*光視点

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*光視点

 その出来事は、高校二年生の春に起きた。  学校から帰ってきて部屋にある机の上を見ると、一冊の本が置いてあった。 『5年後受賞して流行る本です。まだ世に出ていないのであなたが書いたことにすればもしかしたら……ちなみに受賞するのは○○賞』と書いてある手紙と共に。 題名は『青い群衆たちの泣き顔』で、作者は『門倉凪(かどくらなぎ)』。  表紙は全体的に青みがかっている。白い服を着た、ふたりの男とひとりの女が喜怒哀の表情でそれぞれ別の方向を向いている。彼らが立っている場所は展望台か何かだろうか。小さく見える沢山の建物を見下ろせる場所にいた。 「なんだこれ」  警戒しながらパラパラとめくる。  どうやら小説らしい。  とりあえず裏表紙のあらすじを読み、最初辺りのページだけ読んだ。  はじまりは主人公?の詩。続いてひとりぼっちの高校生が真っ暗な道を歩いている文章が書かれていて、そのシーンのイラストも描かれていた。絵を見て、なんとなく自分みたいだなと感じる。  文章が読みやすくて、すらすらページが進んでいく。  数ページ読んだ後、部屋の壁時計に目をやった。  ――あ、バイトの時間だ。  その本をいつもバイトに行く時に持ち歩いている、小さな紺色のショルダーバッグに入れた。    バイトはスーパーの品出しとレジをしている。  時間は17時からで、22時まで。  バイト中はさっきの小説についてずっと考えていた。  誰が小説を机に置いたのだろうか。うちの両親は真面目だから、絶対に冗談であんなことを書いて置いたりはしないと思う。  あの小説は本物か?  未来から来ていて、本当に受賞するのだとしたら?  もしも添えてあった手紙の内容が本物だとしたら、あの小説を書き写してコンテストに応募すれば自分が有名になれたりして、やがて楽して稼げることが出来るのではないかと。  将来やりたい仕事が特にあるわけでもないし、頑張りたくもない。  小説なんて一度も書いたことがないけれど、楽していきなり受賞出来るなんて夢のような話。  試してみる価値があるのではないか?  そんな考えが浮かんだのは同じクラスの安村の影響もあるのかもしれない。ずっとコツコツと書いていた小説が受賞したらしい。彼と僕は仲良いわけではなく、全然話をしない。教室で安村と友達がその会話をしている時に、偶然僕の耳に入ってきた。「小さなコンテストの賞だけどな」と言っていた安村の声は弾んでいた。ギフト券も1万円分貰ったらしい。羨ましかった。  バイト中こっそりとスマホをいじって、この小説は本当にまだ世の中に出ていないのかを調べてみた。  まずは題名、次にあらすじを……。  ネットでは見当たらない。  門倉凪の名前も一切出てこない。。  ちなみに安村の名前も検索してみたけれどネットには出てこなかった。     受賞した想像を膨らませ、欲だけがどんどん渦を巻きながら大きくなってゆく。  バイトの帰り道、薄暗い細道を歩いていると黒い天使の格好をした美女が目の前に立っていた。 「うわ、ビックリした」  暗闇の中からぼんやりといきなり出てきたように見えた。驚きすぎて数歩後ろにさがる。 「ごめんなさい。あの……もう、あの小説来ましたか?」  怪しいなと思いながら無視をして通り過ぎようとしたら小説の話をされ、僕は立ち止まった。 「あの小説って……どうしてそれを知ってるの?」 「いや、それは……」  無言になった彼女をあらためて上から下まで隅々と眺めた。真っ黒いコート、そして後ろに黒い羽をつけている。  彼女はなぜここに、こんな格好をしてこんな時間にいるんだろう。趣味かな? 「もしかして、その小説を使って受賞目指そうとしていませんか?」  僕の心を見透かしているかのようだ。 「本当にそれでいいんですか?」  急に彼女の声は大きくなった。  彼女は怯えているような、怒りを押さえているような。良くない感情を込めてその言葉を言っているのが伝わってくる。 「どうしたら…なんて言えばいいんだろう……」  彼女は続ける言葉について悩んでいるようだった。 「あの、思ったまま行動したら良くない未来が待っていると思うんです」 「えっ?」 「例えば、本来その小説を出すはずだった作者の門倉凪さんの人生を変えてしまったり、あなた自身が困ったり……」 「別に困ることなんて起こらないと思うけど。っていうか、もう家に帰るから」  よく分からない女だな。  小説のことも知ってたし……。  あんまり関わらない方がいいような気がして僕は「さよなら」と告げると彼女から離れていった。  一瞬後ろを振り向くと、彼女は立ち止まったまま下を向いていた。  その日以来、バイトの帰り道にはもちろん、学校からの帰り道にも彼女がいた。無視をして出来るだけ近くによらないようにして、そのまま家の方向に進んでいった。  これは明らかに待ち伏せられている。部屋に置いてあった小説のことも彼女は知っているし、気味が悪い。  気味が悪いけれど、出会った日からふと、彼女の姿や言葉を思い出したりしていた。もしかして本当に僕のことを思って言ってくれたのかもとか考え始めていて、悪い人ではないように思えてきていた。  自分のことを思って、ここまで向き合ってくれる人はいない。  心の中の、ぽっかりと空いていた穴の部分を彼女の存在が埋めてくれそうな気もした。    関わってみようかな? 「言いたいことがあればはっきり言って欲しいんだけど」  バイトの帰り道、相変わらず待ち伏せをしている様子だったから単刀直入に聞いてみた。 「……お願いがあるんです」 「お願い?」 「あの小説を書き写さないでください」 「なんで?」  あの小説がうちに来てから今日で1週間が経った。  すでに小説の文章をパソコンに写し始めていた。文字数が増えるたびに、受賞して売れる未来の想像もどんどん大きくなってきていた。 「だって、もしもそれを写して受賞したら……」  長々とダメだと思う理由を彼女は話し続けている。  聞いているうちに洗脳されていくみたいに、完全に彼女の言うことが正しいと思えてきた。 「でも確かに、こんなことしてたら自分がダメになる気がする」 「ですよね? あの、例えば、例えばなんですけど、本当に例えばですが、自分で話を考えて書いてみるとかいかがでしょうか」  とても真剣な眼差しで僕を見てくる彼女。  普段の僕は意固地で、やると決めたら周りの意見を聞かずにいるタイプだけど……。  心が揺れた。 「……」 「例えば、また例えばですよ? 私みたいな人が出てくるお話とか」  彼女はそういうと、くるりと一周した。  ずっと黒い天使の格好をしている彼女を眺めていると、急に天使の話を書きたい欲が降ってきた。内容は全然思いつかないけど、ラストはハッピーエンドかな? 「最初から話を考えてみようかな? 妄想とか、嫌いじゃないし」 「うん、それがいい! いいと思います」  彼女の硬い表情はほぐれ、思い切りの笑顔になった。  ふいに見せられた笑顔を見て、僕の心臓が跳ね上がる。 「そろそろ帰らないと」  彼女がそう言った後、僕はスマホで時計を確認した。あらためて考えると、この人はひとりでこんな遅い時間に外を歩いていて、危ないよな。 「そういえば家ってどこ? 近いの? 送るよ」 「大丈夫です。住んでるところはとても遠いところだけど、すごく近いところだから。またね」  そう言って彼女は僕に背を向けた。と思いきや、再びこっちを見た。 「作品、楽しみにしてますね」  そう言うと彼女は再び背中を見せ、走って暗闇の中に紛れた。  僕の頭の中が光った。そして真っ白になっていった。
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