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「何、冗談と言う事でもないのだが、何も私は一つも物を買わずにお前さんをこのままここから追い出そうってんじゃぁないんだよ。
さて、その絵の具、一つ幾らでお売りかね? 」
「へぇ、それでございましたらば、青と黒が一瓶三円五十銭、鉛色と緑が五円、深海の黒は少し値が張りまして八円と、こうさせて頂いております。お値段に就きましては、あっしの方ではビタ一文値引する事は相ならんと親方からきつく言われておりやすので、そこんところは宜しくお願い致します」
聞いて目ん玉が飛び出るかと思いましたね。
全くほんとにそうでございましょ? だって先生、今しは地元で神童なんて呼ばれて、東京の大学を卒業した方々の初任給が六十円ほどだと聞きますからね。
それを貴方、珍品とは言えたかだか絵の具一瓶に八円とは、目玉が飛び出て空いた穴からもう一つ何かが飛び出るかと思うくらいでございましたよ。
「そんな物がお前さん、日に幾つ売れるかね? 」
と聞きましたら
「それはまぁ、値段が値段でございますから、三日に一本も売れりゃあ御の字といった所でございますな」
これには正直驚いた。
これまでずっと、嘘出任せを言ってるとばかり思っていたもんですから、こう訊ねれば
── へえ、日に二三本は安定して買い手がございます
何て答えやがると思っておりましたんですよ。
そしたらもう、有無も言わさず追い返してやろうかと思ってた。ところがどっこい、奴さん、中々正直でいやがる。
「よし分かった。俺も男だ。お前さんの持ってる絵の具、全部の色を一瓶ずつ、そっくり纏めて二十五円で貰おうじゃないか」
とうとう、私はそう言っちまったんですよ、先生。
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