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お前さん、ちゃんとウチの看板を見たのかい、ウチに絵の具なんぞはいらねえよ、さあ帰った帰ったと一度は追い払ったんですがね、そいつが言うのには
── どの道この雨の中、どこへ行っても同じ事でございます。更に失礼を承知で申しますが、お見受けした処、こちら様も本日はもうすっかりお品も売り切ってしまわれて、売り物になるものも御座いますまい。
何、手前の取り扱いたる絵の具と申しますのは、他ではきっと手に入らぬ世にも摩訶不思議なる珍品でございますれば、お耳汚しかとは存じますが、束の間のお慰みに、お話だけでも聞いてはいただけますまいか ──
とこんな塩梅で。
女房もどういう訳かこの男を大層気の毒がりましたので、それなら茶の一杯でも飲んで帰りなってんで、店先に丸椅子並べて、膝つき合わせて茶を飲んだてな具合で。
徐ろに男が鞄から取り出しましたのが、掌に載るぐらいの小瓶で、中には粉の絵の具が入ってるとか。
その絵の具ってのは真、世に珍しき絵の具でございました。
まあ、でもそんな事あ現実にある訳がない。きっと真っ赤な嘘なんでございますよ。
いや、今となっちゃぁ、それは必ず嘘でないと困るんでございます。
── 海水を煎じ詰めた残滓ってのがこの絵の具なんでございますよ豆腐屋の旦那。
そんな馬鹿な話は有るわけがない。何でったってそりゃあ、先生もご存知でございやしょう? 海水を煮詰めたら塩ができちまうじゃないか。
そんな事あ、いくら学のねえ手前も知らぬ事じゃあございません。
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