで。養生したら生き返るかもしれねぇ。」 「これ、源三。ナメクジや壊れた鉢も片づけておくれ。無かったことにするのじゃ。いいな。」 お女中もこれ幸いと片づけを源三に押し付ける。 「へぇへぇ。ようございますとも。綺麗にしておきますんで。」 「うむ。頼みましたぞ。殿には適当にお伝えしますゆえ。」 そのあと、お女中は桐生様に散々苦情を言ったらしい。平太郎のおかげで殿が大変だったと。桐生様は、ただ頭を下げるしかなかった。
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