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気になる
その日から、彼のことが気になった。
彼の生活のリズムはほぼ毎日同じで、大学へ行った後は遊びに行くでもなく、バイトをしているようでもない、買い物をして部屋で料理を作り夕食の準備をして一人食事をする。
風呂に入った後は部屋で過ごしていた。
彼と滅多に顔を合わせないのは、俺の生活が彼とは全くリンクしないのが理由だと分かっていた。
朝の起床は彼より遅く、大学の授業が終わればバイトか女と待ち合わせ。
バイトにしても女の相手にしても、どちらも帰りは遅くなる。
帰ると彼は部屋にいるから、顔を合わせる事はない。
彼と同じような生活をすれば、彼と顔を合わせる機会は確実に増えるだろう。
だが、今更それを変えてまで、彼と顔を合わせるつもりも必要もない。
彼と話したいとか、もっと近づきたいとか心の中で思いながらも、依然としていつものように過ごし、彼との距離もそのままだった。
そして日曜日、久しぶりに彼と顔を合わせる機会があった。
部屋を出ると彼は朝食を食べていた。
「おはよう、匠君朝ごはんは?食べるなら、あるよ」
「食べようかな」
彼はすぐに立ち上がってキッチンでパンを焼き、コーヒーを入れたカップを持って来た。
「卵とサラダ作るから、ちょっと待って」
そう言うとフライパンに卵を割り入れ、ハムを添えた。
サラダはレタスときゅうりとミニトマトだった。
テーブルに並んだ、朝食を前に急に腹の虫が鳴いた。
彼が微かに笑った。
その顔がこれまで見たどの女より可愛かった。
「ありがとう
頂きます」
朝ごはんを家で食べるのは初めてだった。
これまで、朝ごはんを作ってくれるような人は誰もいなかった。
いつも、空腹のまま登校し、給食で腹を満たしていた。
高校では昼休みまで我慢しパンや弁当を食へ、
夕食はコンビニの弁当や友達を誘ってファミレスで食べるのが日常だった。
「彪は今日は?」
「僕は友達と出かける予定だけど匠君は?バイト?」
俺はこの後シャワーを済ませ、女とデートの約束だった。
だが、それは言いたくなかった。
「俺はバイト」
「そうなんだ」
「友達って新名 蓮音って奴?」
「そうだよ、僕の友達は彼しかいないから」
「・・・・・俺は?」
「匠君も友達だよね」
彼が照れくさそうに小さく笑った。
本当に彼は優しい顔で笑うんだと思った。
その顔から目が離せなくなって、俺は彼の顔をジッと見ていた。
「匠君、食べ終わったらキッチンに置いてていいからね」
彼はそれだけ言うと立ち上がった。
部屋へ戻った彼はすぐ戻って来て、俺にイニシャルの付いたキーホルダーを差し出した。
「これは?」
「この前、間違えて怒ったお詫び・・・・・鍵、そのままじゃ無くすよ。良かったら、これ使って」
これ迄の癖で鍵はいつもそのままポケットに入れていた。
小学校の頃から、何度も鍵を無くした俺は好きなキャラのキーホルダーを付けるのをやめて、そのまま持つようにしていた。
鍵は何度でも作れるが、好きなキャラのキーホルダーは二度と手に入らない物もある。
彼が俺の鍵に気がついて、キーホルダーを買ってくれたのだった、しかも名前のTとRが付いていた。
そんな風に気にかけてくれたことが、何か特別な気がして、彼の顔を見つめた。
「アッ、イニシャル入れたり勝手なことしてごめん、もし嫌だったら使わなくてもいいからね・・・・・」
「嬉しいよ。それにあれは俺が悪かったのに、お詫びなんて気を使わせてごめん」
彼の行為は単なるお詫びの印だと分かっていても、わざわざイニシャルまで入れてくれたことが、何か他に意味がありそうで落ち着かなかった。
それに、この後彼が新名 蓮音と出かけるのも気に入らなかった。
この前のカフェでのランチの顔を思い浮かべた。
気にいるとか、いらないとか、そんな事を考える自体おかしいと思うのに、妙に腹が立った。
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