桜の木

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桜の木

「平太郎、平太郎、」 鶴千代も亀千代も、朝から晩まで平太郎の後を追いかけて、まとわりついていた。 殿が白蓮様からの書状を読んで、桐生様に「よきにはからえ」と丸投げしたので、とりあえずお守り役の桐生様と一緒にいるということになった平太郎。 「いままで、あんなに楽しそうに走り回っている姿を見たことはない。」と、奥方や乳母がびっくりするほどだった。もちろんお守り役の桐生様はハラハラし通しだ。 「鶴千代様、亀千代様、そんなに走るとあぶのうございますぞ。」 と言いながら、二人の後をついて歩くのだが、だんだん面倒になってきた。 そこで平太郎ができるだけ大人しく座っていてくれるように、とにかく飯を運ばせては食わせることにした。さすがに、食べながらは、走ったり転げまわったりはしないだろう。お勝手方のものに言いつけて、とにかく飯を炊いては持ってこさせることにした。 それからは平太郎の前には、つねにできたての飯がおひつで運ばれ、汁も面倒だから鍋ごと運ばせて、あとは漬物やイワシの干物を次から次へと焼かせた。これだけ食べれば腹が膨れるに違いないと思っても、平太郎の前に置くとすぐに消えてなくなるので、お勝手は大忙しだった。 そんな平太郎のそばには、もちろん鶴千代と亀千代がちょこんと座っているのだが、日ごろは好き嫌いが多くてほんの少ししか食べないのが、平太郎がガツガツと次から次へと平らげていくのを見て「我も食べる」と茶碗に自分で飯を盛り上げて食べていくではないか。 平太郎はおひつからしゃもじを使って食べていたが、それも面倒と手を突っ込んで食べだしていく。鶴千代と亀千代は目を丸くして見ていたが、顔を見合わせて真似をしようとして、さすがに桐生様にとめられる。 「はしたのうございますぞ、鶴千代様、亀千代様。」 ぴしりと言われて、しぶしぶと箸で食べだす二人。 「しかし、そのようにお食べになってるのをみて嬉しゅうございます。」 「桐生、そちも一緒に食べぬか。」 「そうだ、一緒に食べようぞ。」 「いえ、わたくしは次のご飯を運んでまいりますので。」 そういいながら、空になった平太郎の前に積み上がったおひつをお勝手に運んで行った。 「ああ、食ったなあ。ちょっと横になるか。」 そういうが早いか、ごろんと寝転がって大いびきの平太郎。 そのすきに、家来たちが食べたものを片付けていき、ようやく落ち着いたところで、鶴千代と亀千代は字を書いたり、学問をしたりする時間だ。 「平太郎がいなきゃいやぢゃ」とふたりして駄々をこねるので、平太郎が寝ているそばでの読み書きだ。 平太郎は字を読んだり書いたりなどにとんと興味がない。転がって大いびきの平太郎など、教育係の者たちは邪魔だとおもっていたが、桐生様が頭を下げて鶴千代様と亀千代様が平太郎がいれば大人しくするからということで、平太郎のいびきの中で読んだり書いたり。 そんなことをしているうちに、平太郎が目を覚ます。 「ああ、良く寝たなあ。腹が減った。」 「平太郎、いまからおやつじゃ。それ、みなのもの菓子をもて。」 教育係も今日のところはこれまでにしましょうといいながら退出。 手習いの時間の後は、平太郎とおやつを食べたり遊んだりしていいということで鶴千代と亀千代は、いたずらもせずわがままもいわず読み書きを済ませてくれるので、教育係もしぶい顔をするものの大人しく引きさがっていく。 以前は、なんだかんだと先生を手こずらせていた二人だが、なにが気に入ったのか平太郎がいれば素直に言うことを聞くので、邪魔だとは思いつつ平太郎がいるのを黙認する方がマシということになったようだ。 「平太郎、おやつじゃ。ほらほら。」 「ほらほら、まんじゅうじゃ」 「餅か?」 「平太郎は、餅が好きだなあ。今日は饅頭だ。あんこ一杯。」 「饅頭も好きだ。いくつでも食えるぞ。」 「平太郎、昨日は餅をひとうす食べちゃったよね。」 「おお、あれくらい軽いもんだ。次はふたうすがいいな。」 「そんなに食べて、お腹が痛くならぬのか。」 心配そうに両側から平太郎の腹をなでる鶴千代、亀千代だが、平太郎はくすぐったがって、饅頭の器を持ったまま立ち上がって、だだっと部屋の外に走り出していった。鶴千代と亀千代も後を追いかけていく。 「まって、まって、平太郎」 「我にも饅頭をおくれ、平太郎。」 声が聞こえないのか平太郎は饅頭をほおばりながら、ぴょいと廊下から庭に降りて、走っていく。そのあとを追いかけようと、二人も平太郎の後を追いかけようとする。 「鶴千代様、亀千代様、履物をお履きくださいっっ。」 慌てて桐生様が声を上げるが聞こえないのか、3人とも庭に出て見えなくなってしまった。仕方なく桐生様も後を追って庭を走りだす。 「まって、まってー。平太郎ーー。」 「やーだよ。もごもご。」 まんじゅうをほおばり、口からボロボロこぼしながら走っていく平太郎の後ろを鶴千代と亀千代が追いかけていくと、大きな桜の木のある所に出た。 「あっ、母上様じゃ。母上様ぁぁ。」 「母上様ぁ。」 花びらが散り初める大きな桜の木の下に、身分の高そうな女の人が立っていた。着物は美しい友禅で凛とした雰囲気もある。奥方の葵の君である。桜の木は、この城の中で一番の大木である。 「おお、鶴千代と亀千代。」 側室の子も我が子じゃと、心の広い奥方様はいつも仰せで二人を分け隔てなく育てるようにしている。 「母上様、ここでお花見ですか?」 「あまりに美しいので、舞を舞っておったのじゃ。が、風に扇をさらわれてしまっての。ほら、あそこに。」 鶴千代と亀千代が、見上げると桜の木の枝に舞扇が引っかかっているのが見えた。 「いま、源三を呼びにやったところじゃ。」 「植木の源三?」 「そうじゃ、お庭の世話をしてくれる源三じゃ。あのものなら、取ってくれるだろう。」 平太郎がまんじゅうを、もごもごほおばりながらやってきた。 「なんかうまいものでもあるのか?この木の上に」 「母上の舞扇じゃ。」 「舞扇が枝に引っかかっておるのじゃ。」 口々に平太郎に教えてやろうとする。 「まいおーぎ?うまいものか。」 「食べ物じゃないよ。」 「なんだ、食い物じゃないのか。」 とたんに興味を無くす平太郎。 「母上がお困りじゃ、平太郎。もっとまんじゅうやるから取っておくれ。」 「まんじゅうじゃなくて、次は握り飯がいい。」 「わかった、握り飯を腹いっぱいだ。」 「おお、ほんとうか?」 目の色が変わった平太郎。 「おめえたち、長いものが出てきても平気かや?」 「長いもの?」 首をかしげている鶴千代と亀千代を見て、まあいいかとまんじゅうの器を放り投げ、桜の木に向かって走り出したかと思うとドーンとぶつかった。 桜の木はびくともしないかと思ったが、衝撃で落ちてきた舞扇を鶴千代と亀千代が右往左往して、落ちてきたところを拾い上げた。そのあとでめりめりめり・・・という音とともに、桜の木は根元から折れて傾いた。 驚いたことに傾いた桜の木の根元から大きなヘビがはい出してきたではないか。 「あぁぁ、だれかっっ。だれかっっ。出会え、出会えぇぇ。」 と叫んで奥方は、へなへなと座り込んでしまった。 「母上様っ」と鶴千代と亀千代が両側から抱き着くと同時に、源三やら呼びに行った女中やらが集まってきた。 「おい、おめえっっ。奥方様になにしやがったっっ。」 勘違いした源三が平太郎につかみかかろうとした。 「違うの、源三。大きなヘビが、ほら。」 「蛇なのじゃ、長いものがにょろにょろなのじゃ。」 鶴千代と亀千代が指さす方を見ると、大きなヘビが桜の木の倒れ掛かった枝に巻き付いて逃げようとしているところだった。 「ああ、源三か。そこの扇を拾っておくれ。」 「へい、奥方様。」 「それから桜の木を元に戻しておくれ。お願いしましたよ。」 「はあ、元に・・・ですか。」 奥方様は女中たちに抱えられて、屋敷の中に入っていった。 「こりゃまあ、えらいことだなあ。」 桜の木を見た源三がため息をついた。 桜の木の幹にはひびが入っていたが、それはなんとかなる。しかし根元が半分ほど腐りかかって、うろができているようだった。 ヘビはその洞にでもいたのだろう。 「この腐ったところを何とかしねぇとなあ。もとにって言っても、このままじゃ枯れちまわあ。」 ぶつぶつといいながら木の周りをぐるぐる回る源三。 「平太郎のせいじゃないの。」 「平太郎は母上様の舞扇をとってくれただけなのじゃ。」 源三のそばにきて心配そうに見上げてる。 「大丈夫だ、この源三にまかせなせぇ。」 大きく胸を叩いて安心させようとする源三。 「おぅ。うまいおーぎは落ちただろ。握り飯くれよ。」 平太郎はけろりとして、約束の握り飯をもらおうと鶴千代と亀千代にねだり始めた。 「平太郎、約束じゃ。ウメにいって作ってもらうから一緒にいこう。」 「源三、桜の木は母上様のお願いじゃ、元に戻しておくれ。」 「ようがす。この源三、できるだけのことはして見ましょう。」 平太郎が鶴千代と亀千代を肩に乗せていくのを見送りながら、源三は桜の木をみてため息をついていた。 「こりゃあ、ずいぶん前から痛んでいたにちげえねぇ。気が付かなかったのは俺の落ち度だ。何とかしねぇとなあ・・・。」
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