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6.交通事故と記憶喪失
7月7日の七夕の駆け落ちの前々日の金曜日。
祐二はいつものように出勤し、オートバイで得意先を回っていた。
当日の予定されていた立ち回り先の業務を終え、午後4時過ぎに北の丸公園の公衆トイレに寄った。
そこで用をたすと喉が渇いていたので、科学技術館の玄関ホールに行き、自動販売機で缶ジュースを買った。
ホールには、いろいろなイベントや映画の広告などが張り出されている。
数人の人達が、その張り出しポスターなどに食い入るように見入っている。
立ち飲みをしながら、その様子をしばらく眺めていた。
こちらに背を向けて、長い髪を後ろに束ねている痩身の女性が目に入った。
(1)憐憫(れんびん)の情
(・・・あれ、どこかで見たことがある後ろ姿だ)
どこか寂し気で、孤独感が漂う若い女の子。
祐二は、すぐに思い出した。
武道館の門前で亮子に紹介された大学の友人の一人、鵜本(うもと)亜希子。
亮子との初めての本格的なデートの日、細い足を引きずる様にして歩いていた彼女の後ろ姿が記憶に蘇った。
あれから、1年近くが過ぎていた。
けれども当時と同じ服装であったことが、記憶を鮮明に呼び戻していた。
プリーツスカートに、夏物のカーディガンを羽織っている。
その背中は、病人のように覇気がなく翳がある。
彼は歩み寄り、後ろから声をかけた。
「こんにちは!」
女が驚いて、振り返った。
すぐには、松岡と分からなかったようだ。
当時は長髪だったのに、今は短い髪形に変えていたからだろう。
「松岡です」と言うと、分かったらしく微笑みを浮かべた。
「あ~ら、こんにちは、お久しぶりです。・・・そう、小谷野さんとご婚約したのよね。おめでとうございます」と軽く会釈した。
「ありがとうございます」
破談になったとは言えない。
亮子もそのことは友人に言っていない。言えないだろう。
「映画のポスターを、ずっと眺めていたね。その映画面白いと評判だね」
「そうなのですけれど、もう間もなく上映が終わってしまうのです。上映館も限られていて、東京では錦糸町の映画館だけなの・・・」寂しそうに語った。
きっと、一人では見に行く勇気がないように感じた。
男女の機微に敏感な祐二は、おそらく映画を一緒に見に行く彼氏がいない、と直感した。
色白で奥二重、鼻の高い顔立ちは清潔で品がある。
地味だが美しい。
おそらく、自分の足の歩行に引け目を感じて、コンプレックスがあるようだ。
可哀そうに、思えて同情してしまった。
(惻隠の情で女の子を誘ってはいけない。失礼だ。でも友人としてボーイフレンドとしてなら、誘ってもいいだろう)と、勝手な理屈を作る。
「そうだったの。丁度、僕も見たいと思っていたから、明日の午後にでも一緒に見に行かない?」
軽い口調で誘っていた。
彼女は、目を丸くして驚いた。
「何をおっしゃるの松岡さん。小谷野さんに叱られてしまうわ、人の彼氏と映画を見に行ったら・・・」
「黙っていれば、わからないよ。それに亮子には事後報告しておくから。もう婚約しているのだから、信用してくれているから大丈夫。映画鑑賞ぐらいで焼きもちは焼かないよ」
(いや、特別な焼きもち焼きだ)
「そうかしら、私だったら許さないけど・・・」と、笑った。
「映画って、一人で見てもつまらないものさ、無理には誘わないけど。軽い気持ちで、家族と見に行くつもりでいれば、いいじゃないの」
「本当にいいの、私どうしても見たい映画だったから、嬉しいけど・・・」
「じゃ決まった」と、彼自身も予想もしなかった映画鑑賞の約束ができてしまった。
翌日の土曜日の午後に、二人は錦糸町の上映されている映画館の前で待ち合わせの約束をした。
その前夜の床。裕二は愛する恋人の友人とのデートはまずいかなと思った。
でもやましい気持ちがなければいいのだ、と自分に言い聞かせた。
これは裏切りではない。善行だと思い込んだ。
翌日、二人は映画鑑賞を楽しんだ。
映画の後に食事もした。
駆け落ちを明日に控え、差し障りのない会話で終始した。
勿論、手も触れることもなく、あくまでも友人として振舞った。
それでも終始、鵜本亜希子はいつになく明るく嬉しそうだった。
その笑顔の彼女を見ると、祐二は良いことをしたと気分爽快だった。
(2)交通事故
彼女の自宅がある練馬区の石神井公園まで、オートバイで送った。
フレンチ・スリーブの白いブラウスにアンクル・ジーンズの軽装で、後ろの座席から彼の体に細い腕を回し、しっかりと抱きつくようにしがみ付いていた。
彼女の実家は、練馬区・石神井公園の池の畔に立っている豪邸だった。
(すごい家だ、まるでお城のようだ)
「じゃねえ、バイバイ」
「松岡さん、今日はありがとうございました。お気をつけて帰ってね」
「あいよ!」と言うと、バイクの爆音を轟かせて去って行った。
激突
夕闇に包まれる都会を疾走した。
中山のアパートに帰宅するのであれば、蔵前橋通りに出るのだが、会社に寄るために靖国通りに出た。
会社にも、銀行の通帳と印鑑を置いてあるのを思い出していた。
明日の駆け落ち後に始まる、これからの二人の同棲生活に備えるためだった。
それらを亮子に預け、一括管理をしてもらうつもり。
幸い、会社の事務所の鍵を持っている。
勤務先の社長とその奥さんも、まだ仕事で残っている可能性もある。
靖国通りと昭和通りの交差点を右折して、昭和通りを新橋方面に向かい八丁堀の会社を目指した。
土曜日の夜でも、都心はまだ商業車やトラックが走っていて、昭和通りはいつもの混雑があった。
江戸橋の交差点で赤信号のため、道路の左端に停車した。
昭和通りは道幅が広いため、彼のオートバイの右横には、トラックや乗車が二列で停止している。
一方日本橋から兜町に走る道は狭く、それも斜めに少し曲がっている。
そのことから、右側の日本橋側からくる車を彼の位置からでは見えない。
信号だけが頼りの、信号待ちだった。
信号が青になったので、バイクをスタートさせた。
念のため、慎重にスタートを切った。
ところが右横から、赤信号に変わったことで交差点を早く渡り切るために猛スピードで走ってきたトラックがあった。
だが、祐二には見えない。
あっという間に、祐二のバイクとトラックはまともに激突した。
オートバイは宙を飛び、彼の体もそれ以上に宙を飛んだ。
祐二は、危険を予知できなかったことで、何が起こったか分からなかった。
ただ、体が空を飛んでいると思った。
それ以後は、意識がなくなっていた。
交差点の角にある『日本橋郵便局』の前に飛ばされて地面に落ちた。
倒れて気を失った。
歩行者の数人が彼の周りに集まり、血の出ている耳や手の指を自分のハンカチを使って、止血してくれている。
オートバイは大破して、無残な姿で横たわり車輪だけが空回りしている。
ヘルメットや、履いていた靴も道端に散乱していた。
「救急車を呼べ!」と、誰かが叫んだ。
一人の男が、郵便局の非常口に回って、建物の中に入って行った。
そこから電話をかけて、救急車を呼ぶとともに警察にも通報した。
全身の打撲と手足の骨折、手の指の複雑骨折、耳の裂傷などの重症であった。
20分ほどで救急車が来て、祐二は担架に乗せられた。
日本橋牡蠣殻町にある、緊急病院の『日本橋外科』に搬送された。
病院に着くとすぐに手術室に運ばれ、麻酔が打たれて手術が行われた。
手術は、深夜までかかった。
その後は集中治療室に移り、翌日の七夕の夕方までそこに寝かされていた。
まだ意識は回復していない。
裕二の誕生月は9月だから、この7月6日の段階では19歳の未成年者の交通事故だった。
(3)記憶喪失
日本橋牡蠣殻町にある『日本橋外科』は、外科専門の緊急病院。
その患者の多くは、中央区管内の交通事故で搬送されていた。
新大橋通り沿いにある『銀杏八幡宮』の隣に建つ、3階建ての小さな病院。
瀕死の重傷
松岡祐二は、7月6日の夕方に緊急搬送されてきた。
全身打撲、手足の骨折、手の指の複雑骨折、耳の裂傷の瀕死の重症であった。
緊急の手術後は集中治療室に移り、翌日の「七夕の日」の夕方までそこに寝かされていた。
事故によって気を失い、生死の境をさ迷っていた。
しかしその深夜、奇跡的に意識が戻り一命を取り止めた。
すぐに、牽引装置のある個室に移された。
一般的な個室ではなく、骨折に伴う骨、靭帯、筋力を処置するため、重りの付いた牽引装置などが装備されている物々しい部屋。
手術した右足はギブスで固定され、天井から吊るされた牽引装置にその足が引き上げられている。
右腕は添木で固定され、三角巾で首から肩にかけて支えられている。
右手の指は複雑骨折で、包帯でグルグル巻きにされていた。
右耳の半分が千切れて、針で縫われていた。
そのため、包帯が頭から耳にかけて巻かれていた。
怪我が少なかった左足と左の腕も、落下の打撲で一時的にマヒしていた。
記憶の喪失
翌朝、医師と看護師が現われて、身元などの調書作りが行われた。
祐二は、名前、住所、年齢などを質問されたが、どれひとつ答えることができなかった。
医師は「事故によるショックで、一時的に記憶が薄れているだけ、少し時間をおけば、記憶は戻るから安心しなさい」と言った。
翌々日には、看護師が来て「ここにあなたの免許証と大学の学生証が入っています。それと現金が70万円ほどあります。若いのに大金を持ち歩いていたのね・・・」
それらが入った紙袋を渡された。
しかし、全く記憶はなかった。
免許証には写真が添付されており、自分のものに他ならなかった。
氏名は松岡祐二、年齢は誕生月が9月になっているから、今は19歳の未成年。
住所は千葉県市川市中山町の田中方と、記載されている。
しかし、どれも全く記憶にない。
交通事故で入院した、と言われているが、その衝撃の記憶すらない。
気が付いたら、病院のベッドで寝ていた。
10日ほど過ぎると、再度、身元確認などの調査が行われた。
だが、それらの問いに対する記憶は引き続きなかった。
その後、脳の精密検査と健康診断が行われた。
その際に「ここは緊急病院なので、長くは入院できない。松葉杖などで歩行が可能になったら通院するか、他の病院に転院することになる」と宣告された。
裕二の怪我は、全治1カ月を超える重症と、最終的に診断された。
住民票を辿れば親元が判る。
だが、果たしてそこから通院できるものなのか?
他の病院に再入院するにも、緊急病院でない限りは未成年なので保証人などが必要になる。
色々思案するものの、結論がまとまらない。
その夜、裕二は自分の正体の謎と不安に寝付けなかった。
天井から吊るされた牽引装置に足が引き上げられて、右腕もギブスで固定され身動きができない不自由な状態だった。
そんな眠れぬ深夜に、夜勤の看護師が夜回りにやってきた。
重症患者には、尿瓶の交換をしなければならない。
看護師は、懐中電灯を照らして尿瓶の交換を始める。
ところが、病院から支給された簡易パジャマの下が大きく膨れているのを見て驚く。
その元気の良さに、思わず生唾を飲み込んでしまう。
看護師は、下半身が疼いてしまった。
がまんできずに、そっと両手を伸ばして股間を弄ってしまう。
若い男の体が固定されているのをいいことに、おもちゃのように弄んでしまう。
しばらく戯れていた看護師は満足したのか、裕二の頬にキスをして個室から出て行った。
身元判明
その後は、警察や事故を起こした相手の運送屋の保険会社がやってきて、少しずつ状況などを知ることができた。
警察による事故現場の検証は、すでに運送屋の運転手の立ち合いの元で終了していた。
さらに裕二の怪我の回復を待って、被害者立ち合いの元でもう一度行われると聞かされた。
そのうえで、最終的な事故の「供述調書」を作成すると言われた。
但し、警察は既に裕二の身元調査を終えていた。
事故でも事件であっても、警察には加害者や被害者などの戸籍を調べることができる。
この戦後の昭和時代にあっても、警察署にはデータ検索システムが導入されており、裕二の免許書から戸籍を調べて両親の居所を確認していた。
それを記憶がない裕二に知らせるととともに、病院側にも知らされていた。
既に両親の元には、交通事故の一件が知らされていることを伝えられた。
病院側は、裕二が未成年であることを携帯していた免許証で知っていた。
そのため未成年者の場合には、親の許可を得なければ長期入院をさせることができないので、苦慮していたところだった。
退院
そして、あっと言う間に1カ月の入院生活が終えた。
若さもあって奇跡的に回復が早かった。
予定よりも、少しばかり早い退院となった。
だが、依然として記憶は全く戻らない。
手術した右足は奇跡的に回復しており、リハビリを経て松葉杖を使用することもなく、歩行することができるようになっていた。
むしろ打撲傷だった右腕が、まだ三角巾を首から吊るして右腕を支えていた。
裕二は、この8月の段階では19歳の未成年者。
そのため病院側は、裕二の両親宅に連絡をしていた。
親の承諾書などと入退院の書類の手続きがあるので、退院日には親のいずれかが迎えに来るようにと伝えてあった。
そうしたことで退院当日には、継母の順子が病院に裕二を迎えに来てくれた。
久しぶりに裕二を見た順子は、いつになくやさしい笑顔で裕二に声をかける。
「少し痩せたのかしら?」
裕二はつられて微笑んだものの、母親という女性の顔にも記憶がなく、その人の名前も覚えがない。
ともあれ書類の手続きが終わると、裕二は持ち合わせの現金70万円の中から病院の費用を支払った。
二人は病院にお礼の挨拶を述べて、親が住んでいるという渋谷区広尾にある都営住宅へと向うのであった(松岡一家は千葉県から東京都に移転していた)。
裕二は、颯爽と闊歩する背の高い八頭身美人の継母の後を歩いていく。
白いノースリーブを着て、肉付きの良い腕を夏の日差しに晒している。
下半身にピッタリと纏わりついている濃紺のタイトスカートが、肉感的な腰と臀部に揺れている。
裕二はその記憶喪失で、歩く街並みも帰宅する順路も全く分からなかった。
順子は裕二を従えるように、新大橋道路から日比谷線の茅場町駅を目指す。
日比谷線は1964年(昭和39年)に全線が開通していた(北千住~中目黒)。
そのまだ真新しさが残る座席シートに、二人は仲良く並んで座った。
裕二は、疑問をぶつけてみた。
「貴方は僕のお母さんですか?」
微笑みを浮かべて、順子が即答する。
「何を唐突に言うのよ、そうに決まっているでしょう。本当に私が誰だか分からないのね。その内に記憶が戻るように、私が直してあげるからね」
「ああっ、はい。よろしくお願いします」
順子は微笑みを浮かべながら裕二に体を傾けると、頬にフレンチキスをする。
何故か裕二は驚くこともなく、むしろ親近感を覚えるのだった。
二人は病院を出てから、40分ほどで広尾駅を下車した。
天現寺橋の近くにある11階建ての都営住宅の自宅に到着した。
家に着くなり、順子は「風呂かシャワーか、どっちにする?」
「まだ独りでは入れないので、濡れタオルで体を拭きます」
「遠慮しなくてもいいのよ、よければ私が体を洗ってあげるから・・・」
「いいえ、大丈夫です。自分で拭きますから」
「まあ、遠慮深いこと。まだ母親だと思い出していないのね」
「・・・」
タオルを受け取ると、裕二はすぐに浴室に入った。
風呂椅子に腰かけて、ゆっくりと体を左手で拭いていた。
(ここが僕の実家なのか?免許書には市川市の中山が現住所になっているけど、この家も中山の部屋も全く記憶にはない、それに父母の顔さえも分からない)
風呂場で懸命に記憶を辿っていると、順子が忍んで風呂場に入ってきた。
「恥ずかしがらないでね、私がすばやく拭いてあげるから」と、いきなり裕二の後ろに中腰で座る。
裕二は、返答を返す間もなかった。
しかたなく、なされるままになった。
それは言葉通り、すばやい仕草だった。
裕二の背中全体を冷たいタオルで拭くと、
「立ちなさい!」と言って裕二を立たせると、後ろから臀部と両足をあっという間に拭いてくれた。
次には、その手は前の方にも伸びてすばやく胸、腹、前足も拭いてくれた。
最後には、その股間にも分からぬほどの速さと柔らかさで拭くのであった。
「はいっ、終わりよ」明るい声が飛んだ。
「ありがとうございます」裕二はお礼の言葉をかけた。
「まだまだ他人行儀だね、まあ、そのうちに記憶も戻るから安心しなさい」
「あっ、はい」
裕二は、順子が風呂場を後にすると思った。
すると突然に、
「今度は私の体も拭いて頂戴!」と、少し命令調で言う。
裕二は、しかたなく従う。
今度は順子が風呂椅子に腰かけて、肉付きのよい背中と大きな臀部を裕二に晒した。
石鹸も付けずに濡れタオルで、女の首筋、背中、臀部を拭いてあげた。
それが終わった瞬間に、順子は体を反転させて全身を裕二に晒した。
みごとな両乳房が、堂々と張っている。
平均以上の大きさがあるが、ブヨブヨ感が全くない。
股間の暗闇は見ずに、肉付きの良い上半身だけを凝視してしまった。
もう裕二は居直ったように、順子の首筋から始めてその胸、腹、太腿、両の足と指先まで、丁寧に濡れタオルで拭き続ける。
女の陰部は、意識的に避けていた。
「終わりました」と、裕二はポツリと言う。
「ううん、ありがとうね裕二」笑みを浮かべ礼を言う。
庄作の悪事
その日の夕方に、順子と2人の子供に裕二が加わって、家族4人の団欒の食事が始まった。
この都営住宅は全て3DKの間取りに統一され、その全てが団地サイズと言われる小さなものだった。
子供たちは、上の娘が中学生で、下の息子は小学生低学年になっていた。
2人とも、渋谷区立の学校に通っていた。
それぞれ自分の部屋を与えられていた(4畳半と3畳)。
残る部屋は6畳で、庄作と順子の寝室になっていた。
食事中に、裕二は順子に尋ねた。
「お父さんは、帰りが遅いの?」
順子は、即答しなかった。
しばらくしてから「子供達が寝たら、ゆっくり話すから・・・」と口を濁すのだった。
その後、子供達は入浴を済ませると各々自室に入った。
順子は食器洗いを済ませると食卓に居る裕二の真横に座り、重い口を開いた。
それは長々と、夫の所業の悪さを打ち明けるものだった。
その話を要約すると、
① 自宅で開業した<興信所>の仕事は鳴かず飛ばずで、生活の支えにはならなかったこと。
② そこへ裕二が交通事故に遭遇したことから、裕二の勤務先である印刷屋にクレームをつけて、示談金、給料、退職金を要求して130万円ほどを手に入れていたこと。
その脅しの根拠は、未成年者である息子の裕二を、親の承諾もなしに雇用していたことであった。
この問題については、庄作の主張に法的な裏付けがあった。
当時の民法では<18歳、19歳の未成年者を就労させるには、親の承諾・同意が必要だった>のである。
なお現在は、18歳でも親の同意なしで就労することはできるようになった。
③ 金を手にした庄作は、再び麻雀、酒、女遊びに興じて、家を飛び出しまま未だに帰ってこないこと(離婚はしていない)。
④興信所稼業を続けるにも、本人が居なければ違法となってしまい、順子にはその資格もノウハウもないこと。
*興信所も探偵業も資格試験はない。但し、「探偵業届出証明書」が必要であり、さらに「公安委員会」に探偵業や開始届出書と身分証明書などの書類の提出が義務づけられている。
裕二に家庭の事情を吐露した順子は食卓テーブルに泣き崩れて、激しく嗚咽を繰り返すのだった。
裕二は、手を伸ばして順子の腕を掴んだ。
彼は、静かに口を開いた。
「ボクが働くから・・・」
「ありがとう裕二、母さん嬉しいよ」と、さらに激しく泣き続ける。
その夜は二人とも疲れたのか、6畳の庄作と順子の寝所にふとんを敷いて熟睡する。
保険の外交員
翌朝、家族そろって朝ごはんを済ませると、子供たちは夏季の登校日なので学校へと出かけて行った。
すると何故か、順子は風呂を焚いて一人で朝風呂に入った。
そして風呂を出ると、すぐに洗面所で髪をドライヤーで乾かして念入りに化粧をする。
驚いた裕二は「母さん、どこかに出かけるの?」と尋ねた。
「そうよ、これから青山に行って会社の面接を受けるのよ。裕二も一緒に付き添ってね」
「ええっ、仕事するの!?」
「保険の外交員をやるわ、生まれて初めて就職するのよ!」
昨夜の落胆していた様子とは異なり、何やら元気はつらつとしていた。
「勿論ついて行くけど、親子で面接を受ける訳にはいかないよ」
「そうよね面接会場は研修所だから、その近くで待っていてくれたらいいわ」
「分かった、ついて行くよ」
裕二も洗面を済ませて、すばやく着替えて二人して家を後にした。
都バスに乗って、北青山1丁目で下車した。
そこから青山通りを渋谷・神宮外苑方向に歩いた。
やがて青山通りを右折して、神宮球場に通じる道に入る。
すぐに「N生命会社」の立派な社員研修所の入り口に到着した。
この場所は今では渋谷区神宮前となり、K学院の付属高等学校になっている。
「じゃ、この辺りで待っていて1時間ぐらいかかるかもね、外苑でも散歩していてね。ご飯は食べないでがまんしていて頂戴、研修が終わったらラーメンでも食べようね」
順子はグラマラスな体をくねらせて、研修所の建物の中に消えていった。
裕二は、しばらく外苑の中を散策した。
やがて小一時もすると、研修所の門前に戻って順子の出て来るのを待った。
その門から研修所の玄関にかけて、大勢の女性の姿が見えてきた。
ほとんどが中年の叔母さんか、初老の婦人達であった。
その中にいたひと際背の高い女性が、小走りに裕二に駆け寄ってくる。
手を振って、喜びを表現している。
裕二に近づくと「受かったわよ、合格よ、裕二!」
「よかったね、母さん」と言う前に、順子に抱きしめられた。
すぐに額にキスされて、あっという間にアームイン・アームの腕汲みをさせられる。
「ああ~よかったわ。私嬉しい、これから働くわよ!」
順子は喜びに弾んで、裕二をリードしながら青山通りに出る手前の小道を右に入った。
そこには、いくつかの小さな食事処が立ち並んでいた。
「ラーメンでがまんしてね。緊張の連続でお腹が空いたわ!」
「うん、ボクもラーメン食べたかった。1カ月も病院食だったので、食べたかったよ!」
ちなみに、この頃(1967年/昭和42年)のラーメン、そば、うどんの価格は、70円~100円程度。キャラメルは20円、サイダー40円、銭湯は大人で32円、国鉄の初乗り運賃は30円、大卒の初任給は30,290円だった。その3年後には6万円~7万円に急上昇している。
なおこうした潮流の中で、主人公の二人の間に、愛の結晶たる子供が生まれるのは1970年(昭和45年)のことになる。
その年は「国際博覧会」いわゆる<大阪万博(EXPO70)>が大阪府吹田市千里で開催された。
これを契機にやがて、我が国に初めて外国のファースト・フードが登場する。
マクドナルド、ケンタッキー・フライドチキン、缶コーヒー、ヨーグルトなどが急速に普及する。
原宿の旅館街
さてラーメン屋で腹を満たした二人は、戦後に軒を並べていた原宿の旧旅館街の方向へと向かった。
裕二はその意図を知らずに、黙って順子に従って歩く。
終戦の直後、旧・代々木練兵所の広大な土地の跡には、米国占領軍の将校らの宿泊施設が建てられていた。
それは「ワシントンハイツ」と呼ばれ、高級将校らのベッドタウンであった。
そして、その後の1951年(昭和26年)頃には、その周辺に米国人相手の売春宿や若い男女を対象にした連れ込み<旅館>が軒を並べていた。
さらに1963年(昭和38年)になると、米軍のワシントンハイツが日本へ返還されることになり、当時の神宮1丁目から6丁目には、プティックなどのおしゃれな店が進出してきた。
当時、隠田、竹下、原宿の各地名が、整理統合されて「神宮前」へと改名されていった。
順子は若い頃に、その旅館を利用した事があったのであろうか。
連れ込み旅館を目指して、血の繋がらない息子の裕二を抱きかかえるように先を急いだ。
二人が入った旅館は、古ぼけた2階建ての木造建築。
それでも黒塀に囲まれて、静寂さが漂っている和風の佇まい。
継母の誘惑
ベッドのない和室の部屋に入ると、裕二は立ったまま順子にきつく抱きしめられた。
欲情に駆られている順子は、すぐに口づけを求めてきた。
小柄で痩せている男の頭を押さえつけて、その情熱的な唇を寄せつける。
「母さん、待って。まずいよ、僕は母さんの子供だよ!」
「何言っているの、馬鹿だね。お前は私の子供じゃないのよ!」と即答する。
裕二を抱きたい一心から、焦る気持ちが口調を強くしていた。
「母という記憶はないけれど、病院の書類には<母・順子>って書かれていたよ!」
「何を言っているのよ。あれは病院の形式的な書類よ、戸籍謄本にはお前の実母の名前がちゃんと記載されているわよ、私はお前の継母にすぎない他人の女よ。機会があったら、戸籍簿をちゃんと調べてみなさい!」
「ええっ!本当なの・・・」
「若いお前の体が欲しくて、作り話を言っている訳ではないのよ。要するに、私は庄作の後妻なの。だからお前とは血の繋がりがない。ここで再び、男と女の関係になっても、何の罪もないのよ!」と語気を荒げる。
「再びって、今<再び>と言ったよね。前にも母さんとH(性交)したことあったの?」
その反問に、強気の順子の言葉が失せた。
しばらく、沈黙が続く。
「どうしたの?母さん・・・」
「今、言うから・・・」
「これから話す事も、これからの私とお前の関係も、二人だけの秘密にするのよ。分かったかい?」語尾に力を込めた。
順子は話を始める。
「どうやらお前は記憶がないようだから、これから二人だけの秘密を話すわ・・・」
畳の上に、腰を下ろして正座する。
裕二もつられる様に、順子の前に正座した。
「お前と私は、遠い昔に肉体的に結ばれていた。私が幼いお前を誘惑して、初めて男にしてあげた。要するに、お前の童貞を奪ったのよ。怠け者の庄作のあまりのひどさと、正式の婚姻もまだできない状態だったので、辛くて離婚を阻むお前の実母を憎んでいたの。その子供のお前をおもちゃのように抱いてしまった。それも一度ならず何度もお前を抱き続けた・・・」
「それは、ボクが何歳頃のこと?」
「・・・」
順子は黙っている。
「言ってよ、母さん!」
「わかった。言うわ、今言うから・・・」
いつも強気の順子が、うな垂れていた。
「お前が小学6年生になったばかりの4月の頃だったわ・・・」
「ええっ!6年生!!」
しばらく沈黙の時が静かに流れた。
順子は、うな垂れている。
裕二はその順子の姿に、哀れみとともに女の魔性を知るのだった。
衝撃の事実
さらに驚愕したのは、順子の次の言葉だった。
「・・・そこまでは継子苛めの女の性(さが)だったの、それが・・・」
「それがどうしたの?」
順子は躊躇している。
再び、沈黙がしばらく続く。
「言うわ!」
女は決心する。
「いいかい、よく聞いてね。私を叱らないで裕二」
「分かっているよ、正直に話して・・・」
「うん、・・・あのね、戸籍上はお前の義弟にあたる<圭司>はお前の子供なの。信じられないかもしれないけど、お前を何度も抱いた時に私は妊娠してしまったの。油断もしていたけど子供と思っていたお前は、一を知るとすぐに大人のように私を翻弄したのよ。まさか小柄な少年に女の絶頂感を味わいされるとは予期していなかった。我を忘れてお前の全てを受け入れてしまった。それでもまさか妊娠するとは・・・庄作には疑われずに、その10カ月後の翌年の1月に赤子を産んだわ。お前の種で生まれた男の子よ。でも心配しないで、ちゃんと私が圭司を育ているから、ただ、いつまでも弟として見守って欲しい」
裕二は、あまりの衝撃に声が出せない。
「裕二、大丈夫?驚かしてゴメン」
順子はそう言うと、座っている裕二を抱きしめた。
二人は、そのまま倒れた。
女は男の唇を奪って、激しい口づけをする。
あまりの衝撃に、裕二は呆然としたまま順子に身を委ねた。
順子の舌は、裕二の舌を強く引っ張って長らく吸い付きを続ける。
しばらくして、裕二は身を起こして順子の体を遠ざけた。
そして、裕二から口を開いた。
「だからといって、今ここで再び母さんと愛し合ったら父さんに叱られるよ」
間髪入れずに、順子が反発する。
「何よ!そのぐうだら男は若い女を作って、妻子を残したまま有り金持って家を飛び出しているのよ!」
その大きな瞳から、大粒の涙がこぼれていた。
「そこへ裕二が戻ってきた。交通事故が作った偶然の再会よ」
「・・・」
裕二はうな垂れて、黙って聞き入っている。
そして、継母の哀れな姿に同情するとともに、その女の希望に応えたいとするやさしい心根が芽生えてきた。
それは記憶が一切ない裕二の体の奥芯に、男の炎がちらちらと燃え上がりつつもあった。
裕二は次第に、継母の悲し気で悩ましい肉体に、女としての喜びを戻してあげたいと思う。
ましてや美貌の豊満な肉体を前にして、若い男の欲望をコントロールすることもできない状態になっていた。
その後は待たされていた豊満な肉体を誇る熟女と、若い男の激しい愛の交歓が展開された。
女は久しぶりのセックスに全身に官能の血が騒ぎ、動物のような咆哮を放して絶頂を迎える。
若い男も、1カ月以上に及ぶ病院生活の憂さを晴らすように、継母の貪欲な肉体に激しい鞭を打ち続けた。
悶絶を繰り返す順子は、裕二が多くの女と性交を重ねてきた秘儀に、翻弄されていることには気が付かない。
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